神様を意識して何が変わったのか?

 UPeaceの東北支援に参加したメンバーの感想を、以下に紹介します。
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 今回、石巻市でボランティア活動に参加しました。
 主な活動内容は、イベント会場周辺の掃除や設営準備でした。国籍をこえて老若男女、様々な人たちと一緒に活動しました。
 私の主な担当は、イベント会場周辺の掃除でした。活動を始めてしばらくたつと、他のみんなが綺麗に掃除を進めている中、私の担当場所は掃除後も汚れが残っていました。というのも、元々私は掃除が苦手で、自分なりに頑張りはするのですが手際が悪かったです。
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 しかし、ボランティアでこの姿勢はよくないと思ったので、発想を変えて 「神様だったら、どういうふうに掃除するだろうか?」 と考えて掃除をしました。すると、細かい箇所の汚れまで気付くようになったり、より丁寧に掃除することができるようになりました。
 その結果、私が担当した掃除場所はとても綺麗に仕上がりました。その光景を見ながら 「自分でも、こんなにきれいに掃除することができるんだ」 と思い、自分自身で驚きました。おそらく、掃除好きの人からすると普通の仕上がりに見えると思いますが、苦手意識が強かった自分にとっては驚きでした。掃除に対して “やりがい” を感じたり、掃除することが “楽しい” と思えるようになりました。
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 今回の活動から学んだことは二つあります。
 一つ目は、苦手を克服できたことです。今まで掃除が苦手だった私ですが、好きだと思えるようになりました。
 二つ目は、考え方が変化したことです。自分の目線以上に、神様の目線で物事を考えることが大切だと思いました。
 感想は以上です。
 このメンバーの笑顔で掃除をする光景が、とても印象的でした。

ボランティア活動のビフォア&アフター

 常総市で災害ボランティアをした時の、現場における作業前後の変化をいくつか紹介します。

 

―――――――――――――《 家財道具の洗浄 》―――――――――――――

 ブラシや高圧洗浄機などを使い、机、椅子、棚、ソファー、工具、園芸用の道具など様々な家財道具を洗浄します。洗浄後は、これ以上さびないようにするため、雑巾などで拭いて水気を取ってから片付けます。

 ⇒⇒⇒                [作業前]                          [作業後]

 

 

――――――――――――《 家財道具の運び出し 》――――――――――――

 屋内にある被災した家財道具を、屋外に運び出します。服や布団、畳、ベッドなどの水を吸う材質のものは、重さが2倍〜3倍くらいになります。タンスや窓などは、隙間に泥水が入り込むため、扉が開かなくなることが多いです。更に、床は泥だらけで滑りやすくなっている場所が多いです。

 

 ⇒⇒⇒                [作業前]                          [作業後]

 

 

―――――――――――――《 床板の撤去 》―――――――――――――

 バールやハンマーを使って、床板を一枚づつはがしていきます。板を割らないように、1枚づつ丁寧にはがしていき、床板の下にある断熱材も撤去していきます。撤去後は、取り残した釘を抜いていきます。力より技術が必要になる作業です。

 

 ⇒⇒⇒                [作業前]                          [作業後]

 

 

―――――――――――――《 床板の泥出し 》―――――――――――――

 床下のスペースは狭いため、大きな作業道具は使えません。園芸用の小さいスコップや片手用のクワなどを使い、少しづつ泥を集めて撤去していきます。家の被災状況次第で、溜まる泥の高さが1cm程度の場所もあれば10cm以上の場所もあり、その量には天地の差があります。

                 [作業前]                          [作業後]

 

 上記以外にも、被災した学校のグランド整備、支援物資の仕分けや運搬、避難所の運営補助...など、現地からのニーズに応じて作業内容は様々です。

被災から得た2つの教訓

 茨城県常総市で活動した時、自宅が被災した人から、被災経験から得た教訓を聞きしました。

 

 今回の災害で学んだことは、やっぱり自立心だね。

 私も自分が被災したから分かったんだけど、被災直後の自宅を見ると、自分ではどうしたらいいか分からなくなったのさ。うちは、床上50cmも泥が堆積しててね。その光景を最初に見た時は 「もうダメだな〜」 って、お先真っ暗になったよ。

