ある地域でがれき撤去をしました。
そこは、石巻の街中から少し外れた地域で、震災後のがれき撤去が遅くなってしまった地域でした。
「3.11は天災だったけど、3.12以降は人災だったと思うんだよね。」
休憩中に話をされた依頼者さんのこの言葉に、メンバーたちがちょっと驚きました。
依頼者さん自身は、震災で家族を亡くされたにもかかわらず、震災直後から避難所にも行かずに、地域の復旧・復興のために頑張り続けていました。
“人災”とはどういうことか、メンバーが聞いてみました。
「あの時(津波が来た時)は必至だったからよく分からなかったけど、あれから1年以上が経ったでしょ。あの時のことを後から振り返ってみると、津波後の対応が不足故に、本来は生きることができたはずなのに亡くなってしまった人も多いってことさ。」
依頼者さんは、震災後に様々な地域を見て、いろんなことを感じてこられたようでした。その中から二つを話されていました。
「この一年間でいろいろな地域を見て、話を聞いて、支援してきた。その中で感じたことは、まず自分の無力さだね。津波に対する知識や危機感はそこそこ持っていたから、予め自宅にも車の中にも防災グッズを積んでおいたのさ。でも、結果的には家族を亡くした。自分にもっと力があったらな、と思うね。」
「二つ目は、地域の弱さかな。あまり具体的なことは言わないけど、震災後の地域の対応や市の対応が不足だったが故に助かったはずなのに助からなかった人、または助かったけど鬱になって人生を悩んでる人、または助かったのに震災故に発生した様々な事件に巻き込まれて亡くなった人…いろいろあったよ。」
この“いろいろあったよ”という言葉を言われた時から、依頼者さんの表情が真剣になりました。
「いろいろあったんだけど、一つ一つの出来事をよく見てみると、災害故の犠牲だけじゃなくて、人間故の犠牲も多かったことを感じざるを得ないんだよね。そう思った時に、人災という言葉が適切だなって、率直に思ったのさ。」
メンバーたちの表情を見て、依頼者さんが最後にこんなことを話されました。
「こういう話を聞いて皆がどう思ったかは分からないけど、自分が言いたいことは、この3.11を天災だという捉え方だけで終わらせたら良くないってことさ。つまり、天災だと“しょうがない”とか“地震が悪い”とか“自分は悪くない”という捉え方になって教訓にならないでしょ。でも、天災+人災だと“自分たちはここが悪かった、だからもっとこうしなきゃいけないじゃないか”という捉え方になって、何かしらの教訓になるからさ…」
この話を聞きながら、メンバーたちは実感がつかめていない様子でしたが、依頼者さんは相当実感を持たれている様子でした。