「キャプテンの日記」カテゴリーアーカイブ

多くを学ぶ人の共通点

 最近は、被災した方から「ボランティアに来たら、多くのことを学び、自分の人生の糧にしてほしい」という話をよく聞くので、他のボランティアチームの方と話をしました。
 「ボランティアに来た人たちは、多くの学びを得ているか?」
 その時に話した内容を、以下にまとめました。

 被災地ボランティアに来て活動すると、こんなことを言う人がいます。

「今回は地味な作業が多かったので、学んだことはそんなに無くて、自分にとってはちょっと物足りなかったです。」

 一方で、こう言う人もいます。

「今回は、学ぶことがとても多かったです。自分の人生観まで変わりました。」

 ここで注目したのが、この二者は同じチーム内にいることも多いことです。つまり、活動内容と学びの多さは、あまり関係が無いということでした。

 更に見ていくと、地味な作業をずっとしていて“学びが多かった”と言う人もいれば、様々な作業ができても“学びがあまりなかった”と言う人もいたのです。

 そこで疑問が出ました。

 Question:学びが多い人と少ない人との違いは何か?

 意見を出し始めたら、きりがありませんでした。意見が出過ぎてまとまりませんでした。しかし、まとまらない中でもせめて1箇所くらいは、学びが多い人に共通する部分を見つけよう、ということで話した結果、一つ出ました。

 Answer:学びが多い人ほど、自分が学ぶことを目標にしていない、被災地の助けになることを目標にしてる

 別の言い方をすると

 活動するときの焦点が“自分”ではなく“相手”

 (もちろん、人によって出る意見は様々で、上のAnswerはその一つに過ぎないと思います。)
 これを聞いたとき、一瞬“えっ?”と思いました。どこか逆説的で不思議な話だと思ったので、他のチームの方とも話してみたのですが、この意見に関しては納得していました。

 ボランティアの基本は「自分がやりたいことではなく相手の願いに答えること」だと言われます。その見方からすると、上で出たのは当然と言えば当然の話です。
 しかし、ボランティアをやった人たちと話してみると、当然だけど意外と忘れやすい、でも実は重要なことだと思いました。

天災+人災だったと思う理由

 ある地域でがれき撤去をしました。
 そこは、石巻の街中から少し外れた地域で、震災後のがれき撤去が遅くなってしまった地域でした。

「3.11は天災だったけど、3.12以降は人災だったと思うんだよね。」

 休憩中に話をされた依頼者さんのこの言葉に、メンバーたちがちょっと驚きました。
 依頼者さん自身は、震災で家族を亡くされたにもかかわらず、震災直後から避難所にも行かずに、地域の復旧・復興のために頑張り続けていました。

 “人災”とはどういうことか、メンバーが聞いてみました。
「あの時(津波が来た時)は必至だったからよく分からなかったけど、あれから1年以上が経ったでしょ。あの時のことを後から振り返ってみると、津波後の対応が不足故に、本来は生きることができたはずなのに亡くなってしまった人も多いってことさ。」

 依頼者さんは、震災後に様々な地域を見て、いろんなことを感じてこられたようでした。その中から二つを話されていました。
「この一年間でいろいろな地域を見て、話を聞いて、支援してきた。その中で感じたことは、まず自分の無力さだね。津波に対する知識や危機感はそこそこ持っていたから、予め自宅にも車の中にも防災グッズを積んでおいたのさ。でも、結果的には家族を亡くした。自分にもっと力があったらな、と思うね。」

「二つ目は、地域の弱さかな。あまり具体的なことは言わないけど、震災後の地域の対応や市の対応が不足だったが故に助かったはずなのに助からなかった人、または助かったけど鬱になって人生を悩んでる人、または助かったのに震災故に発生した様々な事件に巻き込まれて亡くなった人…いろいろあったよ。」

 この“いろいろあったよ”という言葉を言われた時から、依頼者さんの表情が真剣になりました。
「いろいろあったんだけど、一つ一つの出来事をよく見てみると、災害故の犠牲だけじゃなくて、人間故の犠牲も多かったことを感じざるを得ないんだよね。そう思った時に、人災という言葉が適切だなって、率直に思ったのさ。」

