自然災害の捉え方

東日本大震災の発災当時、被災した地域の新聞社で働いていた方から聞いた話です。

震災当日、津波は新聞社の2階の床上まで届いてしまいました。 電気機器がやられ、1週間ほど印刷できない状況になりましたが、その間も紙とペンだけで手書きの新聞を発行し続けました。

震災翌日、複数の避難所の壁に新聞を張り出すと、「助かります」や「待ってたよ」という声と共に、多くの人が食い入るように読んでいました。ただ、記事の内容としては被害情報などの暗いニュースが多かったため、紙面の上段には、できるだけ良いニュースや希望的なニュースを載せるようにしました。取材中にご遺体を発見することもあったため “いつか、親しい人の不幸に遭遇するかもしれない” と、覚悟して取材しました。どんなに辛い話からも逃げず、事実と対峙しようとする姿勢が求められました。

私は、自身が被災者という立場でありながら、被災者から話を聞く立場でもあったため、様々な角度から震災を見つめました。また、新聞社という職場環境のため、良くも悪くも震災に関する様々な情報が集まり、震災と向き合う毎日でした。そんなある日、私の中で震災というものの捉え方が変わりました。私が被災した理由は、“私の運が悪かったからだ” というより、“私が託されたからだ” と捉えるようになったんです。

東日本大震災は “1000年に1度” と言われますが、その “1度” に遭遇した被災者が「なぜ今なんだよ」「運が悪かったのか?」「誰を恨めばいいんだよ」「バチが当たったのか?」「先祖が沿岸地域に街を作ったせいで、子孫の我々が痛い目にあった」と思うのは当然です。私も、被災直後は「(自然環境に対して)ここまでやるかよ」と思いました。

その一方で、「起きたことは仕方ない」「私が前を向けば、子供も笑顔になる」「震災前より良い街に変えることが供養になる」「私が努力次第で、未来の津波から子孫を救える」という捉え方をする人たちもいます。私にとっては、こういった前向きな捉え方の方がしっくりきました。

私は、震災を大きな課題だと捉えています。この課題は既に託されたので、逃げることはできませんが、向き合って取り組めば解決もできます。ただ、解決するためには、ものすごい苦労や努力が必要です。それが嫌なら、課題に取り組まなくても誰も文句は言いません。あとは自分次第です。私は使命感を持って、この課題に取り組んでいるつもりです。この1000年に1度の課題を解決すれば、1000年先の子孫までは同じ辛さを経験させなくて済むだろう。その分、未来は今より平和になるだろうという捉え方をしてます。

毎日忙しく、苦労も多いですが、使命感のような感覚があるからか、不思議と嫌にはなりません。

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