3月10日 震災遺構〔宮城県山元町中浜小学校〕
宮城県山元町中浜小学校は福島県との県境付近にあります。
中浜小学校は1964年に海から約400メートルの所に開校されました。そのため1989年に地域住民の要望により敷地全体を約2メートルかさ上げをするなど高潮や津波への対策が取られ学校の構造も津波が来た時のことを想定して壁が壊れ津波の力を受け流すように建てられたそうです。そのお陰もあって震災当時、中浜小学校に避難していた先生、児童、町民合わせて90人全員が翌日自衛隊のヘリコプターで救助されたそうです。
山元町では約637人が犠牲になりました。
現在宮城県震災遺構として一般公開されています。
震災当時の様子が掲示されています。
押し寄せる津波の凄まじい力を感じます。
震源地の南三陸町沖から約130km離れています。地震は3月11日14時46分に発生し津波が中浜小学校到達は15時50分頃だったそうです。それから16時18分まで4波の津波に耐えました。
津波は校舎の2階の天井あたりまできました。
津波も地震も無くなるということはありません。
震災遺構を見つめながら災害の恐ろしさだけではなく何故このような被害が起きたのか事前に防ぐことの出来る手立てはなかったのか一人一人が振り返ることが大切に思います。
以前に南三陸町で「新しい神社やお寺は津波で流されたけれど古い神社やお寺はみんな無事だった」と聞いたことがあります。