 でも、この地域は役所から近所の人までみんな被災してるから、待ってるだけじゃ誰も助けてくれないのさ。結局、自分自身で向き合うしかないから 「何があっても、自分が責任を持ってきれいにするぞ...」 と覚悟を決めて取り組み始めたんだよ。すると、不思議なことに、最初は1人だと思ったんだけど、少しづつ周囲からのサポートを受けれるようになって...あの、山のようにあった泥が、今では全部片付いたんだよ。

 自立しようとする気持ちは、大切だな〜ってしみじみと感じたよ。

 

 あともう1つは、プラス思考だね。

 私は会社を持ってるから、普段は頭で考えて分析するクセがあるんだけど、被災直後は考えてもダメだったね。周囲の環境がマイナス過ぎて、いくら考えても改善の糸口が見えなかったんだよ。逆に、考えるほど不安が増して、深刻になる一方だったね。一度は会社をたたもうとさえ考えたから。あの時ほど、鬱になる人の気持ちを理解できた時は、今までの人生で無いよ。

 「これ以上考えたら頭がパンクする」 と思ったから、逆に開き直ることにしてね...「まあ、いつか何とかなるさ!」 の精神で、バカなくらいのプラス思考で、あまり考えないようにしたよ。でも後から振り返ってみたら、それが良かったんだよね。プラス思考に切り替えると、まるで運気が来たみたいに物事が好転し始めて、今では会社再開の目処が立ち始めてるんだよ。

 

 (堤防決壊から)2ヶ月経って、何とかここまで来たかって感じだね。今回の災害は本当に大変だったけど、そこから得た教訓もたくさんあったよ。

 

その中でも...

     自立心 プラス思考

                ...苦労して学んだことだから、これからの人生に生かさなきゃね。

 

 話をお聞きしながら、自立心やプラス思考の重要性を感じました。

次は自分が駆けつけたい

 茨城県常総市の災害ボランティア活動をした時、現地の依頼者さんから聞いた話です。依頼者さん宅は決壊した堤防の近くにあったため、家や倉庫の中に土砂がたくさん流れ込んだようです。

〇絶望から希望へ

 (被災後に自宅へ戻ってみると)建物の外観は大丈夫でしたが、屋内は被災してグチャグチャでしたよ。その光景に圧倒されたのですが、「とりあえず何とかしなきゃ」という思いになって、できるところから片付け始めたんです。でも、なかなか片付けが進まなくてね。諦めかけていたある日、ふと近所を見ると、ボランティアさんが作業している光景を見たんですよ。「もしかしたら、自分も頼めるのかな?」と思ったので聞いてみると、うちにもすぐ来てくれたんですよ。本当に助かりましたね。

 

 最初は10人来てくれたんですけど、うちに泥がたくさんあるのを見て、次の日は20人以上来てくれて...聞いてみると、いろんな人たちがいましたよ。20代から70代まで老若男女問わず、北は東北、西は関西・九州からも駆けつけていて。ボランティアは初めての人が意外と多かったのには驚きましたね。

   

 数日手伝ってもらうと、あっという間にこうなった(泥や片付いてコンクリートが見えてきた)んですよ。最初は「もう、何もかも終わりなのかな...」って “絶望” してたのにもしかしたら、またここに住めるかもしれない」って “希望” が見えたんですよ。 “人の力”ってすごいですね。

 

 

〇変化した自分の気持ち

 実は私、2011年の東日本大震災の時に、ボランティア “する側”で現地に行こうとしたんですよ。でも、自分はボランティア未経験だから逆に迷惑をかけるかな...とか、ここからだと結構距離もあるしな...と思って、結局、一歩が踏み出せなかったんですよ。今からしてみれば、あの時の自分は勇気を出せなかったんですね。

 

 でも今回、ボランティア “してもらう側” の立場になって、ボランティアの大切さをすごく身に染みたんですよ。そこで 「3.11の時、なぜ自分は行かなかったのか?」 という後悔の思いと、「今後、日本のどこかで災害が起きた時は、次は自分が行かなきゃな」って、すごく思いましたね。

 

 以上です。助け合いの輪は、こうして拡大していくのだと思いました。

 

ジャガイモ20kgで作った料理は?

