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100回訪れた場所

          2015年 3月 11日

  石巻市にある『がんばろう石巻』の看板の場所へ行きました。新たな市街地をつくる区画整備事業が2014年後半から本格化したため、まちづくりの工事が徐々に進んでいました。

私がこの場所を訪れた回数は、気付けば100回以上になっていました。看板の前でお祈りをしていると、過去にこの場所を訪れた時のことが思い出されたのです。

 

2011年5月は…

  がれきが街にたくさんありました。ボランティア活動では、毎日がれきの撤去を行っていました。お祈りをすると、寂しさや悲しさ、ざわざわした雰囲気をよく感じました。そのため、看板の前では祈らないようにしていた時期もありました。

 

2013年5月は…

  この頃は、がれきが街からほとんど片付きました。ボランティア活動では、がれき撤去はほぼ落ち着きました。お祈りをすると、暖かさや前向きな気持ち、落ち着いた雰囲気をよく感じました。そのため、この場所で祈る時間が増えました。

 

この日(2015年3月11日)は…

  お祈りをしていると、不思議な感覚を覚えました。合掌した手がポカポカと温かくなってきたのです。まるで、合掌した手と手の間に小さな豆電球を入れたような感覚でした。それと同時に、心も温かくなってきました。

まるで 勇気 をもらったような、生きる力 をもらったような、そんな不思議な気持ちになりました。

 

これらの現象を通して私が感じたことは…         『亡くなられた方たちの願い。それは、死んだ恨みを晴らすことではなく、生き残った人が幸せになること。

この場所で捧げられた多くの人たちの真心や祈りによって、被災地の雰囲気が大きく変化していると肌で実感しました。

冷たいハンバーガーの味は?

2015年3月、東北ボランティア参加者の声を紹介します。

ボランティアの活動後、夕食を食べようとお店に行って注文した時、レジの店員さんから聞かれました。           店員さん 「この辺りでは見かけない顔ですね。こちらには、観光か何かで来られたんですか?」               ボランティアだと伝えると、とても驚かれていました。注文してしばらく待つと、先程の店員さんが料理を運んで来ました。

 

 食べようとした時、店員さんが私たちのテーブルに来ました。「それにしても、先程はビックリしましたよ。まさか、震災から4年以上が経過した今でも、ボランティアさんがいるなんて全然知りませんでしたよ…」                   話によると、この人は実は店長さんでした。そして、震災当時の話をしてくれました。

「…実は、私も家が被災して取り壊したので、今は仮設暮らしなんですよ…」                       店長さんは震災の時、この店にいたおかげで助かったようです。しかし、ご自宅を失い、家族も一人亡くされたそうです。4年前の出来事なのに、とてもリアリティーがありました。

印象的だったのは、このフレーズでした。         「…あれから4年も経ったのに、心の傷は全然癒えないですね…。あの頃の記憶が鮮明に残っているから、まるで最近の出来事のように思えるんですよ。」 

直接被災しなかった私にとって、震災というものは “4前” の出来事です。しかし、店長さんにとっては、震災が “4前” の出来事なのだと思いました。

 私 「いただきま〜す!」

 店長さんの話が終わって食事を始めたのですが、時すでに遅し、私のハンバーガーは既に、冷めきっていました。(涙)   「こんなに冷めたハンバーガーを食べたのは初めてだな。   でも、こんなに美味しいハンバーガーも初めてだな…。」   不思議なことに、食べ終わった後、こう思う自分がいました。

広がる温度差

 震災から3年経った(2014年3月)頃に、被災地に住む数名の方から聞いた話をまとめました。

 『復興は、もう終了したんですか?』             …遠方の人から、よく聞かれるフレーズだよ。


 2011年7月 (災害から4ヵ月後)                     ↓ ↓ ↓

 2013年3月 (災害から2年後)

  この場所に元々あった町を(100)として、地震と津波で一面ががれきになった町を(−100)とした時に、この町に住んでいる人に聞くと...

A. ボランティアが持ちやすい印象                   「震災直後(−100)と比べると、ガレキがほとんど無くなった(0)ので、だいぶきれいになりましたね〜。」                   「元々のイメージ(−100)と全然違った(0)ので、安心しましたよ〜。(良かった・安心した・ホッとした…等)

B. 地元の人が持つ印象                        「震災前(100)と比べると、元々の町が無くなったまま(0)なので、まだまだこれからだな...。」                       「これだけ頑張っても、あの頃(100)に全然戻ってない(0)からね。これから先、不安だな...。」                      (心配・不安・ため息をついた…等)


 2011年3月末 (災害直後)                        ↓ ↓ ↓

 2012年4月 (災害から1年後)                       ↓ ↓ ↓

 2013年3月 (災害から2年後)

 元々あった家(100)が、津波で壊れてしまい(−100)、新しく再建した(100)という人に聞くと...

