教員から語り部へ [後編]

東日本大震災の語り部をしている人から聞いた話を紹介します。震災当時、中学校で教員をしていた人です。話の中で、ご自身が学んだ教訓を教えてくれました。

震災は、決して “よかったこと” ではありませんが、“きっかけ” にはなったと思います。例えば、食べたり・寝たり・人と話すなど、今まで当たり前だと思っていた日常生活が、実は当たり前じゃないことに気付いたという人は多いと思います。

私は元々、教員という仕事が好きでした。しかし、震災で娘を亡くしたことで、好きという感情だけでは前に進む力がなかなか湧きませんでした。そんな時に考えたのは、同じように傷付きながらも、入学して来る生徒たちのことでした。家族や親友を亡くしたことで深く傷付いた生徒たちのことを想えば、教員である私が、自身の悲しみだけに囚われていてはいけないと思いました。“生徒たちのために” という思いから、前に進む力が湧いてきました。

その時私は、“何々が好きだ” という気持ちには限界があると思いました。しかし、“誰々のために頑張ろう” という気持ちには限度がありませんでした。仕事や学業などで壁にぶち当たった時は、個人的な好みよりも、他者への思いやりを先立てて行動していくことが大切だと、私は思いました。

震災の翌月に入学してきた生徒たちは、他界した私の娘と同世代になります。私は、娘にしてあげたかったことを、せめて、娘の代わりに生徒たちにしてあげようと思い、生徒たち一人一人を “私の娘だ・息子だ” と思って接するようにしました。すると、どの生徒とも仲良くなれました。まるで本当の家族のように、良い関係を築くことができたんです。

最近は、大人も子供も “むかつく人は無視、気の合う人とだけ仲良くする” という付き合い方をする人が多いように思います。しかしそれでは、人ともめたり喧嘩して関係性がこじれた時に、仲直りする力・修復する力が身に付きません。“誰に対しても家族のように接する” という付き合い方をすることで、人と喧嘩した時も、仲直りして更に関係性を深められるようなコミュニケーション力を育むことが大切だと思いました。

不思議なことに、私は教員を辞めた今の方が、教員をしている気がします。日本という国は、全国どこでも被災地になり得ます。過去の災害と向き合いながらも、未来への学びにしていただけたらと思っています。