関東・東北豪雨から2年

2015年の関東・東北豪雨では、茨城県常総市内を流れる鬼怒川の堤防が決壊したことで、市内の約1/3(40㎢)が浸水被害を受けて、住宅5000棟以上が全半壊しました。発災から2年後、堤防の決壊場所近くに石碑が設置されました。

1.発災当日(2015年9月10日)

鬼怒川の堤防が決壊しました。

・決壊場所:常総市三坂町

・水位:観測史上最高水位である8.06mを記録しました。

・決壊幅:約200mにわたって川が決壊しました。

・道路寸断:決壊場所の隣を通る県道が約57m寸断されました。


 

2.堤防決壊付近の様子の変化

 

    発災1カ月後 ⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒ 発災1年半後

 

    発災1カ月後 ⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒ 発災1年半後


 

3.発災から2年後(2017年9月10日)

写真:毎日新聞 2017年9月12日「常総水害2年 記念碑設置し黙とうささげ 安心、安全な地域づくり誓うより引用

鬼怒川の堤防上で、決壊した現場を見渡せる場所に石碑が設置されて、除幕式が行われました。市長は「誰でも立ち寄れるようにして、水害を伝えていきたい」と話し、堤防上をサイクリングロードに整備する予定です。水害の教訓を忘れないように設置された石碑には、表面に「決壊の跡」と刻まれ、裏面には災害当時の天候や被害状況が記されています。

堤防整備は、茨城県内の鬼怒川流域44.3キロ区間で進めていて、全工事完了は2020年度中を予定しています。

復興が仕事です

宮城県石巻市内にある小学校の校長先生から伺った話です。

震災後、宮城県は3月11日を「みやぎ鎮魂の日」と定めたため、石巻市内では小学校が休みとなりました。         2016年3月11日、平日でしたが静かな一日を過ごしていました。

〔2016年3月11日 石巻市内の沿岸地域〕

東日本大震災の発生当時、校長先生は石巻市内の沿岸地域にある小学校に勤務していました。

「あの日はすごい揺れでした。地震と聞くと、普通は5~10秒の揺れをイメージしますが、あの時は3分位揺れてました。」

校舎は被災しましたが、校舎内にいた児童たちは全員避難させることができました。

「ですが、助けられなかった児童が1名いたんです。校外にいた子でした。それ以来、校長としてあの子を助けられなかったことが、ずっと悔やまれてですね …(中略)… 翌年の3月11日には、あの子宛ての手紙を書きました。でも、それを読んでいると、あの子から逆に励まされているような感覚になってですね …もっと頑張らなきゃな、と思った瞬間でした。」

その後、別の小学校へ移動になりました。

「移動になって最初に驚いたのは、移動先も被災した小学校だったということです。不思議な縁を感じました。やり直すチャンスをもらったような …そんな気がしました。」

移動先は、校舎自体が床上1メートルくらいまで浸水し、多くの児童が犠牲になった小学校でした。

「児童たちが負っている心の傷は様々です。余震がある日や遠足の日(海が見える場所へ行く日)は学校に登校できなかったり、体調不良で休む日が増えたり、登校できても授業には出れず保健室で休みがちになったり…5年が経過してある程度は落ち着いてきましたが、ゼロにはなっていません。」

震災当時に1年生だった児童たちは、今月で卒業します。

「今月いっぱいで、この小学校で震災を直接体験した児童がいなくなります。そういった意味では、学校としては一つの節目を迎えたと感じています。今後は、東日本大震災を知らない児童が増えていくので、次の世代に震災のことを如何に伝えたらよいのか…今後の大きなテーマだと思っています。」

14時46分に合わせて1分間の黙とうを捧げました。

「復興が仕事です…」

静かな一言からは、復興という言葉の重みが伝わってきました。