〇ボランティアが持ちやすい印象                    「被災して住めなくなった家(−100)が、こんなに早く新しい家(100)になるなんて、すごいですね。」 

〇地元の人が持つ印象                        「元々の家(100)が震災以降ずっと住めなかったんだけど、やっと元(100)に戻って、ホッとしたよ。


『復興は、もう終了したんですか?』             …と聞かれた時、最近はこう答えてますよ…                『正直、まだまだですね。                 おそらく、本番はこれから だと思いますよ。』       話を聞きながら私が感じたのは、ボランティアと被災者間の温度差でした。 これを、少しでも埋めていきたいと思いました。

津波よりも大変だったことは…

2014年8月下旬、依頼を受けて雑草の除去をしました。    午後の作業をしていた時...                  「さあさあ、少し休憩して、コーヒーでも飲んで!」     現地のお母さんからの差し入れでした。

「・・・この辺りは殺風景でしょ?でも、震災前はここ、家がずら〜っと並んでいたのよ。あの頃(震災直後)から3年以上も経った今では、なんにも無くなっちゃったわ...良くも悪くもね。

『きれいになりましたね〜』 って言う人もいるけど、私にとっては 『寂しくなったわね〜』 っていう感覚の方が強いわ。親戚や友人も、7割位はいなくなっちゃったしね・・・

その場所は最初、雑草が生い茂った空き地に見えたのですが、よく見ると、家の基礎部分がほとんどの場所に残ってました。お母さんの話を聞くと、震災前は家が建ち並んでいたはずの場所だと、なんとなくイメージできました。

お伺いした話の中で、印象的だった言葉があります。    「・・・もちろん津波も大変だったけど、その後の生活の方が大変だったわ。震災から3年以上たった今だからこそ、少し落ち着いてはきたけど、震災から1~2年の頃は、とっても大変だったの。『震災後の生活がこんなに大変なら、いっそのこと、自分も津波で死んじゃった方が良かったのに。自分は、なぜ生き残っちゃったんだろう?』  と、何回も思ったわ・・・」

声には出していませんでしたが、そこにいた誰もが 「えっ?」 という表情をしていました。

 作業が終わった後、メンバーは口々に言っていました。    「被災した方たちの “苦労” や “心の傷” が、如何に重く、辛く、深刻だったのかが伝わってきました。」

災害現場を渡り歩く中で…

伊豆大島で災害ボランティアをした時、あるボランティアリーダーに出会いました。話を聞くと、東日本大震災後に災害ボランティアを始めた方でした。震災後は、自然災害が起きれば関東や関西、九州に至るまで全国を駆け回りながら災害支援をされていました。最近では、ボランティアセンターの運営面の補助をすることが多いようです。まさに、縁の下の力持ち的存在です。

今では仕事まで辞めて、ボランティア活動に専念しているようです。様々な災害現場を支援する中で感じた心境を、2つお伺いしました。


1.災害現場を支援する時に大変なこと          「災害支援と一言で言っても、支援の形は地域によってバラバラだということですね。不思議なことに、災害の内容が全く同じだったとしても、そこに対する支援方法は地域によって全く違うんですよ。

例えば、地域によって...                ・災害の規模が違う。                   ・ボランティアセンターの人員が違う。           ・現地に住む住民の特色が違う。              ・集まるボランティアが違う。               ・ボランティアが、どの作業までお手伝いするかも違う。   ・復興に対する熱意が違う。

 それらの違いを把握したうえで、その地域にとっての最善の支援体制を構築すること。そこが大変ですね。一旦体制ができてしまえば、あとは時間の問題ですから。」


2.仕事を辞めてまでボランティアに懸ける理由      「…続けることができてる理由は、やっぱり ご縁 ですね。東日本大震災後に、一時 “絆” って言葉が流行ったじゃないですか。あれに近い感覚ですよ。行く先々における様々な人との出会い、そこから生まれる人と人とのご縁。                  例えば、東北のあるお寺で出会った住職さん。京都の災害現場で出会った大工さん、九州の災害現場で出会ったあの人…そして、ここ伊豆大島の人。思い出深い人が全国にいるんですよ、そういう人たちとの間で結ばれたご縁ですね、今の自分があるのは。                        今、僕自身が活動を続ける理由は、一番は “ご縁” ですよ。」  

