津波が来た瞬間と対処法

被災した人たちから、津波が来た時の状況を聞きました。

「津波警報が鳴ったから警戒していたけど、実際は津波が来たようには見えたんじゃなくて、白い霧が近付いて来るように見えたんだよね。だから、“霧だったら大丈夫だ、よかった〜”と思って油断していた。それが目の前まで来た時に、始めて津波だと分かったから驚いたね。」

「津波が来た時は、黒い土が流れてくるように見えたから、何が来たのかよく分からなかったね。音を聞いてみても水が流れて来る音じゃなくて、壊れる音やぶつかる音やいろんな音が混ざり合ってるから、すさまじくうるさい音になっていてよく分からない。だから、目で見ても音を聞いても、一体何が起きて、何が来たのかよく分からなかったよ。」

「津波警報が鳴ったから、てっきり海の方向から津波が来ると思ってた。でも実際は、海とは反対の山の方から先に津波が来たんだよね。だから“えっ!?”と思って、すごく驚いたよな。」

「津波警報が鳴ったから、最初は“ドッカーン”と波が来ると思って、急いで2階へ逃げて身構えてたよ。でも、来るか?来るか?と思ってもなかなか来なかくてね。来たか?と思って外を見てみても、家の隣の道路に静かに水が流れ込んで来たくらいだったから、てっきり大丈夫かなと思っていた。でも、そう思って落ち着いて、一階に下りてみようと思ったら、すでに一階がもう半分以上浸水していた。津波って、こんなに静かに一瞬にしてやって来るんだと思った時に、すごく驚いたよ。」

大部分の人たちに共通しているのは、自分の予測とは違った来方をしたということでした。しかも、同じ市内だったとしても、その時の自分自身がいた地域や、その周囲の環境によって津波の来方が違っていて、まさに予測不能状態だったことが分かります。では、自分の周囲で津波警報が鳴ったらどうすべきか聞くと、このように言われていました。

「まず、“自分は大丈夫だ”とは思わない。どんなに専門知識があって防災グッズの備えがあったとしても、“自分は大丈夫だ”と思わないこと。」

「次に、あせらないこと。地震の後に津波が来るまでは時間がかかる。あせらずに、歩いても大丈夫だから、まっすぐ高台へ向かうこと。」

「あとは、津波警報が鳴りやむまで、絶対に高台から降りないこと。」

したくてもできない約束

 UPeace参加者の声を紹介します。


ある日のボランティア活動後、少し時間があったので、その地域の子供と一緒にスポーツをして交流していました。帰る時間になったので、その子供に別れを告げて帰ろうとしたら、その子供が「じゃあ、またね!」と言ってきました。しかし、子供のその言葉に対して、私は何も返事ができませんでした。

その時に頭をよぎったのは、社会福祉協議会が出している “ボランティア10カ条” の中にある “約束は必ず守ろう” でした。たとえ相手が子供であっても約束は約束です。子供が「またね!」と言ってきた時に「うん、またね。」と言葉を返せば、また来るという約束をしたことになります。しかしこの時は、今後この場所に来れない予定でした。

 もし、その子供と笑顔で別れようと思えば、「うん、またね!」と言って別れた方が気持ちいいです。しかし、“約束”という見方をした時、それは子供に“嘘”をついたことになります。だからこそ「うん、またね。」と言えずに、笑顔を返すことしかできませんでした。

 言葉に責任を持つこと、それもボランティアにとっては大切なことだと感じました。

統一教会平和奉仕ボランティア隊 年末年始企画

 新年を迎えるに当たりまして、「被災された方々への新年のメッセージ」を皆さまから募集させていただきたいと思います。

 東日本大震災で被災された方々に思いを寄せ、考えられたメッセージを統一教会公式ツイッターまでツイートしてください。寄せられたツイートはまとめて、来年1月に被災地へ赴くUPeaceが届けます。被災地応援のためのツイッター連動企画にご協力をお願いします。

◆ 応募期間:12月22日(木)〜12月28日(水)まで(7日間)

◆ 応募資格:ツイッターのアカウントを持っている方ならどなたでも

◆ 応募方法:統一教会公式ツイッター

 「被災された方々への新年のメッセージ」を考えてツイート

※「あけましておめでとう」ではなく、被災された方々を配慮した、励ましのメッセージをお願いします

  ツイートの末尾には「#ユーピース」も加えてください

  ツイートと合わせて、画像などの投稿も受け付けます

※ 寄せられたツイートは厳選の上、寄書きなどにまとめ、来年1月に 被災地にお届けします

統一教会公式ツイッター:ucjptw

※ 寄せられたツイートや画像等は、今後の統一教会平和奉仕ボランティア隊(UPeace)の広報活動にも利用させて頂くことがあります

東日本大震災を通じて得たもの

ある集会所で、昼食時間の時にスープをいただきました。その時に、そこに来られていた現地の人たちから聞いた話です。


「3.11の前は、御飯を作って持ち寄るような文化は、この地域にはなかったんだよね。元々この地域は、人間関係が希薄な地域だったからね。でも、3.11があって、津波があった。確かに、ひどいこともたくさんあったけど、それをきっかけに“復興するぞ!”という文化が、この地域にもできてきた。そこから、この地域の中にも“絆”ができ始めたんだよね。今では、ボランティアをやりに集会所に集まった人たちに対して、ちょっとしたものではあるけど、この地域の人たちの意思で、感謝の気持ちを込めた食べ物を出せるようにもなってきた。他の人からするとちょっとしたことに感じるかもしれないけど、この地域にとっては確実な変化だな〜と感じてるんだよね。」

