街を活気付ける ”鍵” とは?

2018年11月、被災地沿岸部の街で復興関連の仕事をしている人から聞いた話を紹介します。


震災当時、この街には約15mの津波が押し寄せて街の中心部を飲み込みました。あれから7年半、津波が到達した沿岸部では街の再開発が進みました。沿岸部では堤防が作られ、自宅を無くした人たちは高台へ集団移転し、公園や商店街も作られて新しい街に変わりつつあります。しかし一歩街の中に入ると、震災前と比べて人口が減り、若者の割合も減ったのが相まって活気がなくなり、住民の中でも「隣近所に住んでるのは誰だっけ?」と言う人が増えています。

この状況を見た他地域の人からは、こんな話をよく耳にします。「街並みはきれいですが、ちょっと静かで寂しい感じがします。地域コミュニティを作って、街を活気付けたらどうでしょう?」しかし、これが簡単ではありません。今回自宅を無くした人たちは既に、以下の状況でコミュニティが壊れた経験をしています…

●1回目                            今まで生活してきた自宅を失い、避難所へ移動したとき       (避難所:小学校の体育館や公民館などで雑魚寝する集会所 )  ●2回目                           半年間生活した避難所を出て、仮設住宅へ移動したとき       (仮設住宅:新たな家が見つかるまでの期間に生活する家)   ●3回目                           5~6年生活した仮設住宅を出て、災害公営住宅へ移動したとき    (災害公営住宅:家を無くした被災者向けに建設された家)

復興関連の業種の人たちの間では、こんな表現を耳にします「自然災害で被災すると、コミュニティは3回壊れる。」    被災者は、避難所の生活(半年間) や仮設住宅の生活(5~6年) である程度のコミュニティが形成されたうえで別の場所へ引っ越すことになります。そのため、災害公営住宅へ引っ越して生活が安定する頃には、地域コミュニティを一から作ることに疲れてしまい、ご近所付き合いが疎遠になってしまう人が多いです。

現在、自治会を立ち上げてコミュニティ作りを始めようとしています。今後、この街が活気を取り戻すために重要なことは、堤防を作ったり、新しい建物を建てたり、オシャレな街並みを作ること以上に「❝もっと良い街にしたい❞ と思える人を何人作れるか」だと思います。

海の近くに住むより危険なこと

被災した人たちが教えてくれた教訓を紹介します。東日本大震災の被災地では、こういった地域がありました。

高い津波(10m~15m)に襲われたにも関わらず、目の前に海が見える沿岸部より、そこから少し離れた内陸部の方が犠牲者の割合が高かった。

これは、なぜでしょうか?

〔理由〕

沿岸部の住民は元々、水害に対する危機意識が高かったからです。

実際に沿岸部の住民に聞くと、過去のチリ地震津波(1960年)の話をする人が多いです。更に、ご年配の人であれば昭和三陸地震津波(1933年)の話をする人もいます。この地域で生活すると、家族や学校の先生から津波の話を耳にすることが多いです。その結果、津波を経験していない若い世代も、その多くが水害に対する危機意識を持っていました。

一方、海が見えない内陸部の住民は、その反対でした。話を聞くと、過去の津波が来なかったので、今回(東日本大震災)もきっと大丈夫だろうと思う人が多かったようです。その結果、若い世代の危機意識も、沿岸部と比べて低かったようです。

〔結論〕

津波のことを考えると、❝海の近くに住むこと❞は危険が多いです。しかし、それ以上に危険なのは ❝防災意識が低いこと❞ だと分かりました。