お知らせ

令和2年7月豪雨被災地支援活動(熊本県人吉市)

2022年 3月12日~22日 災害ボランティア活動報告

2020年7月4日午前5時15分球磨川の氾濫により熊本県人吉市も甚大な被害を受けました。コロナ禍のためボランティアも充分集まらないなかでの復旧作業でしたが少しずつかつての元気を取り戻しつつあります。

昨年佐賀県大町町で連携団体として伴に活動した「め組JAPAN」だけが現在も人吉市で災害救援活動を続けているとのことでUPeace佐賀のメンバーと協力して応援に入りました。

め組JAPANの代表である通称パパラ(今井健太郎)さんに作業内容のレクチャーを受けました。

め組JAPANはNPO法人MAKE HAPPYという中国内モンゴル、国内では東北(石巻市・登米など)で植林や岡山県などで間伐作業を行っている団体の災害ボランティア部門です。

他の災害ボランティアチーム代表の何人かは元め組JAPANなんだそうです。

作業の内容は洗浄作業。普通は噴霧器でオスバンという殺菌消毒剤を薄めて噴霧する作業が一般的ですがタワシと歯ブラシと乾燥したタオルを持って薄めたオスバンをバケツに入れてタワシに浸して木材を洗浄します。そして乾く前にタオルで汚れと一緒に拭き取ります。床下から約2メートルの所まで浸水しているため土砂が舞い上がり木材の細部まで堆積しています。それをオスバンに浸した歯ブラシでかき出し綺麗にふき取っていきます。そのようにしなければ泥の堆積した箇所がカビやシロアリの発生源となってしまいますから細かいところまで洗浄します。ここまで洗浄するもう一つの理由が業者さんがスムーズに作業を始めることが出来るようにするためです。泥だらけだと業者は泥を落とす作業から始めるかそれとも家を解体して新築することになります。業者側からすれば泥を落として改装することはそれだけの時間やコスト、手間がかかるので新築を選択しますが、住民さんにしてみれば今までの家族との思い出もこんな形で失うことは耐えがたいことですから手間をかけてでも改装を願います。そのため災害ボランティアが必要となります。

生前に日本舞踊を教えていた母の思い出の場所。被災して1年半はあまりに悲しみが大きくて家を閉ざしていたそうです。人吉に災害ボランティアが入ってくるのさえ拒み続けたらしいです。

しかしめ組JAPANさんが根気よく何度も訪問を繰り返すなか閉ざしていた心を開いて下さり今年から活動出来るようになったとのことです。最初は一言話す度に涙があふれて話すことの出来なかった住民さんも、災害ボランティアが活動に入るたびに泥だらけだった家が再び輝きを取り戻していく様に、今では家を見て希望を感じるようになったそうです。

庭の桃ノ木は生前お母さんが大切にしていた母との思い出の木。そのため何年も剪定しないで放置していたために枝が重なり合って風通しが悪くてこのままでは桃ノ木自体が倒れてしまうので住民さんが見守るなかで剪定しました💦

本来1月に行う剪定作業を3月に・・・下手に切り過ぎて枯らしてしまうのも気の毒なので明らかに必要のない枝を切り落としますがその度に「涙が出てくる」「枝一本切るたびに胸が痛い」とおっしゃられる住民さん「もうそれくらいで・・・」とのことで「今回はこれくらいにしてまた来年の1月頃に剪定してもらってください」とお願いしました。

お母さんとの思い出の桃ノ木の枝で一輪挿しを作って住民さんにプレゼントしました。これくらいのことしかできませんが住民さんに喜んでいただき1日も早く元気になってくださればと思います。

裏の雑木いつの間にか住民さんの手に負えないくらい大きく二階の屋根にも届きそうなくらいまで成長しています。その幹が一階の屋根に触れそうな感じで下手に伐倒すると屋根を潰すか隣の看板を壊しそうなので私たちの手で伐倒しました。め組のパパラさん伐倒経験はなく、しかもピンポイントの方向に木を倒さないと家や隣の看板を壊してしまうので切り口の入れ方と方向とロープをかける位置と引く方向などをレクチャーして伐倒します。自然に成長した雑木は真っすぐではなく微妙に傾いていたり曲がっていますので狙い通りの方向に伐倒することは経験が必要です。一度倒れ始めた木の方向を人間の力で修正することは不可能です。そのため最初の切り口の入れ方が重要であると感じます。とくにチェーンソーによる伐倒は切れるスピードが速いので気を付ける必要があります。

隣の看板を少しかすめるように木が倒れました。ほぼ計画通りここしかないという方向に倒れてくれました。

直径15センチ以上の木は切って倒すというよりロープで引っ張って倒すことをお勧めします。今回の木は直径約25センチほどロープで倒れる方向を誘導しながらの伐倒でした。

人吉市内にある「紺屋公民館」昭和60年12月20日(1985年)に建てられた公民館です。なので築36年・・・を古いと感じない自分の感覚が古いのか?1985年を最近と感じてしまう(^^;)

最近では観光客も少しづつ戻りつつあります。子供のころこの周辺に住んでいたというご婦人が「子供の頃この周辺で良く遊んだんです。今もあるんやね。懐かしい・・」と感慨深く私たちに話しかけてくださいます。

私たちには分からない一コマも住んでいた人達にしてみればかけがえのない故郷なんだなあと実感します。

それは文化財級の特別な建物ではなくても街角に並ぶ家一つ一つが住んでいた人や住んでいる人にとってはかけがえのない故郷であります。子供の頃に友達と遊んだ公園やおじいちゃんと買い物をした雑貨屋さん、お母さんと買い物をしたスーパーも家族で歩いた散歩道もその一つ一つが故郷であります。

その公民館をブラッシングみんなでタワシと歯ブラシを持って小さな隙間に入り込んだ泥を綺麗に取り除きます。最初は泥だらけだった材木が徐々に輝きを取り戻していきます。

毎日のように会館の様子を見に来られる町内会長さんも「見違えるようにきれいになった」と喜んでくださいました。

私たちUPeaceの活動が少しづつかもしれません。他団体の影となって気付かれない時もありますが背中に印刷されている「世界平和統一家庭連合」の文字は誰も隠すことの出来ない事実として残ります。

剪定した桃ノ木の花が咲きました。今年もきっと町内の人々の心を癒してくれたことでしょう。

令和2年豪雨災害における熊本県人吉市での災害ボランティア活動はようやく一区切りつきました。

人吉市に滞在中も福島県沖地震被害と災害ボランティアの情報がZOOMを通して入ってきます。

一旦大阪に戻って次は福島県新地町に応援に行きます。

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