東日本大震災の被災地支援をきっかけに被災地へ移住した人から、ご自身が移住するきっかけになった話を聞きました。
東日本大震災から2週間後、私は物資支援が目的で被災地へ行きました。長期滞在すると現地にとっても迷惑だと思い、物資を現地へ届けたらすぐ帰るつもりでした。当時はまだ、物資がほとんど届かずに困っている地域もあると聞いていたため、被災地の中でも、より物資が不足していそうな地域へ向かいました。
現地へ到着すると、その光景の悲惨さに驚きました。最初はボランティアする予定は一切無かったのですが、地元の高齢の人たちが必死にがれきを片付ける様子を見たら「これは、手伝わなきゃいけない」と思い、軽い気持ちで手伝い始めました。すると、作業を始めて間もなく「ちょっと、そこのお兄さ〜ん。こっちも手伝って〜」と、誰かから呼ばれました。振り向くと、遠くにいるお母さんが私を呼んでいたので、小走りに行ってみると「お兄さん、あれを降ろしてくれない?」と言われました。お母さんが指差す方向を見ると、電柱の上に何かが引っかかっていました。最初は何か分からなかったので、電柱に近付いてよく見てみると、それは既に息絶えた “人” だったのです。それが分かった瞬間、私はすごく怖くなりました。お母さんからは「何とか降ろしてくれないかな?…お兄さん、力持ちでしょ?」と頼まれるのですが、私は足の震えが止まらなくなりました。それでも私は「何とか、この人の力になりたい」と思ったのですが、結局、その時はその場から一歩も動くことができませんでした。
これが、私にとって最初のボランティア活動でした。
その後、被災地における深刻な人手不足を痛感した私は、ボランティア活動を始めました。活動場所は、元々震災前から高齢化が進んでいたため “限界集落” と呼ばれていた地域を選びました。災害ボランティアセンターのサテライトを設置する話が出た際も、地元住民ではなく、よそ者の私がリーダーに任命されてしまうくらい、若い人(30~40代の働き盛り世代)が少ない地域でした。
それから数ヵ月が経過した、ある日の出来事です。
私が活動していた町で、被災した人たちを元気付けようと、よさこいのチームが公演に来てくれました。震災後は皆、慣れない避難所生活や自宅の泥出し、職場の再建などで忙しく、イベントや行事をやる雰囲気でもありませんでした。そのため、住民にとっては久しぶりの息抜きの場ということで、私も住民の方から誘われて、一緒に見に行きました。
会場へ着くと、よさこいのチームが舞台に立ち「皆さん、本日は私たちのよさこいを見に来てくれて、ありがとうございま〜す!」と挨拶をしていました。続いて、「最初にお見せするのは、皆さんもどこかで聞いたこがあるであろう曲、ソーラン節です!…では、始めます!」と、演目がスタートすると、会場が “待ってました” とばかりの盛り上がりを見せました。
すると、私も住民の方と一緒に盛り上がり始めた時です。急に後ろから、誰かに “トントン” と肩をたたかれて「申し訳ありませんが、ちょっと、こちらへ来ていただけますか?」と、小声で言われました。イベント会場を抜けて着いて行くと、自衛隊員の方がいて「お取込み中すいません。ちょっと、遺体の身元確認お願いします!」と頼まれました。数件対応すると「…以上です。ご協力に感謝いたします!」と言われて、私は再びイベント会場へ戻りました。すると、住民の方から「あれ?どこへ行ってたの?」「さっきは、かなり盛り上がってたんだよ。」と言われたので、「すいません。ついつい、トイレが長くなっちゃって…」とごまかして、何も無かったかのように住民の輪に入りました。
私は、あまりにも極端過ぎる環境の変化に不思議な感覚を覚えましたが、その変化にも、いつの間にか慣れてしまっていました。
この出来事は、私にとって非常に印象的でした。しかし、その出来事以上に印象的だったのが、私自身の心境の変化でした。最初は、ご遺体を前にするとカナヅチだった私が、気付いたら、当たり前のように遺体の身元確認をしていたのです。この出来事を通して “慣れること” のすごさを感じましたが、同時に恐ろしさも感じました。人は、継続する物事に対して “良くも悪くも” 慣れてしまうのだと痛感しました。
震災二ヶ月後、わざと罪を犯して捕まった自衛官のニュースが話題になりました。なぜ罪を犯したのか聞くと、「罪を犯して捕まれば、もう、被災地に行かなくて済むからだよ…」と答えたそうです。私はこのニュースを聞いた当初、なぜ自衛官がそこまでするのか全く理解できませんでした。しかし今なら、その気持ちも分かります。この自衛官はおそらく、私と同じことに慣れるのが嫌だったのだろう、と思いました。
一旦、物事に慣れてしまえば、そこから過度なストレスを感じることも無いので、楽ではあります。そう考えると、私の感じた慣れは、悪いことではないかもしれません。
しかし、決して良いことでもないように思いました。「この慣れは、他の人には味わってほしくない」と思ったことが、私が被災地へ移住する一つのキッカケになりました。