数日後、この方は、また別の災害現場へ行きました…

イチゴ農家の一年

突然ですが...                    【イチゴに関する問題】

 Q1.イチゴ一粒のカロリーは?              Q2.イチゴが日本で栽培されるようになったのは何年前から? Q3.高級イチゴの値段はいくらか?           Q4.イチゴに含まれる栄養の中で多いのは?        Q5.イチゴを使った商品の中で、日本生まれのものは?   Q6.イチゴはどの部分が一番甘いか?            ※答えは、記事の最後です!


先日、イチゴ農家のお手伝いをしました。          そこでは、『もういっこ』という品種を扱っていました。  

『もういっこ』とは...                 ・2008年生まれで宮城県産の品種              ・硬めで甘みと酸味のバランスがいい            農家のご主人からイチゴに関する話をお伺いしました…


【イチゴ農家の一年】

1. 夏 (下準備&休日が取れる時期)            イチゴを栽培している時は、ビニールハウスの温度管理をしなきゃいけないから、丸一日の休みって取れないんだよ。だから、休みが取れるのは栽培がオフシーズンになる8月〜9月の約1ヵ月間だね。                         この時期は、一年の中で唯一休みを取れる時期だね。


2. 秋 (苗を植える時期)                 イチゴが成長する適温とさているのは20℃くらい。なので、夏場が過ぎて涼しくなり始めた頃にイチゴの苗を植える。ただし、日によって夏の気温になるので温度管理に注意が必要。ただ、今年(2014年)は冷夏だったから、その点ではちょっと安心したね。この時期になると、『休み』という言葉とは無縁になるよ。  この時期は、一瞬も目が離せないからね。


3. 冬 (イチゴが美味しくなる時期)            寒い冬を超えると、農作物の品質が下がってしまうんじゃないか?って思われやすいんだけど、イチゴの場合はその逆なんだよ。寒い時期を通過する時、イチゴは寒さを乗り越えるため、甘みを中に閉じ込めようとするんだよね。だから、冬を超えると甘いイチゴになる。逆に、夏の暑い時期を通過すると、イチゴはすっぱくなる。だから、夏を避けて、冬の寒い時期に向かって苗を植えるんだよね。                    意外と不思議に思われることなんだけど…まあ、イチゴも生き物だからね。


4. 春 (収穫の時期)                   出荷用のイチゴは、5月頃までに収穫を終えるようにしてるよ。6月になると、もう結構暑い時期だから、イチゴも酸っぱくなっちゃってね。だから、収穫しても、売りに出さずに家で食べるようにしてるよ。                     春っていうのは、1年間かけてきた手間暇が形になる瞬間だね。


最後に、美味しいイチゴの見分け方を1つお聞きしました。   ご主人 「種と種の間の間隔が短いもの!かな...」

普段、スーパーで何気なく見かけるイチゴ。         ショートケーキの上には、当たり前のように乗っているイチゴ。実は、とっても手間暇かけて作られていたのか...と。   スーパーでイチゴのコーナーを見ると、立ち止まる時間が増えたような気がしました...。


【イチゴに関する問題】

≪答え≫                         Q1.イチゴ一粒のカロリーは?              →A:約5kcal ※スーパーで売ってる中くらいサイズ     Q2.イチゴが日本で栽培されるようになったのは何年前から?→A:約200年前                    Q3.高級イチゴの値段はいくらか?           →A:1粒5万円 ※ネットで購入可能           Q4.イチゴに含まれる栄養の中で多いのは?       →A:ビタミンC ※イチゴ2粒でレモン1個程度のビタミンC Q5.イチゴを使った商品の中で、日本生まれのものは?  →A:ショートケーキ                  Q6.イチゴはどの部分が一番甘いか?           →A:先端が甘い

災害ボランティアの一日 (広島)

○7:00 復興連携センターに到着              ・受付開始の1時間半前にも関わらず、既に先客がいました。  ・7:30頃になると徐々に人が多くなってきたので、6人1列で整列して待機しました。

○8:30 受付開始                     ・ボランティアの説明                     ・基本は12人で1チーム、リーダーとサブリーダーを決める! ・名簿に必要事項を記入!                 ・ボランティア保険には加入して!             ・最低限の道具(軍手、マスク、長靴)は必ず持参!     ・物資(水、塩飴、タオル、除菌ジェル)が支給されて!