という話でした。またその後に、こうも言われていました。

「3.11がなかったら、この地域の人間関係は希薄なままだったかもしれない。あれがあって、この地域には絆が弱かったことに気付いた。3.11のおかげといったら失礼だけど、それによって全部がマイナスになったのではなくて、そこから得られたこともあったね。」

3.11はマイナスばかりの出来事でしたが、そこから生まれたプラスもあったのだと思いました。

谷川小学校でのボランティア活動

 統一教会平和奉仕ボランティア隊の第27陣の活動6日目。牡鹿半島のボランティアセンターからニーズをもらい、小学校の校舎内のがれき撤去をしました。すでに廃校が決まっている小学校でしたが、取り壊す前に閉校式をしたいということで、気持ちよく閉校式ができるように、ボランティアが入ってきれいにしていきました。

 谷川小学校は入り江に建っている小さな小学校で、2階建ての校舎はすべて津波によって大きなダメージを受けていました。男性メンバーは図書室の片づけを行いました。図書室も泥や砂でいっぱいでした。掃除をしていたらいろいろな写真や物がでてきてとても胸が痛かったです。ぜひ、きれいな校舎で閉校式をしてほしいと思い、みな一生懸命とりくんでいました。

    

被災した人への接し方

被災者でボランティアをしている人から聞いた話です。

「県外から来るボランティアさんは、『被災者への接し方が、よく分からない…』と言う人が多いんだよね。実際、ボランティアさんが帰った後に依頼者さんと話をすると、依頼者さんが傷付いてるケースが多いんですよ。」と言われていました。どういった内容で依頼者さんが傷付いてしまうのか聞きました。 すると、「(ボランティアが被災者に対して)気を使った言葉をかけたら、(依頼者からしたら)わざとらしく感じて嫌になる。」
「(被災者が)仮設住宅に居ると一人で寂しいから、(ボランティアが)元気付けようと思って仮設住宅を訪問すれば、(被災者がそれを)迷惑に感じる。」
「(被災者の)心の傷を癒そうと思って、(ボランティアが)いろいろ話を聞こうとすれば、しつこくいろいろ聞いて来て嫌に感じる。」 と言われてました。

そこで、どうやって接したらいいのかを聞きました。
「接する時は、変なことをやらずに“普通に”接したらいいんだ。もちろん被災した人間は皆、背後に深い傷を負っている。それは間違い無い。でも、それをすぐに解決しようとしても、すぐに何とかなるものではない。人間の傷付いた心は、そんなにすぐにコロッと変わるものではない。だから、そういった背後の傷があることを知った土台の上で、普通に接すればいいんだ。普通に挨拶して、普通に会話して、普通に笑って、帰る時にそこで売ってる物でも一つ買ってくれば、自然と思いは相手に伝わるんだ。」
と言われていました。

仮設住宅から仮設住宅へ引っ越す理由

作業した石巻のあるお宅の依頼者さんから聞いた話です。

最近は、仮設住宅から仮設住宅に引っ越すケースが増えてきているという内容でした。そのかたの話によると、震災後に仮設住宅に入り、最初は人間関係も1からのスタートだったので大変だったようです。でも、1ヶ月が経ち、2ヶ月経ち、半年経って、やっとこの生活に慣れてきたと思った矢先に再び引っ越す。

その原因に多いのが、人間関係のトラブルだと言われていました。そんなかたが多いという話を聞き、仮設住宅に対する支援の必要性を痛感しました。

私が教訓になったこと

石巻で作業した時に、そのお宅の依頼者の方と“教訓”に関する話になった時に、震災直後のことを話して下さいました。

「震災があった時、警報が鳴り響いていていたのよ。町内放送でも、10メートル以上の津波が来るから避難するようにと、再三にわたって呼びかけていて。でも、その時は家にいて、全然逃げようともしていなかったのよね〜。」と言われていました。聞いてみると、震災直後に警報が鳴った時は、近所のかたと普通に話をしていて、緊急性を全く感じなかったようです。でもそこには、震災の数十分後に約10メートルの高さの津波が来ました。その依頼者は、津波が到達する直前に“まずい”と思い、間一髪で近くの山に逃げたそうです。後から振り返ってみると、「なぜ自分は警報が鳴った時に、すぐに逃げなかったのか?」と思われたそうです。

なぜ、すぐに逃げなかったのかを聞いてみると、
「(自分の)家は、水害の時も大丈夫なように、普通の家よりも基礎部分を高く作ってあったのよね〜。だから逆に、他の家にとっては大変でも、(自分の)家はきっと大丈夫だろうという先入観が付いちゃってたのよね〜。」と言われていました。

では逆に、なぜ“まずい”と思えたのかを聞いてみると、
「身内が来て“早く逃げろ!”と言われた時に、初めて“ハッ”として“逃げなきゃ”と思えたのよね。」と言われていました。

〇教訓になったこと
・災害時は、どんなに備えをしていても油断しないこと。
・「自分は大丈夫だ!」と思わないこと。

家の泥出しは心の泥出し

長期でがれき撤去をしてるボランティアチームのリーダーから聞いた話です。

「がれきの撤去をすると、その町がきれいになるだけだと思ってるでしょ。でも、それだけじゃないんだよね。がれき撤去は、目の前のがれきを取ってきれいにするのと同時に、実は、自分の心のがれきも撤去してるんだよね。泥出しをすると、目の前の光景がきれいになるだけじゃなくて、知らない間に自分の心もきれいになってるんだよね。最近になって、やっと気付けたよ。」と言われてました。

ボランティアとは、相手に何かをしてあげるだけの“一方的”な活動では無くて、こちらも必ず得るものがある“双方向”の活動だと思いました。