風化は私の心から

「被災した方たちは、心がとても強かったので、逆にこちらが力をもらいました。」
「被災地では笑顔で元気な方が多かったので、安心しました。」
「被災して、もっと深刻に悩まれているのかと思ったのですが、とても前向きだったので安心しました。」

 ボランティアさんからは、こんな声をよく聞きます。その中で私は、最近一つ心配になってることがあります。

 というのも、ボランティアさんたちといろいろ話していると、上で述べた感想に付随した形で、言葉には出ないけど、こういう心境になっている方が多いからです。
「被災した方たちは、心がとても強かったので、逆にこちらが力をもらった。(だから、心の傷も癒えたんだ!良かった!)

 つまり、
 心が強い=心の傷が癒えた
 と捉えているのです。

ではここで、
Question:“心が強い=心の傷が癒えた”でしょうか?

 実際、被災地でずっと活動を続けるボランティアさんたちと話すと、心が強い方、笑顔で元気な方は大勢いるのですが、その中には家族を失い、心に深い傷を負い、今でもその時に負った傷が心深くに刻まれてる方が多いと聞きます。

そういう方たちから聞くのは、
Answer:心が強い=心の傷に負けずに努力してる≠心の傷が癒えた
です。

 ここで、“心が強い=心の傷が癒えた”という捉え方に対して私が心配をする理由が二つあります。

1:心の傷が癒えた→心のケアも必要ない→ボランティアも必要ない→ボランティア精神の低下→忘れ去られてしまう→私の心の中で震災の風化が進む
2:自分の心が1の状態になってしまっていても、自分自ではそのことに気付いてない、というケースが多い

 上記の1,2ようになると、しばらく時間が経ってからハッとします。風化していたのは“周囲の環境”ではなく、“私の心”だったことに気付くのです。

 震災の風化を促進してる要因の一つは、現地の頑張ってる方たちと会った時に持つ“誤解”“安易な安心感”かもしれません。

ボランティアは、がれき撤去が終わったら何をする?

 最近、頻繁に聞くキーワードの一つにこんな言葉があります。

 「子供の支援」

 震災後から、子供に関する話を聞くことは多いです。

「うちの子供は、震災から1年間は怖くて外へ出て遊ぶことができなかった。1年が経って、少しづつ外に出れるようになってきたよ。」
「ご近所さんからは、いじめが多くて大変なんだって話をよく聞くの。」
「震災後は、津波の汚れがちょっと残ってるそこ(集会所)に、子供が怖がって行けなくなっちゃった。」

「ここの学校は、震災前はしっかりした進学校だったんだけど、震災後は徐々に生徒たちが荒れてきて、今では警察官が校舎内を定期的に巡回しないと学校が成り立たない位になった。」
 これらの話はその一例です。

 最近はこんな話も増えてきました。
「子供たちは素直で純粋だから、震災から受けた心の傷は、見た目以上に深い。」
「一般的にも“夢のない子供”や“元気のない子供”が多いとは言われてるが、それとはちょっとレベルが違う。」
「この地域の子供は、夢が“ない”のではなくて、夢を“持ちたいのに持てない”から、見てて危機感を感じる。」
「大人からしても、この地域に住む子供たちの将来が見えない。子供はそんなこと気にしないけど、子供を持つ親は不安。」

 現地では、子供が受けた心の傷に対する問題意識を持ってる方がとても多いです。
 なぜか?

「傷というものは普通、時間の経過と共に治るが、子供が受けた心の傷は時間の経過と共に治らない可能性がある。」
「この傷は、治らないどころか悪化する可能性すらある。実際、悪化してるケースがあるから、今の被災地の環境下だと、更なる悪化の可能性も高い。」
「受けた傷は“数年で治る一時的な傷”にとどまらず、“人生70年の傷”になりかねないし、“命を落とす傷”にもなりかねない。」
「夢を捨てた子供もいる。そんな子は今、とても悩んでる。津波で家が壊れて悩んでるんじゃなくて、夢が無くなったことで悩んでる。」

 これらの問題はがれきと違って、パッと見てもすぐ分からないことが多いので、他の地域から来ると気付きにくいです。

 最近は、子供の支援に取り組んでるボランティアチームが多いです。
 ボランティアにおいては、地域によってニーズが様々なので活動も様々ですが、“子供の支援”はどの地域においても必要だと感じました。

愛情にあふれた現地のお母さん

 あるお母さんから、夕食のお誘いを受けました。

 最初は断りました。その時は私たちのチームも人数が多かったからです。しかし、「もう、人数分作って準備してるから、絶対に来てね!」というお話をいただいたので、お伺いすることにしました。