○9:30 バスで出発!                    ・バスに乗って出発、作業現場近くの広場に到着しました。  ・資材準備:スコップ、一輪車、土のう袋、ほうき...など

○10:00 依頼者さん宅に到着                ‣現場に到着したら依頼者さんに挨拶をして、今日の依頼内容を確認、作業を開始する。                  ‣作業 20〜30分 → 1回休憩→作業20~30分(繰り返す)   ‣途中で、昼休み(1時間)を挟む

 

○14:00 仕上げ                      ・依頼者さんにチェックしてもらい、最後の仕上げに入る。  ・作業道具をまとめて、紛失した道具がないかチェックする。 ・依頼内容は “完了” or “継続” を依頼者さんに判断してもらう。 ・依頼者さんに挨拶、撤収する。

○15:00 片付けと報告                   ・後片付けをして、手洗い、うがい、長靴を洗浄する     ・リーダーは報告書を記入する

○15:30 活動終了!                    「それでは、お疲れ様でした…」

災害ボランティアの一日 (伊豆大島)

2013年11月、伊豆大島で行った災害ボランティアの1日です。

《伊豆大島へ出発》

 22:00 東京を出発 →(移動120km)→ 6:00 伊豆大島に到着

23:30頃:部屋の照明が消えて艦内放送が入り “就寝モード” へ!5:30頃:部屋の照明がついて艦内放送が入り  “起床モード” へ!


《伊豆大島とは》

     

 伊豆大島は 『椿・あんこ・三原山』 で代表される観光地として、よく紹介されます。                    〇椿:約300万本あり、“大島町の花” として制定されています。〇三原山:島の中央に位置する標高758mの山。山の近くに行くと、以前の噴火で噴出したマグマが固まった跡も見えます。約35年に一度のペースで噴火しながら、少しづつ姿を変えています。


《災害ボランティア開始》

         港から見た三原山(土砂災害のあった場所)

 

     

 港からバスで移動 → ボランティアセンターに到着 → 受付 → オリエンテーション                      持ち物 : 長靴、軍手、ゴム手袋、マスク、作業着、ゴーグル

    

 オリエンテーション → 作業現場が決定 → 資材をレンタル → 現場へ出発                          レンタルした資材 : 一輪車、大小のスコップ、デッキブラシ、懐中電灯、ハンマー…など

 

 現場に到着 → 依頼者さんに挨拶、依頼内容を確認 → 作業開始

依頼内容 : 土砂が入った室内の清掃、がれきの撤去


作業前

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↓↓

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作業後

作業終了 → 作業道具の洗浄 → 道具の返却、報告書の記入 → 活動終了

高圧洗浄機やデッキブラシを使って道具を洗浄します。    報告書の記入事項を参考に、翌日の作業内容が検討されます。

    

 活動終了後、ボランティアさんへの差し入れがありました。

活動終了 →宿所の掃除 → お風呂 → 食事 → 反省会 → 22:30 就寝『今日も1日、お疲れ様でした。』


《ボランティアリーダーの声》              様々な災害現場で活動しているボランティアリーダーに聞くと… 『自然災害が発生した時に “災害ボランティア” として活動する場合、他の災害や他の地域でも、だいたいは同じスケジュールで活動していますよ。』...とのことでした。

※2014年2月下旬、上記のような島外ボランティアの活動は終了しました。

ワカメに愛着がわいた私

漁師さんから聞いたわかめに関する話と、お手伝いしたわかめに関する活動を紹介します。

わかめ Q&A】                     問題です!(^ ^)                     Q1.わかめの旬は何月?                 Q2.わかめの名前の由来は?              Q3.日本人が一年間に食べるわかめの量は、平均で何グラム?Q4.“わかめの日” っていつなの?             Q5.わかめを日本以上にたくさん食べている国は?        Q6.“三陸産わかめ” の特徴は?

さあ、きみは何問正解するかな?(^o^)           (答えは記事の最後です!)