2015年8月9日、石巻市の大街道地区で行われた “ポテチ祭り” のお手伝いをしました。お祭りのメインは、名前の通り 『自分たちで植えたジャガイモを収穫して、手作りポテトチップスを作ろう!』 というものでした。

 

   収穫したジャガイモ ⇒⇒⇒ 完成したポテトチップス

≪問題≫

100グラムのジャガイモを調理すると、何グラムのポテトチップスになるでしょうか?→正解は、本文の中!

 

 具体的には、下記の手順で進行しました。

1.苗植え

 お祭りの数カ月前、支援物資でいただいたジャガイモの苗を、子供たちが畑に植えました。

2.収穫

 お祭り前日、大人たちでジャガイモ畑を整備し、一部だけ収穫しました。収穫量は20kg。

 

3.皮むき

 お祭り当日、子どもたちがジャガイモを収穫すると同時に、前日収穫しておいたたジャガイモを洗い、皮を丁寧にむきます。

 

4.スライス

 スライサーを使って、ジャガイモを薄くスライスします。ポイントは、厚くスライスするより、薄くスライスした方が “カラッ” と美味しく仕上がります。

5.乾燥

 スライスしたジャガイモを、一枚づつキッチンペーパーの上に並べて乾かします。

6.計量

 測りを使って、ジャガイモを100グラムづつ小分けにします。

7.フライ

 2分半〜3分位かけて、きつね色になるまで油で揚げます。たくさんの量を一気にやると “カラッ” と仕上がりにくいため、小分けにした100グラムづつ揚げます。

 

8.袋詰め

 揚げたものを30グラムづつ袋詰めして、袋の口を閉じます。100グラムのジャガイモを揚げると、イモの中の水分が蒸発して軽くなり、30グラムのポテトチップスになります。

 

9.味付け

 子供たちに配ったら、好きなフレーバーを入れて袋を閉じ、シャカシャカ振って味付けします。フレーバーは、全14種類。王道であるオニオンやコンソメに始まり、のり塩やマヨネーズ、驚いたのはハチミツです。

 

10.実食

 合計で20kgのジャガイモをポテトチップスにして、全て完食です。ちなみに、大人たちに人気があったフレーバーは、オニオンコンソメです。

 

【食べた人たちの声】

「作りたてなので、市販のものよりカリカリしてて、とても美味しかったです。」

「原材料がジャガイモのみで保存料や添加物が何も入っていないので、食べていても薬のような感覚が全く無く、安心して食べれました。」

「いろんな味が試せるので、とても楽しく食べれました」

100回訪れた場所

2015年 3月 11日

 石巻市にある『がんばろう石巻』の看板の場所へ行きました。新たな市街地をつくる区画整備事業が2014年後半から本格化したため、まちづくりの工事が徐々に進んでいました。

 私がこの場所を訪れた回数は、気付けば100回以上になっていました。看板の前でお祈りをしていると、過去にこの場所を訪れた時のことが思い出されたのです。

 

2011年の頃...

2011年 5月

 がれきが街にたくさんありました。ボランティア活動では、毎日がれきの撤去を行っていました。お祈りをすると、寂しさや悲しさ、ざわざわした雰囲気をよく感じました。そのため、看板の前では祈らないようにしていた時期もありました。

 

2013年の頃...

2013年 5月

 この頃は、がれきが街からほとんど片付きました。ボランティア活動では、がれき撤去はほぼ落ち着きました。お祈りをすると、暖かさや前向きな気持ち、落ち着いた雰囲気をよく感じました。そのため、この場所で祈る時間が増えました。

 

この日(2015年3月11日)は...

2015年 3月11日

 お祈りをしていると、不思議な感覚を覚えました。合掌した手がポカポカと温かくなってきたのです。まるで、合掌した手と手の間に小さな豆電球を入れたような感覚でした。それと同時に、心も温かくなってきました。まるで 勇気 をもらったような、生きる力 をもらったような、そんな不思議な気持ちになりました。

 

 これらの現象を通して私が感じたことは...

