「キャプテンの日記」カテゴリーアーカイブ

何の為にボランティアをするのか?

牡鹿半島のボランティアセンターに行った時の話です。

ここでは最近、がれき撤去の作業が多いようです。“がれき撤去”といっても、拾うものは、

・コンクリートの破片・木片・ガラスの破片

・雑草・ロープ・その他の家庭ゴミ

といった小さながれきが多いので、どちらかと言うと地域の清掃活動をしてる感覚に近いです。

やってみると地道な作業なので、「細かい作業ばかりで、ちょっとやりがいがないな〜」とか「せっかく被災地に来たのにゴミ拾いなんて、ちょっと物足りないな〜」と思う方もいるようです。

実際、私自身もそう思った時があったので、「どういう姿勢で取り組んだらいいか?」を、ボランティアセンターのスタッフに質問しました。

返答はこうでした。

「では、何の為にボランティアをやっていますか?自分自身が“やりがい”を感じる為ですか?」

「もし“やりがい”を求めるなら、ボランティアをするより仕事をした方が給料も出るし、よっぽどやりがいがあります。」

「自分が何かを感じる為では無くて、あくまで被災者の為です。被災者に寄り添うことが大切です。」

その後、牡鹿半島の海沿いの地域をよ〜く見てみました。すると、ボランティアが少なくて小さながれき撤去をできなかった地域では、地元のおばあちゃんたちが代わりにやっていました。

その姿が、とても大変そうに見えました。

その時、「何の為にボランティアをするのか?」が、少し分かった気がしました。

継続がもたらす印象

先日、作業が始まる時に、あるボランティアチームの方と話をしていました。

すると、ホッとした様子で「いや〜、今日の作業は統一教会さんと一緒だと言われて安心したよ〜」と言われました。この時の私たちのチームは男性が多かったので、力仕事がはかどりそうで助かったよ、という意味だと私は思っていました。

でも、その後に続いた言葉は、ちょっと違っていました。

「時々来るボランティアチームだと、来てくれるのは嬉しいんだけど、作業の段取りや工具の使い方も分からない人達ばかり。こちらが一から説明しなきゃならないし、ちゃんとできるか心配で、ヒヤヒヤしながら見てるから、自分が作業に集中できないんだよね。統一教会さんだと、ずっと続けてるから、作業の段取りも分かるし、安心して作業を任せられるから、こちらも安心して作業に集中できるからさ」という話でした。

継続して経験を積むことは、様々な人たちの“信頼”“安心感”になっていくのだと感じた瞬間でした。

ボランティアが被災地にかけている負担

以下は、ボランティアの “受け入れ側” の人から聞いた話です。

 

最近のボランティアさんは、こんなことを言う人が多いです。

「石巻駅まで来たので、そこまで迎えに来ていただけますか?」

「宿泊施設は、どこかありますか?」

「ご飯はどこで食べることができますか?」

「作業道具をお借りしますね」などなど

これらの発言をする人に共通しているのは、ボランティアの基本である “自己完結” ができていないということです。実は、この姿勢が “受け入れ側” からすると負担になっているのです。

どのくらい負担になっているかというと、受け入れ側のリーダー中には、自己完結できないボランティアさんの対応に追われ過ぎて体調を崩し、寝込んでしまったかたもいるくらいです。

ですが、“受け入れ側”のかたがたはボランティアさんに対して感謝の気持ちを持っているので、「負担になっているんだ」という話はしません。

その一方、ボランティアに“行く側”の立場はどうか?と考えると、“自己完結”の精神が曖昧になってしまう情報が多いです。

「テレビを見ると、最近の被災地の状況が報道されないから、現地が今どういう状況かイメージできない。」

「ネットで調べても、被災地ボランティアに行くために必要な情報が入手できない。何を準備して持って行けばいいのか、よく分からない。」

「現地に行っても、街中では3.11当時の悲惨な光景が無くなってきている...」などなど

こういう環境なので、ボランティアに行こうとしている人は、行く前に意欲を持って色々と調べるけど、結局どんな準備をしたらいいのかよく分からないから、「まあ、何とかなるだろう!」と軽く捉えてしまい、現地に着いた時には準備不足だった...となるわけです。

このように、ボランティアに “行く側” と “受け入れ側” が、お互いの抱える事情を “相互理解” するのではなく、“衝突” してしまうわけです。

 

これから被災地ボランティアに行こうと考えているかたは、“受け入れ側”に迷惑をかけないためにも、“自己完結に取り組むことが最初のボランティアなんだ!”と捉えて取り組むことが必要だと思います。

