守れない約束

先日、現地の人から、近所に住んでいた夫婦の話を聞きました。

 ≪2011年3月11日 午後2時46分 地震発生≫

 【震災の当日】

そこは、震災直後に情報が混乱していたため、多くの人が逃げ遅れた地域です。

ある夫婦が、車に乗って出た直後、背後から津波に追いつかれました。波の勢いでご主人は車の外に押し出され、奥さんは車に乗ったまま流されました。ご主人は運よく、近くの電柱に手が届いたので、電柱の上に登りました。

車は、奥さんを乗せたまま流されていき、見えなくなりました…

 

【震災の翌日】

ご主人は無事でした。電柱にしがみついたまま、一晩を耐え忍んだのです。日の出と共に目に飛び込んできたのはガレキの山。まさに、戦後のような光景でした。考えることが山ほどあったけど、一番の気がかりは奥さんのことでした。

 「一体、どこへ行ってしまったんだ…」

 

【震災から数十日後】

やっとの思いで奥さんを見つけました。

すでに、息を引き取っていました。

発見者の話によると、

「私の家の二階に車が流されてきていた。その近くを通ると、後ろ髪を引かれるような感覚を覚えたから、ここにも人がいるんじゃないかな〜と思ってはいた。自衛隊が来たので調べてもらったら、車の下敷きになって出てきたのが…」

という経緯で発見されたのです。

ご主人は苦しみました。でもご主人は、自分自身以上に苦しんでる人がいることに気付きました。

それは、東京に住む奥さんのご両親…

 

【震災の数年前】

結婚する前、ご主人は石巻に、奥さんは両親と一緒に東京に住んでいました。

両親は、結婚に賛成してくれました。

しかし、

「どうして、そんな田舎に行くんだ。こっち(東京)に来たらいいだろう!」

奥さんが石巻に行くことには反対しました。

「絶対、石巻で娘さんを幸せにします…」

両親を説得して、約束して、奥さんを石巻に連れて来たご主人…

 

【震災から数十日後】

奥さんの両親と交わした約束が、頭の中を埋め尽くしました。

「妻を幸せにするって約束したのに、守れないじゃないか…

 一体、どうやって幸せにしてあげたらいいんだ。

 結局、俺は嘘つきか…」

 

【震災から二年後】

ご夫婦が住んでいたアパートも、きれいになりました。

隣の部屋の人は戻って来ました。

でも、ご夫婦が住んでた部屋は、未だに誰も戻って来ません…

震災を通して出会った生き方

前回に引き続き、UPeace(被災地ボランティア)に参加したメンバーの体験談を紹介します。

 

――――【以下、前回の続き】――――

 2012年Xmas、再び被災地を訪れました。ある日は、現地視察で一年前と同じ場所へ行きました。

【2011年夏に撮影】

 

 【2012年冬に撮影】

 

一年前と比べると、周囲のガレキが減っていたり、慰霊碑が建っていたり、津波の高さが刻まれた柱が立っていたり、雪も降っていたので、景色は全然違いました。しかし、『がんばろう!石巻』の看板だけは、あの時のままでした。

 

この時の作業は、クリスマス会の手伝いや土地の整備でした。

一年前と比べて、最も大きく変化していると感じたのは、現地の人たちの “復興に対する想い” でした。

 

昨年(2011年8月)の時は、今を生きることに精一杯で、復興まで意識がまわらない人が多かったように感じます。しかし今回(2012年12月)は、石巻全体が復興に向けて前進しているように感じました。そして、人と人とのつながりこそが、復興の一番の源になっているように感じました。

 「失ったものは多いけれど、みんなで協力して今を共に生き、希望に向かって頑張っていきます!」

ボランティアに向けて話をしてくれたお母さんの力強い姿が印象的でした。

 

活動最終日の作業後は、津波の爪痕が残る海岸へ行きました。

 【石巻市魚町の海岸】

 皆が口を開けば、同じ話題ばかりでした。

 「こんなに美しい海から津波が来たなんて...」

 「まるで、夢のようだ...」

活動が終わったので、振り返ってみたのです。

 

心に残ったこと!

それは、“為に生きる道”は、与えられる側の幸せになるだけではないんだ。

与える側の幸せにもつながっていくんだ。

それが、“文先生の行かれた道”であり、“世界が一つになる道” なんだ...

 

私の願い!

それは...

人と人との間に育まれた”絆”が、石巻全体に広がり、日本に、世界に広がっていきますように!

そして、ずっと東北を忘れずに、共に前に進みたい!

 

――――【 完 】――――

震災を通して出会った神様

前回に引き続き、UPeace(被災地ボランティア)に参加したメンバーの体験談を紹介します。

 

――――【以下、前回の続き】――――

 被災地ボランティアも後半に入りました。 ある日は、被災した地域の視察に行きました。

目にするもの、耳にするもの全てから、語りきれない深刻な当時の状況を感じました。 

時には作業現場で、時には集会所で、また時には銭湯で、現地の方からいろいろな話を聞きました。

−おばあちゃんの “地獄を見た” と言って涙ぐんだ目...

−震災翌日から探し始めて、今も待ち続けて、それでも帰って来ない愛する子供...

−黒い海水にのみ込まれすぐ隣を流れていく友達の姿...

−がれきに埋もれ、頭だけ出ていた母親の姿...

