「まるで、あの日を見ているようだった」

2012年12月7日、大きな余震がありました。

 

その翌日以降、作業現場で現地の人と話す時に、12月7日の余震に関する話題が多く出ました。

 

現地の方から聞いた話を紹介します。

 

 

 

ある現場で、昼の休憩中に...

 

「そう言えば、この前の余震は、久しぶりに大きいのが来たって感じだったよね〜。揺れた後に(津波)警報が鳴ったら、みんな逃げるのが早かったよね〜。統一教会さんたちはあの時、どのにいたの?

 

...(中略)...

 

ただ、この辺りの地域の人たちは、警報が鳴って逃げ出すまでは良かったんだけど、車で出た人が多かったでしょ!だから案の定、すぐに渋滞になっちゃったよね。あれじゃあ、津波が来たら、また車ごと流されちゃうな〜って思ってゾッとしたのよ。“できれば車で逃げたい”っていう、その気持ちはわかるんだけど、やっぱりやめた方がいいね〜...」

 

 

 

 

 

ある現場で、作業前の打ち合わせ中に...

 

「この前は結構揺れたね。

 

...(中略)...

 

逃げた後にニュースを見てたら、3.11の時と同じパターンで大渋滞になってたでしょ。あれじゃあ、3.11の二の舞になるよ。震災後に“教訓!教訓!”って言葉が流行った時は、この地域も変わったんだなって思ったけど、この前の渋滞の映像を見たら、全然変わってなかったんだと見せつけられたような気分だよ。

 

...(中略)...

 

でも結局は、私も含めて、これからこの地域がもっと変わらなきゃならないってことだろうね。」

 

 

 

ある現場で、作業後の片付け中に...

 

「前回の余震の時は、(逃げる時に)みんな車でしたね。渋滞になっても誰も車から降りませんでしたからね。隣を走る自転車の方が早かったのを見た時は、正直ショックでしたよ。これだと、もしまた津波が来たら、十中八九、また多くの人が犠牲になってしまうと思いました...悔しいことですけど。」

 

 

 

東日本大震災の時、多くの人が車で逃げようとして渋滞になり、津波にのまれた。

 

その光景を知る人は、

 

「まるで、あの日を見ているようだったよ。」

 

 

 

その一言は、とても重く感じました。

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