 メンバーたちの表情を見て、依頼者さんが最後にこんなことを話されました。
「こういう話を聞いて皆がどう思ったかは分からないけど、自分が言いたいことは、この3.11を天災だという捉え方だけで終わらせたら良くないってことさ。つまり、天災だと“しょうがない”とか“地震が悪い”とか“自分は悪くない”という捉え方になって教訓にならないでしょ。でも、天災+人災だと“自分たちはここが悪かった、だからもっとこうしなきゃいけないじゃないか”という捉え方になって、何かしらの教訓になるからさ…」

 この話を聞きながら、メンバーたちは実感がつかめていない様子でしたが、依頼者さんは相当実感を持たれている様子でした。

遺言だと思って聞いてほしい

被災した方から聞いた話です。

「皆さん、わざわざここ(被災地)にボランティアで来てくれてありがとうございます。とても助かります。でも、ここ(被災地)で頑張って帰るだけでは、点数にすると100点満点中で50点だと私は思います。なぜだと思いますか?その理由を、私の遺言だと思って聞いてほしいです…」

語られる姿から、すごく熱意が伝わって来ました。

「最近私は、被災地ボランティアに来て下さった方は二つの使命があると思っています。
1.被災地に来て復興のために精いっぱい努力すること
2.ここから教訓を学んで、地元に帰ったら行動に移すこと
つまり、1をやっただけでは、100点満点中50点だということです。」

とても真剣な眼差しで語られていました。

「2の教訓は、いろいろあると思います。皆さんはそれぞれ、住んでる環境も違えば、ここに来る心境も様々、ここに来て感じる内容も人それぞれなので、そこから学ぶ教訓は千差万別だと思います。中には“教訓と言われても難しいな〜”と思う人もいるかもしれません。」

「でも、ここは普段の日常生活とは違う非日常なので、普段はならない心境になったり、普段は学べないことを学べたり、普段は見えない自分の新たな一面が見えたりしやすいと思います。それを全て、教訓だと思ってください。」

ちょっと間が空いてから、こんなことを話されました。

「最近、ボランティアに来る人には、この話をよくしてるんですよね。説教じみてると思うかもしれないけど、なんで私がこんなことを言うと思いますか?それは、供養になると思うからです。」

このかたは、震災で親族を亡くされていました。

「最近よく、“震災で亡くなった方を供養しよう”という話を聞きます。でも私は、お墓に行って線香をあげて手を合わせるだけでは本当の供養にならないと、最近は思うようになりました。皆さんがこの地(被災地)を訪れて、そこから何かを学んで、学んだことを自分の今後の人生に生かしてこそ、先祖もうかばれるというか、本当の供養になると思います。」

そこにいたメンバーたちは、いつの間にか、皆真剣な表情になっていました。

テント生活の隣人

震災直後から半年間は、石巻市に来たボランティアさんは石巻専修大学のキャンパス内にテントを張って生活していました。一つのキャンパス内に数百のテントが張られていたので、キャンパス内を歩き回るだけで、北は北海道から南は九州、韓国や台湾や中国、アメリカやヨーロッパ、中には日本語が全く話せない人たちまで、いろんな人たちとすれ違いました。
なので、私たちのチームのメンバーは時間が空くと、よくいろんな人に笑顔で声をかけていました。

そんな私たちのテントの隣にテントを張っていた方は、「隣の若い人たちはいつも元気だから頑張ってるな〜と感心したよ」と言われていました。私から見ると、もちろん、メンバーたちは元気に頑張っていましたが、作業日数が重なると、当然疲れもたまってくるし、あまり元気がない日もありました。しかし、そこから元気をもらっていたという話を聞いた時はありがたかったです。

…それから時が経ち、キャンプ場に場所を移してテント生活をスタートしたころのことです。ある現場で屋内の解体作業のお手伝いをしていたのですが、休憩中に他のチームの方から声をかけられました。振り返ってみると、専修大のテント生活時代に隣のテントに住んでいた方でした。髪型が変わっていたため最初は気付かなかったのですが、向こうから話しかけられて分かりました。

