『つぎは、私たちの力で叶えたい』

(2013/5/17 「新しく見つけた“夢”」のつづきの話)

 【2011年末】

ボランティアで、あるお店の屋内の解体作業を手伝いました。

【2012年7月】

別のボランティアで、同じお店をお伺いしました。

以下は、その時の話です。

 

解体作業をしてから約半年、久しぶりにお伺いしてみると、お店が普通に営業している様子だったので、嬉しさと共に驚きもありました。

お店に入って見ると、奥からお母さんが来られました。

「あら、こんにちは。確か、以前にボランティアで来て下さいましたよね?」

お母さんは私のことを覚えていて下さったので、すぐに会話が弾みました。

「...いや〜、おかげさまでね、この通り、お店を再開することができたんです。本当にありがとうございます。」

お父さんにも挨拶したのですが、私は驚きました。お父さんが、以前にお会いした時よりも、かなりやせていたのです。

「お父さんはね、あの時(震災直後)が太っちゃってたのよ。ほら、お店がダメになって仕事できなくなっちゃったでしょ。更に鬱にもなっちゃったから、いつもよりも全然動かなくなってね。でも、食事の量は変わらなかったから、その分、太っちゃってたのね。 でも、今はお店も再開したから、お父さんも(震災)以前みたいに、よく動くようになったの。まるで生き返ったみたいに。だから、体つきも元に戻ったのね。」

私を更に驚かせたのは、お父さんの表情でした。以前は暗い表情が多かったのですが、この時はずっと明るい表情だったのです。その表情や雰囲気から、お店の再会を喜んでおられるお父さんの心境が、ひしひしと伝わって来ました。

 

お店の話題になりました。

「震災前と比べると、商品の数は少ないのよ。それに、客足も減ってるわ...。でも、お店を開いてること、営業してること自体が、お父さんにとって幸せなの。そんなお父さんを見てると、私も嬉しくなっちゃって...。

 でもね、実はこの場所、新しい都市計画の中で取り壊しになる可能性がある敷地なのよ。もし、この場所が取り壊しになったら、再びお店を出すだけの資金は無い。だから、実際はいつまでお店を継続できるか分からないけど、可能な限りは、ここでお店を続けたいの...。」

最後に、夢の話題になりました。

「...そうね、“夢” って言葉を使うなら、あの時の夢は 『お店の再開』 だったけど、今の夢は『この場所でお店を続けること』と『お父さんの笑顔が続くこと』かしら。べつに、夢っていう夢じゃないわね。ただ… 前回は、ボランティアさんの力を借りて叶えることができたの。だから次は、私たちだけの力で叶えたいの...

この話を聞いた時、心から感動しました。『街の復興』 と 『心の復興』は、一見別々のように考えてしまいやすいです。    でも、この二つは、実は “繋がっているもの” だと感じました。

 

 

南三陸町におけるボランティア活動

 今年の3月上旬からは、南三陸町でもボランティア活動を行っています。

災害ボランティアセンター受付

  こちらでは、現在でも“南三陸町災害ボランティアセンター”があって、地域からのニーズを収集してボランティアを派遣しています。

 街を見てみると、コンビニは復旧していますが、仮設のコンビニが多いです。

(南三陸町の沿岸地域にあるコンビニ)

  また、町内に復興商店街が数カ所あります。

  

 (南三陸町にある復興商店街)

 しかし、スーパーやホームセンターは町内にありません。なので、スーパー等へ行きたい時は、近隣の登米市や石巻市にまで足を延ばして買い物に行く人が多いようです。今月17日になって、やっと震災後初めてとなる、生活用品全般を扱う大規模常設店(ドラッグストア)がオープンした状況です。

 

 南三陸町で活動する時は、活動後に視察をしています。

(視察の時に行く防災対策庁舎)

  統一教会平和奉仕ボランティア隊(UPeace)では、今後も、南三陸町におけるボランティア活動を継続していきたいと考えています。

新しく見つけた“夢”