今回の震災は、現地の方にとって、決して忘れることができない記憶として、そして忘れてはいけない記憶として残ると思いました。それは “過去” のことではなく “今” であり、 “未来につながること” として語り継がれていくだろう...そう思いました。

  

 この期間を通して、人と人とのつながり、 “絆” の素晴らしさを感じました。そして、神様は救いたくても救うことができなかった “痛み” や “苦しみ” を、誰よりも抱え込んでいるのだと感じました。震災が、神様を “見失うきっかけ” になったと同時に、 “新たな関係を結ぶ出発点” にもなったのです。

 

最終日、東京へ帰る日の朝、他のボランティアさんが、私たちを見送ってくれました。

 「いずれ、また、ここに来よう...」

そう思いながら、ボランティア活動が終わったのです。

 

そして、約一年後 2012年 Xmas... 私は、再び石巻を訪れます...

――――【次回に続く】――――

震災を通して出会ったもの

2011年夏と2012年冬にUPeace(被災地ボランティア)に参加したメンバーの体験談を紹介します。

 

――――【以下、メンバーの体験談】――――

 震災が起きた2011年3月11日、揺れている様子を動画で撮り、友達と何回も見ました。

 「神様は私たちを見捨てたのか...」

テレビを見ても、新聞を見ても、ネットを見ても実感が湧かない。やがて無関心になり、他人事のようになりました。募金している人を見ても偽善だと思うようになっていました...。当時の私にとって、震災は神様を見失うきっかけとなりました。

 

そんな時、UPeace(被災地ボランティア)の話を聞きました。

 「神様はもう信じない...そう思っていた。けど...」

私には、一つだけ確かめたいことがありました。

 「...なぜ、こんな悲惨なことが起きたのか?」

何かの衝動に押し出されるように、被災地へ向かいました。 

石巻市内に入った時、私たちを迎えてくれたのは大きな花火でした。その日は偶然、年に一度の夏祭りの日だったのです。

 「この期間は、“何か”がありそうな気がする...」

そんな思いを胸に秘めつつ、被災地ボランティアがスタートしたのです。

 

ある日は、夏の暑い日差しの中で、たくさんのボランティアさんと、生々しい家庭用品が埋もれている側溝を泥にまみれながら掘りました。

ある日は、多くの人が亡くなった地域へ行き、ぐちゃぐちゃになった墓地を掃除しました。人がいない。動物がいない。そんな地域をたくさん見ながら少しづつ現実を受け止めていきました。

ある日は、さまざまな宗教のひとたちと話しました。仕事を辞めたり、生活を捨ててまで復興の為に駆け付ける人もいました。何の報酬も求めずに、ただ汗を流し、現地の人たちに笑顔を与える。そんな人たちと過ごす場所が、自然と温かく、居心地のいい場所になっていた気がします。

“復興”という共通の目標を持てば、こんなにも皆が、本当の家族のような深い関係になれるのだ、と衝撃を受けました。”絆”を肌で感じたのです。

 

あっという間に、前半の活動が終わりました。

 「この地を、もっと復興させたい。

  その先に、何かある気がする...

  まだ、私が気付いていない“何か”が...」

私自身の心が、少しづつ変化していくのを感じつつ、後半の活動に向かっていくのでした...

 

――――【次回に続く】――――

参加者の声 “愛の力は絶大!!”

2013年の3月、ある日の参加者の感想を紹介します。

この日の依頼は、畑作りがメインの作業でした。

――――【以下は、メンバーの感想】――――

作業中、他のボランティアチームも合流して一緒に作業をしました。

その時、合流したチームのリーダーの男性が、僕の赤いジャケットを見るやいなや、気付いたようにこちらに向かって、大股で近付いて来ました。若干強面の男性でした。近付いてくるやいなや、強い口調で声をかけられました。

男性「あんた、統一教会の人なの?」

「...あ...はい。」

その時の雰囲気から、もしかしたら怒られるのかな〜?と思いつつ答えました。

すると、ものすごい勢いで...

男性「いや〜、いつも助かってるよ〜。」

「え?...あれっ?」

 ・・・“感謝” されました。 その時感じたのは、圧倒的な違和感でした。

男性「あれっ?君は〜、今回初めて参加したの?以前来てくれた皆は元気にしてるかなぁ?」

「え?...あっ、は、はい。」

最初は違和感だけでしたが、話を聞いていると、その男性と統一教会との間にある “絆” を感じました。

男性「あれっ?統一教会さんは、今回は何人で来たの?」

「え?…あっ…い、いちおう、4人です。…いつもより人数が少ないみたいで…ちょっと申し訳ないんですが…」

男性「何言ってるの〜。こっちからすると、1人でも嬉しいんだよ。統一教会さんは、みんな頑張り屋さんだから、来てくれるだけで助かるんだよ。それに今は、ほとんどのボランティアチームが撤退しちゃったじゃない。そんな中なのに、ずっと来続けてくれてるでしょ...」

僕は、ここにある “絆” が、以前に来た統一教会員の “愛” が現地に伝わって築かれたのだと、強く実感しました。そして、僕自身が周囲に “愛” を伝えていけば、周囲の人は “僕” を通して統一教会を見てくれるのだと気付きました。

 『愛の力は絶大』 だと感じました。