【ボランティア活動】                   わかめを仕入れてから発送までのお手伝いをしました。

〇わかめを仕入れます。                 「ワカメと聞くと軽いイメージがありますが、乾燥ワカメではないので、結構重いです。」

〇中はこんな状態、みずみずしいわかめです。       「キラキラ光ってます!!」

〇わかめの “茎” と “葉” を分けます。            「意外と難しいですが、コツがつかめるとキレイにできます。」

   

〇わかめを入れる袋を調達します。            「いろんな大きさの袋があります。」

〇わかめの“葉”の部分を計量します。           「実は、規定量より5%位多く入れてます。サービスが良いですね!」

 

〇袋を完全に密閉します。                「完全密閉できなければ、新しい袋に入れて閉じ直します。」

〇完成!三陸わかめです。                「実は、このまま食べれます。ただ、塩漬けしてあるので、そのままは食べにくいです。」

〇冷やして発泡スチロールに詰めて発送します。       「発送作業をしていると、“美味しく食べていただきたい!” という想いが湧いてきます。」

〇味見すると...                   (メンバーの感想)                   「歯ごたえがあっておいしい!」             「いつも食べてるワカメに比べて、3倍くらい肉厚ですよ!」  「なんか、別の海藻を食べてるみたいです!」


 

 【わかめ Q&A】                     答えです!(^^)                      Q1.わかめの旬は何月?                ⇒A.3〜5月                      Q2.わかめの名前の由来は?                ⇒A.わか(若)+め(海藻) ⇒ “若い海藻”         Q3.日本人が一年間に食べるわかめの量は、平均で何グラム?  ⇒A.約 2kg                      Q4.“わかめの日” っていつなの?            ⇒A.5月5日 (日本わかめ協会が決めたようです)      Q5.わかめを日本以上にたくさん食べている国は?     ⇒A.韓国 (日本人の約3倍)              Q6.“三陸産わかめ”の特徴は?              ⇒A.量と価格が全国トップ(収穫量が多くて高級ワカメ) 

さあ、きみは何問正解したかな!?             では、またの機会をお楽しみに〜(^o^)

地元土産に持たせる“こだわり”

東日本大震災で被災した地域の商店街で聞いた“地元土産”に関する話の抜粋です。

≪以下、現地の方の話≫ 

 【写真】 震災から約1ヵ月後の様子(石巻市門脇町)

 ・・・震災直後は、がれきが街中にあふれて悲惨な光景でした。メディアでも多く取り上げられて、現地の方の生々しい声が飛び交っていました。誰しもが “生きる” ということに必死でした。しかし、一方でそれは、多くの人たちの共感を呼んだ気もします。ボランティアさんもたくさん来てくれたし、近隣住民で助け合ったし、被災地関係の物はよく売れました。「被災した地域の地元土産です!」、「復興グッズです!」 と言えば振り向く人や、買ってくれる人も多かったです。

【写真】 震災から約2年後の様子(上図と同じ場所から撮影)

震災から1年が経ち、2年が経ち...時間の経過と共に、町からがれきが消えていきました。この地域にも笑い声が飛び交い始めたし、少しづつ震災前の日常を取り戻し始めました。平和な日常に戻るにつれて、メディアも取り上げなくなりました。復興が進んでいること自体は素晴らしいことです。しかし、それと同時に「被災地の地元土産です!」、「復興グッズです!」というフレーズで人々は振り向かなくなりました。しまいには、被災と関係無いのに“復興”というフレーズを利用して、自社商品の売り上げアップを狙う業者まで出てきた時は、怒りを通り越してあきれましたね。

 他の地域でお土産屋さんの前を通った時、ふと耳に入ってきたフレーズは …                     「な〜んか、ある種のブームが去ったような感覚だよね〜」  それを聞いた時は、妙に共感する思いがわいてきましたよ。

 【写真】 地元土産の話に耳を傾ける人たち

 消費者であるお客さんの多くは、“災害直後の目線” から “一般的な目線” になってきました。                 つまり…                          × 復興が進むから買う  物が良ければ買う!        …ということは、被災した商店では今後、“守りの姿勢” ではなく “攻めの姿勢” に挑戦していかねば、と私的には感じています。  × 復興にからめた商品戦略  本当にいい物を作る商品戦略!× 復興にからめた宣伝  地域の持ち味を生かした宣伝!

「被災した地域に再建したお店...            そこに置いてある、何気ない一つのお土産...       ここに、如何にして“こだわり”を持たせるか...!?」

 【写真】 地元土産が並ぶ商店

被災地の復興度合が目まぐるしく変化している中で、お土産屋さんの経営戦略も目まぐるしく変化していますね...

≪以上、現地の方の話≫