そこで、「まさか統一教会だったとは思ってもいなかったよ」という話になりました。私たちは、作業中だけ統一教会のジャケットを着るようにしていたので、テント生活をしていた時には、私たちがどの団体のチームなのか分からなかったようです。

そこで、統一教会の話題になりました。
「統一教会は、ちょっと前の頃は、内輪だけで何かしていて、よく分からなくて怪しいイメージの団体だった。でも、みんなを見ていると、他の人とも元気に喋るし、遊び半分ではなく、一生懸命にボランティアを頑張るから、最近は統一教会もだいぶ変わってきたんだなと思うね」という話をされました。

私はこの時、どんな環境の中でも周囲の人の為に尽くすのは尊いことだと思いました。しかし、それが “できたか?できなかったか?” よりも、そうしようとする “姿勢を持つこと” の方が重要だと思いました。

進めたくても進まない復興

 あるお宅のがれき撤去をしました。そこは、津波によって家の一階部分がやられてしまった地域です。依頼者さんは「うちは古い家だけど、運良く、家は流されずに残ったから良かったよ。」と言われていました。依頼者さんは今、がれきを撤去して家をリフォームするか?それとも、解体して別の地域に移り住むか?とても悩まれていました。

 そんな説明を受けた後で、みんなでがれき撤去をしました。

 午前中の作業が終わって昼休憩に入ったとき、メンバーたちがあることに驚いていました。インフラが復旧していないのです。ここは、電気もなければ水もないしガスもない。おまけに地盤沈下で、潮が満ちると庭が冠水して車の出入りができなくなります。なので、トイレが無いのはもちろん、夜になるとその地域一帯が真っ暗になって何も見えません、そんな場所でした。
 ボランティアなら、日中の作業する時間だけしかその場所にいません。でも、この地域に自宅を建てて住み続けるとしたら、ものすごく大変だと感じました。ここまで何も無いと、普通の生活をすること自体が大きなチャレンジだと、周囲を見渡すだけでよく分かりました。

 がれきの撤去がだいぶ進み、作業がひと段落ついた頃、現地の方がこんなことを話されていました。
「この辺りは、ご覧の通りインフラが復旧していないんだよね。
この地域のインフラを全て整えようと思えば、おそらく、数十〜数百億はかかるだろうなってことくらい、素人でも分かるよ。でも、日本は今借金が多いから、そこまでのお金をこの田舎に落とせないだろうね。」

「仮に、お金がおりてインフラを整備したとしても、ここは元々田舎で不便な地域だから、震災前に住んでた住民が戻って来ない可能性があるのさ。私の予想では、下手すると10人〜20人しか戻って来ないだろうね。しかも、そのほとんどがご老人。若い人は住まないだろうね。」

「そうなると、わずか10人〜20人のご老人が10年〜20年の間そこに住む為に、国が数百億の税金をかけることになる。しかも、20年後には誰も住まない地域になってる可能性が高い。」

「こう考えてみると、国がお金をかけれないっていう理由も分かるよ。確かに、ここに住みたい者にとっては大変だけどね…」
 そう語られるお父さんは、特定の誰かを責めているわけではありませんでした。作業中は常に明るく、力強く、頼りがいのあるお父さんでした。

 夕方4時位に作業が終わりました。家の周囲が、見違えるようにきれいになりました。最初は全部片付けられるか心配でしたが、何とか一区切りつくところまで作業ができました。最後は、みんな笑顔で別れました。お父さんは満面の笑みでした。

 この日は、お父さんからいろんな話を聞いたのですが、その中で私が一番印象に残ったのは、繰り返し使われていた
「仕方がないね…」
という言葉でした。ボソッと言われた一言でしたが、その言葉に重みを感じました。