『亡くなられた方たちの願い。

 それは、死んだ恨みを晴らすことではなく、生き残った人が幸せになること。

 

 この場所で捧げられた多くの人たちの真心や祈りによって、被災地の雰囲気が大きく変化していると肌で実感しました。

 

冷めたハンバーガーも美味しい?

 2015年3月に被災地ボランティアに参加したメンバーの声を紹介します。

 

 ボランティアの活動後、夕食を食べようとお店に行って注文した時、レジの店員さんから聞かれました。

 店員さん 「この辺りでは見かけない顔ですね。こちらには、観光か何かで来られたんですか?」

 ボランティアだと伝えると、とても驚かれていました。注文してしばらく待つと、先程の店員さんが料理を運んで来てくれました。

 

 食べようとした時、先程の店員さんが私たちのテーブルに来ました。

 「それにしても、先程はビックリしましたよ。まさか、震災から4年以上が経過した今でも、ボランティアさんがいるなんて全然知りませんでしたよ...」

 話によると、この人は実は店長さんでした。そして、震災当時の話をしてくれました。

 「…実は、私も家が被災して取り壊したので、今は仮設暮らしなんですよ…」

 店長さんは震災の時、この店にいたおかげで助かったようです。しかし、ご自宅を失い、家族も一人亡くされたそうです。4年前の出来事なのに、とてもリアリティーがありました。

 

 

 印象的だったのは、このフレーズでした。

「…あれから4年も経ったのに、心の傷って全然癒えないですね...。

 あの頃の記憶が鮮明に残っているから、まるで最近の出来事のように思えるんですよ。」 

 直接被災しなかった私にとって、震災というものは “4前” の出来事です。

 しかし店長さんにとっては、震災が “4前” の出来事なのだと思いました。

 

 

私 「いただきま〜す!」

 店長さんの話が終わって食事を始めたのですが、時すでに遅し、私のハンバーガーは既に、冷めきっていました。(涙)

「こんなに冷めたハンバーガーを食べたのは初めてだな。

 でも、こんなに美味しいハンバーガーも初めてだな...。」

 食べ終わった後、不思議なことに、こう思ってる自分がいました。

広がる温度差

 震災から3年経った(2014年3月)頃に、被災地に住む数名の方から聞いた話をまとめました。

 

『復興は、もう終了したんですか?』

…遠方の人から、よく聞かれるフレーズだよ。

 

2011年7月 (災害から4ヵ月後)

↓ ↓ ↓

2013年3月 (災害から2年後)

 

 この場所に元々あった町を(100)として、地震と津波で一面ががれきになった町を(−100)とした時に、この町に住んでいる人に聞くと...

〇ボランティアが持ちやすい印象

 「震災直後(−100)と比べると、ガレキがほとんど無くなった(0)ので、だいぶきれいになりましたね〜。

 「元々のイメージ(−100)と全然違った(0)ので、安心しましたよ〜。

   (良かった・安心した・ホッとした…等)

〇地元の人が持つ印象

 「震災前(100)と比べると、元々の町が無くなったまま(0)なので、まだまだこれからだな...。

 「これだけ頑張っても、あの頃(100)に全然戻ってない(0)からね。これから先、不安だな...。

   (心配・不安・ため息をついた…等)

 

 

2011年3月末 (災害直後)

↓ ↓ ↓

2012年4月 (災害から1年後)

↓ ↓ ↓

2013年3月 (災害から2年後)

 

 元々あった家(100)が、津波で壊れてしまい(−100)、新しく再建した(100)という人に聞くと...

〇ボランティアが持ちやすい印象

 「被災して住めなくなった家(−100)が、こんなに早く新しい家(100)になるなんて、すごいですね。」 

〇地元の人が持つ印象

 「元々の家(100)が震災以降ずっと住めなかったんだけど、やっと元(100)に戻って、ホッとしたよ。

 

 

『復興は、もう終了したんですか?』

・・・と聞かれた時、最近はこう答えてますよ・・・

『正直、まだまだですね。おそらく、本番はこれから だと思いますよ...』

 

 話を聞きながら私が感じたのは、ボランティアと被災者との間の温度差でした。

  ...これを、少しでも埋めていきたいと思いました。

津波よりも大変だったことは…

 

 2014年8月下旬、依頼を受けて雑草の除去をしました。午後の作業をしていた時...