 お母さんのお宅に伺ってみると驚きました。私たちのチームだけではなく、他のボランティアさんたちも含めて、30名〜40名位招いての夕食でした。しかも、お母さんが一人で40人分の手料理を作っていたのです。

 更に、私たちのチームはそのお母さんから仕事の依頼を受けたことはありません。つまり、食事に誘われた時が、お母さんと初対面だったのです。顔も名前も知らない自分たちを、ただ“ボランティア”ということだけで、ここまで快く食事に招いて下さったこと、その寛大さに驚きました。

「さあ、食べて食べて!ボランティアさんたちにはすごく助けられたから、とても感謝してるのよ。だから、遠慮せずにたくさん食べてね!」

 食事をしながら、震災があった時の話をお母さんから伺いました。

 このお宅は津波が来た時に、二階建ての家の一階部分が津波で埋まってしまいました。なので当然、津波後は家の周囲もがれきだらけでした。お母さんのご家族は避難していて大丈夫だったそうです。

「…それでね、津波が引いた後に家に戻ったんだけど、そこにはもう、信じられない光景が広がっていたのよ。あの光景を目の当たりにした時、何だか不思議な気持ちになったの。あの時の気持ちを言葉にしようと思っても、上手く表現できないのよ。悲しみともちょっと違えば、喜びでもないし…」

 お母さんが話される様子からも、震災後に感じた心境は、本当に言葉で表現できないものだったのだと、よく分かりました。

「…それでね、自分でも驚いたんだけど、津波が引いた後の光景を初めて見た時に、“悲しみ”じゃなくて“笑い”が出てきたのよ。というか、笑いしか出てこなかったの。笑いが出てきた時は最初、自分ってついにおかしくなっちゃったのかな?と思ったくらい。普通だったら悲しくなって泣いたりすると思うんだけど、不思議と私は涙は出なかったの。
 後ろ向きな気持ちは全く出て来なかったのよ。“この家をどうやって片付けようか?”とか、“この地域をどうやって復興させようか?”っていう前向きな発想しか出てこなかったのよ…」

 そして、最低限の自宅の片付けをした後、お母さんは、ボランティアを支える為の炊き出しを始めました。それも、半年以上にわたって毎日、時には40名以上のボランティアさんたちに、お腹一杯になるまで食事を振舞ったのです。

 震災から1年半が経過した今でも、遠方から来るボランティアさんを自宅に泊めてあげたり、ボランティアさんたちを招待して食事をご馳走したり、地域の復興行事に進んで手伝いに行ったり…話を聞けば聞くほど、このお母さんはボランティアさんたちの何倍も、人のため地域のために貢献しているように感じました。

「…不思議なことに、投げ出したくなったことは一度もないのよ。でもそれは、ボランティアさんたちにいっぱい助けられてるからなのよ。だから、本当にありがとね…」

 お母さんは、どういう側面でボランティアさんに助けられてるか聞くと、即答されていました。

「いくつもあるけど、ひとつは笑顔よ!
 ボランティアさんたちの笑顔に、すごく力をもらうのよ。これから頑張ろうとするうえで、十分な力をもらうの。だから、私もボランティアさんの為にもっと頑張りたいし、もっといろんな人を支えたいと思うのよ!」

 このお母さんは、ボランティアに助けられる以上に、ボランティアを助けていると強く感じました。しかし、お母さんは助けられてるという感覚しか持たれていませんでした。

 私自身も、お母さんと話しながらとても感動しました。同時に、とても勇気付けられました。お母さんを通して、強さや優しさ、温かさ、愛情、いろいろなものを感じて、私も心が熱くなりました。

 このお母さんはまるで、ボランティアさんたち皆にとっての、本当のお母さんのようでした。

被災地で生まれた夢

 ある現場で草刈りをしました。ちょっと物足りなさそうに作業をするメンバーを見て、昼休憩の時に現地の方がこの現場に関する話をしてくれました。

「ここは、津波で1階部分が水没して3日間水が引かなかった。津波が引いた後は町中がれきだらけになった地域だよ…」

 この場所は、津波後はがれきだらけだったので、ボランティアさんたちできれいにしました。その後、表面の汚い土を削って捨てて、土地を平らにして、きれいな土を入れました。

「がれきを撤去した後、この場所は今後どういう場所にしようかって話した時に、子供たちの遊び場にしようってなったんだよね。」

 ボランティアさんたちが沢山来たことで、この地域はがれきは徐々に片付いてきました。しかし今でも、細かいがれきの破片はいっぱい残っていたので、小さな子供たちが安心して遊べる場所はほとんどありませんでした。