 作業中は終始元気なお父さんだったのですが、その満面の笑顔の背後にある言葉にできない寂しさや悔しさが、痛いほど伝わって来ました。

イベントを通じた地域の復興

地域の子供たちを呼んで、畑作りのイベントをやりました。
ここは元々、津波後にがれきがたくさんあった場所です。

地元の方やボランティアさんがガレキを撤去した後、“この土地を今後どうするか?”といった時に、“この場所をきれいなお花畑にしたい”という声が上がって、地元の方が “お花畑の設計図” を作成してくれました。それからは、地元の方とボランティアさんたちが協力し合って、設計図の構想を実現させようと、お花畑作りがスタートしました。

泥やがれきを撤去して、雑草を抜いて、土地を耕して、新しい土を入れて、肥料を混ぜて、地面を水平にして、歩く道を作って、大きな石ころを取り除いて、水の通り道を作ったら“畑”の出来上がり。

廃材を切って、色を塗って、乾かして、並べて立てれば“柵”の出来上がり。

もらった木箱をネジや木片で補強して、やすりで表面を磨いてきれいにして、ニスを塗って腐りにくくして、底にドリルで穴を開けたら“プランター”の出来上がり

途中、「統一教会さんのブースも作ろうよ」という声をいただいたので、一つの区画をいただいて、そこにみんなで種や苗を植えました。

種と苗を植える配置、植える数、順番を考えて、試しに並べて設計図と比べて見て、納得のいく配置が決まったら準備完了!

こうして、イベント当日を迎えました。
朝5時の時点では大雨でしたが、イベントが始まる午前10時には晴れて、天候も味方してくれました。

時間になると、地域の子供たち、お父さんやお母さん、ボランティアさんなど、いろんな人が集い、みんなが一緒になって苗を植えたり、プランターに絵を描きました。初めて顔を合わせた方も多かったのですが、誰もが仲良く、互いに笑顔で、久しぶりに会った友人のようでした。ちょっとしたお祭りのような雰囲気で、とても盛り上がりました。イベントのリーダーも、「子供たちがこんなに集まるとは思わなかったから良かったね。」と言われてました。

私も、その場にいるだけで楽しくなってくるような、不思議な気持ちになりました。「時間の過ぎるのがこんなに早く感じたのは久しぶりだな〜」と言うメンバーもいました。地域がきれいになるに従って、そこにいる人々の心もきれいになっていくような気がしました。

イベント後に嬉しいことがありました。イベントの前は全然畑に来なかったのに、イベントの後は畑に遊びに来るようになったという子供がいました。イベントを通して、新しい地域コミュニティが確実に築き上げられていました。その様子を見ながら、これが“復興”だと思いました。

お花畑プロジェクトの目的

“お花畑プロジェクト”の手伝いをしました。その名の如く、依頼者さん宅の畑で一緒にお花畑を作ろうというプロジェクトです。

その名前からして、最初は畑仕事を手伝うようなイメージで作業をしていました。しかし作業を進めてみると、このプロジェクトの目的はお花畑を作ることではないな、と気付いたのです。

休憩中にプロジェクトリーダーから、このプロジェクトがスタートしたきっかけを聞きました。
「元々私は整体の仕事をしていて、整体関係のボランティアをしようと思って来たんだよね。実際、こっちに来て整体してみると、体がガチガチの人が多かったからとても重宝された。整体する人手が全然足りなかったよ。

でも、整体で体をほぐしても、一か月くらい時間が経つと、同じ人がまたガチガチになってたんだよね。やってもやってもキリがなくて。体がほぐれるのは一時的で、すぐまたガチガチの体に戻っちゃっう人が多かったね。

ある日、整体は一時的な処置で、根本原因の解決にはならないなと思った。それから、どうしたらいいのかを考えたよね。

そこで始めたのが、この“お花畑プロジェクト”

依頼者さんと一緒に畑仕事をすれば、そもそも体がガチガチに固まらなくなるだろう。これが、このプロジェクトのきっかけ。ただの畑仕事じゃなくて、目的を持ったプロジェクトなんだよ。」

その日の作業は、畑を耕して種を蒔くというものでした。
最初に作業を始めた時は、ボランティアさんたちが一生懸命にやっている姿に引っ張られるように依頼者さんが作業していました。
しかし、作業を半日やった頃に気付いたら、ボランティアさんたちが疲れてきてペースが落ちる横で、依頼者さんが一番頑張って作業をしていたのです。