2011年末、屋内の解体作業をした時、依頼者のお母さんから聞いた話です。

「ここは元々酒屋さんだったの、津波が来る前まではね。今はもう、見る影も残っていないけど...。」

休憩中に、お母さんが震災直後の時の話をしてくれました。

「津波が来て店が全壊して、営業できなくなったの。

 見ての通り商品も全部やられちゃったから、再開は難しそうだなと思ったから、主人に話したの...。」

話によると、酒屋さんというのは元々、ご主人がお酒好きだったので始めたようです。なので、ご主人にとって“酒屋”というのは、単なる“仕事”にとどまらず、“趣味”であり“楽しみ”であり、“生きがい”だったようです。なので、再開が難しいという旨の話ををご主人に切り出すことが、なかなかできなかったようです。

 

「...いろいろ考えたけど、結局閉店するしかないかな、と思ってね。でも、それを話した途端、主人はすっかり元気を無くしちゃったの。何に対してもヤル気が出なくなっちゃって、主人から笑顔が消えちゃったのよ。 ...しばらく経っても元気にならなくて、完全に鬱になっちゃったの。

でも、そんな時に主人を救ってくれたのがボランティアさんだったわ。朝早くからお店に来て、必死に掃除をしては、笑顔を残して帰って行く。それに、お店もドンドンきれいになっていくから驚いたわ。

ある時、 “これなら、頑張ればお店を再開できるかもしれない” と思ったから、主人に話したの。そしたら(主人が)希望を持ち始めてね。見違えるように、ドンドン元気を取り戻していって...。

 今では、お店の営業再開っていう “夢” を持って、前進しているのよ。」

 

数か月後、このお店が、リニューアルオープンを果たします。【つづく】

 

 

命懸けの選択 ≪アクセルか?ブレーキか?≫

東日本大震災から半年が過ぎた頃、あるお宅でがれき撤去をしていました。すると、休憩中に依頼者のお母さんが震災当時の体験談を話してくださいました。

以下の内容は、その体験談です。

 

【2011年3月11日 午後2時46分 東日本大震災  M 9.0】

当時自宅にいた私は、様々な情報が錯綜する中で、避難するのが遅くなってしまいました。

自宅は海の側にあったため、当時の私は焦っていました。車に乗って逃げました。後ろの席に、小さな子供を二人乗せていました。海から遠ざかる方向に車を走らせました。ルームミラーから後ろを見ると、車のはるか後ろの方から津波が迫って来るのが見えました。その瞬間、自分の目を疑いました。一瞬時が止まったような感覚に陥った後、“ハッ”と我に返ったように全力でアクセルを踏む自分がいました。

その時です。車を運転しながら、一瞬横を見ました。すると、隣の家の二階の窓からおじさんが体を乗り出していました。ふと目線が合い、こちらを見て必死に叫んでいました。

「助けてくれー!」

その瞬間、時が止まったかのようでした。

「えっ!?どうしたらいいの??」

あらゆる想いが頭の中を交錯しました...

「あのおじさんも助けなきゃ...おじさんを車に乗せても、ギリギリ逃げ切れるんじゃないか...でも、今ブレーキを踏んだら、おそらく津波に追いつかれる...母親として、この子供たちを守りたい...でも、あのおじさんを見捨てることもできない...いっそのこと、私と子供たちも、一緒にこのお宅の二階に避難しようか...?」

いろんな想いが交錯しても、結論はハッキリしていました。

「ブレーキを踏むかアクセルを踏むか二つに一つ。どちらも踏みたいが、どちらかしか踏むことはできない...」

一瞬の判断を迫られた私は、考えるよりも、直感で行動していました。

「__踏んでいたのは、アクセルだった...」

津波に追いつかれそうになったけれど、ギリギリ逃げ切ることができ助かりました。子供たちも無事でした。母親としての責任を果たせた気がして、ホッとしました。

おじさんのことが気になっていたので、数日後におじさんの家まで行って見ると、家はありませんでした。後から地元の方たちとの会話の中で、おじさんは亡くなったと知りました。

 

半年後...

おじさんの 「助けてくれ!」 と叫んだ声が、私の耳から今でも離れません。こちらを見ながら深刻に助けを求める表情が、私の脳裏に焼き付いています。

あの時 “アクセルを踏んだこと”... それは、二人の子供に責任を持つ “母親” としての判断 は、正しかったのかもしれません。

しかし、“ブレーキを踏めなかったこと”...一人の “人間” としての判断 は、果たして、正しかったのだろうか?