相手を理解したいから

2月末に同じ現場で作業した、あるボランティアさんの話です。

そのかたは、昨年6月に被災地へ来て以来、ずっとボランティアをされていました。仕事も辞めて来たそうです。

ボランティアをスタートしてからは、ずっと車中泊。洗濯はコインランドリー、風呂は時々銭湯へ、食事も全部自炊する、お金がなければ生活できないので、時々アルバイトをして最低限の生活費は稼ぎながらのボランティア活動。聞けば聞くほど、ボランティアに懸けて取り組まれる姿に、とても驚きました。

なぜそこまで懸けて頑張れるのか聞いてみました。

「確かに、あらゆる欲を絶ったね〜。そりゃあ、大変な時もあったけど、同じ環境を通過しないと、本当の意味で相手の気持ちを理解することはできないからね」

「上手く言葉にはできないけど、学べたことも多かったと思うよ。だから、やって良かったと思ってるよ。」

話を聞けば聞くほどきつい環境、ここまでできる人は多くはないと思います。でも、このかたの表情や動作、雰囲気は生き生きしていました。

“相手を理解したい”という思いの熱さに、感動しました。

また、苦労は人を“人間として”強くするのだと思いました。

ニーズは“減少”したのではなく“変化”した

ボランティアリーダーから聞いた話です。

 

最近は、被災地における課題も多様化していて、一言では言えない状況になっているという内容でした。
「震災直後だったら、“がれきの撤去”が大きなテーマだったね。どこの家へ行ってもがれきの撤去が願われているから、環境は過酷だったけどやるべきことは明確だったから、ある意味やりやすかった。そしてあれから一年近くが経って、がれきの撤去はだいぶ進んだよね。でも、それはボランティアが必要無くなったという意味じゃないんだよね。」

 

被災者のニーズは、“無くなった”のではなく“多様化”しているという話でした。
「最近だったら、仮設住宅の支援に始まり、地域住民が集まれる集会所の確保、文化的なイベントによる町の活性化、就職支援、被災地にお金を落とすこと、漁業の支援というように、支援の形は様々になってるね。でも、ボランティアの人数はどんどん減少してるでしょ。復興が進んだことで、環境は以前ほど過酷では無くなってきたけど、被災者からのニーズは地域によってバラバラになってきているから、逆に支援が難しくなってきたという感覚もあるね。」 と言われていました。

必要とされてるから…

今でも首都圏から頻繁にボランティアに来ているアメリカ人の方と同じ現場で作業した時の会話です。

 

加藤:「被災地には何回来たんですか?」

アメリカ人:「何回かな〜……数えてないけど、30回以上は来てると思うよ。」

話を聞いたら、仕事をしているので時間がなかなか取れないけれど、土日を上手く利用してボランティアに来ているようでした。

加藤:「(2012年になったけど)今年も継続して来ますか?」

アメリカ人:「今年だけじゃなくて、もっと先も来続けたいね!」

 

 ボランティアに来る人がどんどん減る中なのに、なぜ気続けようとしてるのか……自然と話はそういう方向にいきました。すると、こう返ってきました。

「仕事は、やればお金をもらえる。でも仕事は、同じことの繰り返し。会社と自宅を行ったり来たり、ちょっと飽きたね。意味をあまり感じない。」

「こちら(被災地)に来ると、お金はもらえない。でも(被災地に)来てみたら、自分を必要としてくれる人がたくさん、とってもたくさんいた。だからまた来て、何かしてあげたい。ここ(被災地)にいる意味を、とても感じる。」

「(被災地に)来る理由はいろいろあるけど、それが一番!」

すごい方だと思いました。自分を必要とする人の為に何かしたい……そういう気持ちを持つことは、理論や理屈以上に“人”として大切なことだなと学ばさせられました。

言葉の違いや文化の違いを越えたもの

40人以上のGPA(アメリカのメンバーたち)が4日間、被災地ボランティアを行いました。その補佐として参加した日本人メンバーの感想です。

 

 GPAのメンバーたちと会う前は、「自分は英語できないけど大丈夫かな?文化の違いを越えられるかな?」と、とても不安で、緊張していました。実際に彼らと対面したとき、白人、黒人、黄色人種と様々な人種がいたので、更に緊張が増しました。

 しかし、そんな心配や緊張は、彼らと寝食を共にすることを通して消えていきました。言葉の壁はジェスチャー等で越えれたし、彼らは皆とてもフレンドリーで、文化の違いが気になりませんでした。