「そして、フットサルチームの方を招いて、子供たちのサッカー教室を開いたのさ。すると、子供たちが30人集まったよ。小さな子供たちだったから、だいたい皆、お母さんと一緒に来てたね。もちろん、子供たちは普通に楽しそうにサッカーをやってたんだけど、驚いたことに、それを見ていた親たちがほとんど泣いてたんだよね…」

 震災後、子供たちは外で遊びたくても、危なくて親が止めていた。でも、親心としては子供たちを思いっきり外で遊ばせたかった。その光景をやっと見ることができた親が、感極まって泣いてしまったようです。

「そのことがあってから、子供の遊び場はこの地域にとって必要だと確信が持てた。だから、きちんとした芝のグランドにして、子供たちに思う存分サッカーを楽しんでもらえる場所にしよう!ということで芝の種を蒔いた。そして今、少しづつ芝が根付いてきたところなんだよ。」

 とても楽しそうに語られていました。話によると、芝というのは種から蒔いて育てるのが一番しっかり根を張るようです。できた芝を持って来て敷き詰めるだけだと、見た目はきれいだけど、土地への根付きがあまり良くない、だから種から蒔いたようです。予定では、来年になればきれいな芝のグランドが完成するようです。

「今では、ちょっとした夢があってね。それが、このグランドからサッカーの日本代表選手が生まれることさ。もちろん、ここ数日や数年で実現することじゃない。実現するとしても10年後や20年後、30年後かもしれない。だから、夢が実現する頃には自分はもう、この世にいないかもしれない。だからこそ、こういう夢を次の世代の若い人たちへ託したい…それも一つの夢かな。」

 震災後は、ただただ必死に動いていただけだったけど、その中から具体的な夢が出来上がっていったようです。
 そして最近は、夢を考えることが楽しくて楽しくて仕方ないんだと話されていました。

「夢は、自分自身が生きる力の源になってる。夢は、苦しい環境を乗り越える力をくれるよ。逆に夢がなかったら、自分も鬱や精神病にかかっていただろうな〜って思うよ。やっぱり人間は、考えるだけでわくわくする夢を持ってる方が、いい生き方ができるんだな〜って震災後は特に感じるね。」

 最初は、傷付いた子供たちに元気や夢を与えたい一心で活動を始めた。でも今では逆に、その夢が自分の支えてくれている、その夢が自分に生きる力をくれる。この感覚が、自分でも不思議に感じたようです。

 昼休憩が終わって午後の作業を始めたら、みんな草刈りに熱中していました。

多くを学ぶ人の共通点

 最近は、被災した方から「ボランティアに来たら、多くのことを学び、自分の人生の糧にしてほしい」という話をよく聞くので、他のボランティアチームの方と話をしました。
 「ボランティアに来た人たちは、多くの学びを得ているか?」
 その時に話した内容を、以下にまとめました。

 被災地ボランティアに来て活動すると、こんなことを言う人がいます。

「今回は地味な作業が多かったので、学んだことはそんなに無くて、自分にとってはちょっと物足りなかったです。」

 一方で、こう言う人もいます。

「今回は、学ぶことがとても多かったです。自分の人生観まで変わりました。」

 ここで注目したのが、この二者は同じチーム内にいることも多いことです。つまり、活動内容と学びの多さは、あまり関係が無いということでした。

 更に見ていくと、地味な作業をずっとしていて“学びが多かった”と言う人もいれば、様々な作業ができても“学びがあまりなかった”と言う人もいたのです。

 そこで疑問が出ました。

 Question:学びが多い人と少ない人との違いは何か?

 意見を出し始めたら、きりがありませんでした。意見が出過ぎてまとまりませんでした。しかし、まとまらない中でもせめて1箇所くらいは、学びが多い人に共通する部分を見つけよう、ということで話した結果、一つ出ました。

 Answer:学びが多い人ほど、自分が学ぶことを目標にしていない、被災地の助けになることを目標にしてる

 別の言い方をすると

 活動するときの焦点が“自分”ではなく“相手”

 (もちろん、人によって出る意見は様々で、上のAnswerはその一つに過ぎないと思います。)
 これを聞いたとき、一瞬“えっ?”と思いました。どこか逆説的で不思議な話だと思ったので、他のチームの方とも話してみたのですが、この意見に関しては納得していました。

 ボランティアの基本は「自分がやりたいことではなく相手の願いに答えること」だと言われます。その見方からすると、上で出たのは当然と言えば当然の話です。
 しかし、ボランティアをやった人たちと話してみると、当然だけど意外と忘れやすい、でも実は重要なことだと思いました。