 「さあさあ、少し休憩して、コーヒーでも飲んで!」

 現地のお母さんからの差し入れでした。

 

 

「・・・この辺りは殺風景でしょ?でも、震災前はここ、家がずら〜っと並んでいたのよ。あの頃(震災直後)から3年以上も経った今では、なんにも無くなっちゃったわ...良くも悪くもね。

 『きれいになりましたね〜』 って言う人もいるけど、私にとっては 『寂しくなったわね〜』 っていう感覚の方が強いわ。親戚や友人も、7割位はいなくなっちゃったしね・・・

 その場所は最初、雑草が生い茂った空き地に見えたのですが、よく見てみると、家の基礎部分がほとんどの場所に残っていました。お母さんの話を聞いていると、震災前は家が建ち並んでいたはずの場所か...と、なんとなくイメージできました。

 

 

 お伺いした話の中で、印象的だった言葉があります。

「・・・もちろん津波も大変だったけど、その後の生活の方が大変だったわ。

 震災から三年以上たった今だからこそ、少し落ち着いてはきたけど、震災から1年、2年の頃は、とっても大変だったの。

  『震災後の生活がこんなに大変なら、いっそのこと、自分も津波で死んじゃった方が良かったのに。自分は、なぜ生き残っちゃったんだろう?』  と、何回も思ったわ・・・」

 声には出していませんでしたが、そこにいた誰もが 「えっ?」 という表情をしていました。

 

 

 作業が終わった後、メンバーは口々に言っていました。

「被災した方たちの “苦労” や “心の傷” が、如何に重く、辛く、深刻だったのかが伝わってきました。」

災害現場を渡り歩く中で…

 伊豆大島で災害ボランティアをした時、あるボランティアリーダーに出会いました。

 東日本大震災後に災害ボランティアを始めた方でした。震災後は、自然災害が起きれば関東や関西、九州に至るまで全国を駆け回りながら災害支援をされていました。最近では、ボランティアセンターの運営面の補助をすることが多いようです。まさに、縁の下の力持ち的存在です。

 今では仕事まで辞めて、ボランティア活動に専念しているようです。

 様々な災害現場を支援する中で感じた心境を、二つお伺いしました。

 

 

? 災害現場を支援する時に大変なこと

「災害支援と一言で言っても、支援の形は地域によってバラバラだということですね。

 不思議なことに、災害の内容が全く同じだったとしても、そこに対する支援方法は地域によって全く違うんですよ。

 例えば、地域によって...

  ・災害の規模が違う。

  ・ボランティアセンターの人員が違う。

  ・現地に住む住民の特色が違う。

  ・集まるボランティアが違う。

  ・ボランティアが、どの作業までお手伝いするかも違う。

  ・復興に対する熱意が違う。

 それらの違いを把握したうえで、その地域にとっての最善の支援体制を構築すること。そこが大変ですね。一旦体制ができてしまえば、あとは時間の問題ですから。」

 

 

? 仕事を辞めてまでボランティアに懸ける理由

「…続けることができてる理由は、やっぱり ご縁 ですね。東日本大震災後に、一時 “絆” って言葉が流行ったじゃないですか。あれに近い感覚ですよ。行く先々における様々な人との出会い、そこから生まれる人と人とのご縁。

 例えば、東北のとあるお寺で出会った住職さん。京都の災害現場で出会った大工さん、九州の災害現場で出会ったあの人...そして、ここ伊豆大島の人。思い出深い人が全国にいるんですよ、そういう人たちとの間で結ばれたご縁ですね、今の自分があるのは。

 今、僕自身が活動を続ける理由といえば、一番は “ご縁” ですよ。

 

 

数日後、この方は、また別の災害現場へ行ってしまいました...