 ボランティアの時間になってみると、GPAメンバーの姿を見て驚きました。彼らはいつも明るく、楽しそうにしていたけど、いざ作業が始まると、泥だらけになりながら一生懸命に作業していました

  その姿を通して、“日本の為に何かしたい”という熱い思いが伝わってきました。その熱い思いが、私たちがもつ”被災地に対する思い”と同じだと気付いた時、その“熱い思い”を共通項として、彼らとの絆が更に深まりました。

 4日間のボランティア活動が終わり、彼らと別れる時には、“もっとこの兄弟姉妹と一緒にいたい!”という気持ちが自然とあふれてきました。

  私たちは文字通りの“家族”になれました。

終わっていない3.11

 1月の中旬に、引っ越し作業を手伝いました。当初は丸一日かかるだろうと思っていた作業が、大人数で作業したので半日で終わりました。
「早く済んで良かった〜」と依頼者さん。
 早めに終わったので、ちょっと休憩してから帰ることになり、依頼者さんのお二人が震災当時のことを話して下さいました。
「いや〜、あの時はびっくりしたわよ〜。」

「すぐに逃げたから大丈夫だったんだけどね。でもまさか、あんなことが起こるなんて思わなかったわね〜。」

「私たちはまだ良かった方よ。皆無事だったからね〜…。」

 

震災当時の話を何回か聞いたことがある私にとって、この時の話題は、さほど珍しいものではありませんでした。ですが、私はこの依頼者さん2人の会話を通して、とても驚いたのです。

 なぜなら、話をされる依頼者さんの表情や動作、雰囲気、語る姿に触れた時、震災を体験していない私が、今から5分前に震災が起きたように感じたからです。依頼者さんの姿を通して、津波が来た時の迫力、緊迫さ、臨場感、取った行動までもが、鮮明に伝わって来たのです。まるで、怖くて迫力のある映画を見終わったその瞬間にも近い感覚を覚えました。

 

 そこで気付いたことがあります。

被災者にとって3.11は、“10ヶ月前”に起きたことではなく、“5分前”に起きたことだったのです。

3.11の被害を直接受けなかった私にとっては、時間が経てばたつ程、3.11が“過去”の出来事になっていました。しかし被災者にとっては、3.11からどんなに時間が経っても、3.11は“今”の出来事のままでした

 被災者にとって3.11は、今でも現在進行形です。
 私は、そのことを忘れてはいけないなと感じました。

進めたくても進まない作業

 あるボランティアリーダーから聞いた話です。倒れた塀一つを撤去するだけでも、もめ事が起きることがあるという話でした。
 お墓と民家の間の塀が倒れており、お墓の側に倒れ込んでいました。お墓に来るかたたちからは、「危険だから早く撤去してほしい」という声が出ています。
 しかし一方で、“ちょっと待て!”というかたもいます。

よく見ると、倒れた塀は民家の敷地内にまたがって倒れているため、撤去する為には民家の敷地内に入らなければいけません。しかし、この民家の主人は行方不明になっていました。

 許可無しに勝手に敷地内に入って、こちらの善意で勝手なことをして、後で問題になったらどうするのか?誰が責任を持つのか?
 その地域の為には、早く撤去した方がいい。それは誰もが承知していました。しかし、物事の捉え方や見る角度によって意見が食い違ってしまいます。それによって、ちょっとした作業なのに手がつけられない。
 作業を進めたくてもなかなか進めることができない背景には、こういった難しさがあるようです。

天井にペンキを塗る理由

 最近は、何日間かかけて集会所の内装のペンキ塗りをしています。壁から天井まで、きれいにペンキを塗ります。塗った後は、再び集会所として地域住民の集まる場所にしようとしています。

 この集会所は、津波の被害を受けました。その後、ボランティアさんたちが入ってがれきを撤去し、壊れた窓を補強し、掃除をして、鍵を付けました。ここまでやれば、集会所として使える状況になったように見えます。

 では、この上で更に塗装までするのは何故か?

 あるボランティアチームから、こんな話を聞きました。

 

地域の集会所で、子どもたちと体操をしました。その時に、床に寝転んで天井を見た瞬間、集会所の天井に残っていた津波の汚泥の跡を見て、子どものひとりは気分が悪くなり、その後集会所の中に入れなくなってしまったそうです。

 

つまり、塗装作業は、この“汚泥の跡”を消す作業になっていました。