この光景には、私自身本当に驚きました。真剣な眼差しで、依頼者さんのあの力は、一体どこから湧いてくるのだろう?と思いました。人間の強さを垣間見た気がしました。

“復興”という言葉の意味

小さな公園で雑草取りをした時のことです。依頼者さんに聞いたら、その公園のある地域一帯は、3.11の時に2メートル位の津波が来たのだと教えてくれました。

しかし、その公園は敷地内の四方にお花が飾られていてきれいでした。地面の土はきれいでヘドロも無く、遊具も新しくて、私たちが作業した時は子供たちがそこで元気にサッカーや鬼ごっこをして遊んでいました。

ここに津波が来たと言われても想像ができなかったので、ある意味驚きました。この公園は3.11後にいろんな人たちの手が加えられていました。私がざっくり聞いただけでも、以下のことをやってきたのだと分かりました…

1.車、船、木、工業機材などの大きながれきを撤去
2.地面に溜まったヘドロを撤去
3.公園のフェンス、木、遊具に付着したゴミの撤去
4.地面に残った小さながれきやガラスの破片を撤去
5.汚れた遊具の掃除とペンキ塗り
6.公園の敷地一面に新しい土を入れる
7.手作りの看板、お花畑用の柵を作って取り付ける
8.柵で囲んだ場所に栄養のある土をまいて耕す
9.支援物資で来たお花を植える
10.プランター用の器を作って磨いてニスを塗る
11.器に土とお花を植えて、公園の敷地内を飾る
12.定期的な雑草取り

私たちがやった作業は最低でも、この12番目の作業でした。たったひとつの“小さな公園”あまり目立ちもしないし、どこにでもありそうな公園なのですが、実はそこは、ボランティアさんたちが約1年間かけて汗を流した結晶でした。

そのことを知り、その日の雑草取りの作業が終わった後に、改めて小さな公園を見た時、感動というか、慕わしさのようなものが湧いてきて、まるで“大きな公園”に来たかのような清々しい気持ちになりました。「“復興”ってこういうことかもしれない」と思いました。

もし、相手が自分の家族なら…

最近は、作業する時に依頼者さんが立ち合わないことが多いです。また、細かい作業や地味な作業も多いです。なので、作業するボランティアさんたちは、

「この作業って、やってもやらなくても、あまり変わらないことなんじゃないかな〜?」
「やっても、依頼者さんの為になってるのかな〜?」

と思う方も多いようです。なので、そんな疑問が生じた時の対処法を、現地で1年間ボランティアをしているリーダーの方が話してくれました。

「そういう時は、こう考えてみて下さい。もし、依頼者さんが自分の家族だったら、自分は相手に対してどうしたいですか?」
「もし、依頼者さんが自分だったら、どうしてくれたら自分が嬉しくなりますか?」

このスタッフさんも、一時期自分にそう問いかけていたようです。そして、この方がたどり着いた考えを話してくれました。

「そう考えたら、別に依頼者さんに会えなくたって、細かい作業ばかりだって、そんなことは関係無くなる、迷わなくなるよ。自分が好きでやってることになる。つまり、“趣味”に近い感覚だね。だから、もし依頼者さんがそこにいて喜んでくれたら、それは自分にとって、+αの喜びになる。つまり、“趣味をしただけで相手も喜んでくれた!”っていうイメージだね。」

スタッフさんが、とても生き生きと語られていたのが印象的でした。

統一教会平和奉仕ボランティア隊とは

統一教会平和奉仕ボランティア隊(略称:UPeace)は、2011年3月11日の東日本大震災を契機に、緊急支援活動として発足した、世界基督教統一神霊協会(統一教会)のボランティア隊です。

UPeaceは主に統一教会の青年や学生たちで構成され、統一教会の創始者である文鮮明先生の「他のために生きよ」という教えを実践するため、被災地でボランティア活動を行っています。

モットーは、文先生の言葉「愛は与えて忘れなさい」です。

UPeaceに関して詳しくは以下よりご覧ください。

統一教会平和奉仕ボランティア隊