NPOを創設したリーダーが、被災地ボランティアを始めた当初の話

 NPO団体のリーダーから、初めて被災地に来た時の話を聞きました。
 (前回の続き)

 【以下、リーダーの話】

 支援の準備を整えて東京を出発。
 震災から一か月も経たない4月初め、石巻市に到着した。
 当時、石巻専修大学のキャンパス内のグランドや広場が、ボランティアの人たちのテント村になっていた。

 テント村を見渡すと、
 “ボランティア頑張るぞ!”
 という雰囲気の人たちがいっぱいいて、活気にあふれていた。

 当時、作業内容はほとんどががれき撤去。災害ボランティアセンターでは、1人ではなく5人や10人のチームを組んで作業現場に派遣されたので、毎日いろいろな人とチームを組んで共に汗を流した。

「がれきと一言で言っても、あらゆるものがぐちゃぐちゃに混ざり、積み重なっていたから、撤去するだけでも必死だったんだよね。そのせいか、あの頃は毎日が“あっ”というに過ぎていったよ。」

 そんな中で、自分自身はボランティアチームのリーダーに任命された。仕事をもらう立場から準備する立場に立つようになり、忙しさに拍車をかけた。

すると、
“頑張りたい思いはあるけど、素人の自分が本当に貢献できるのか?”
“何とか被災地に到着したけど、次は何をしたらいいのかな?”

 という声をよく耳にした。ボランティアをすることに対して、少なからず不安を抱えてる人たちも多かった。むしろ、不安が全く無い人なんていなかったかもしれない。

 その時、ふと思い出した。
 “そう言えば、自分も被災地に来た直後、何かしたいという情熱はあったけど、何をしたらいいか分からなかった、漠然とした不安も大きかった…他の人たちも、きっと同じ気持ちだろう…それなら、ボランティアで来る人たちのサポートもしてあげたい…”

 その時から、テント村を見渡して不安そうな人や最近来たばかりで困っていそうな人を見つけては、片っ端から声をかけていった。最初は“えっ?誰この人?”という顔をされたが、二言三言話をすれば、どんな人とでもすぐに友達になった。そして、被災地の状況やボランティアの活動内容など、不安なことや分からないことを教えたり、順番を待たなくても作業がすぐできるように手配した。

 それを見た同じチームのメンバーからは、“ボランティアナンパ”だと言われた。
 気付いたら一日に数百人の作業をコーディネイトしていた。

「あの頃はもう、毎日がバタバタしてたね。夏になっても“暑いな〜”と思った記憶が全然無い。毎日のように熱中症で倒れる人がいて、ニュースで猛暑日が続くと言ってたから実際は暑かったと思うんだけど、あの頃は嵐のように忙しかったから、暑さを気にしてる余裕さえ無かったんだと思う。」

 初めて出会った人たちなのに、どんな人とでもすぐに仲良くなれた。
 1分あれば友達になれた。
 5分あれば家族のような関係になれた。
 そこには、人種や国境・民族・言語・宗教の壁を、はるかに越えた文化があった。
 共通の目的のもとに集った人たちだから、すぐに意気投合できたのだろう。

 気付いたら、家族が一気に増えたような感覚だった。

                              ≪to be continued≫

10月16日(火)のつぶやき

今日、統一教会平和奉仕ボランティア隊・UPeaceの第49陣が石巻に出発しました!今回は、私は行きません。別のキャプテンが担当してくれています!(^0^)いろんな人にキャプテンをやっていただきたいので、関心のある人は、ぜひチャレンジしてみてください!

加藤@石巻ボランティアさんがリツイート | 1 RT


【募集中!!】50,51陣→11月52,53陣→12月具体的な日程は、UPeaceのHP(upeace.jp/anatanidekiru)にあります。ぜひ、ふるってご応募ください pic.twitter.com/Vk2FaDYs


10月13日(土)のつぶやき

石巻駅前の商店街が「子どもの街」に!?仮想の店舗・病院・通貨などを用いて、100種類の職業を疑似体験!素晴らしいイベントですね!子供に夢を持ってもらいたいです!kahoku.co.jp/news/2012/10/2…河北新報


 感動した話をブログにアップしました。私も尊敬している人の話です。 覚えてる範囲で書くので伝わりにくいかもしれませんが、ニュアンスだけでも伝わればと思います。 goo.gl/u71wI


NPOを創設したリーダーが、初めて被災地へ行ったときの話

 NPO団体のリーダーから、被災地に来た経緯を聞きました。
 その方は、2011年4月上旬から被災地へ来て、1年半以上が経過した現在でも現地で支援活動を継続。
 今後も数年間、現地支援を続けようとNPOを立ち上げました。

 【以下、リーダーの話】

 震災直後に海外に行った。被災地とは遠く離れた場所。ここなら被災地のことを考えなくてもいいはずなのに、
 “自分は何もしなくていいのだろうか?”
 という心の声がいつも耳元で響いているようで、外へ出かけても震災のことばかりを考えていた。休もうと思っても休めなかったし、遊ぼうと思っても遊べなかった。

 日本に帰って来たら、被災地へ行ってみようと思った。
 “俺、被災地行ってくるから!”
 家族にも話して、親友にも話して、仕事仲間にも話して、いろんな人に話した。

 「あの頃の自分を客観視すると、被災地に行くことを宣伝しているように見えたね。それは、宣伝したかったというより“自分は被災地へ行くんだ”という気持ちを固めていたんだと思うよ。」

 周りの人たちは応援してくれた。
 支援物資を集めてくれる人もいた。
 とてもありがたかった。

 “頑張ってね!”“応援してるよ”“気をつけてね”

 メッセージをいただく中で、被災地へ行くことが徐々に現実味を帯びてきた。すると、“怖い”という心の声が聞こえ、徐々に大きくなるのが分かった。
 当時は被災直後で、震度5や6の余震によって津波警報が鳴ることもしばしば。
 被災地に行くと何が待っているのか予測できなかった。

 被災地へ行く直前、“怖い”という声が大きくなり、“やっぱり、やめようかな”という声に変化した。
 “現地に行くと何が待ってるか分からない…自分は災害支援に関しては素人だ…行っても何もできないかもしれない…かえって現地に迷惑すらかけてしまうかもしれない…”

 “そうだ、やめよう!”
 ハッとしたように聞こえてきた言葉。

 その時、我にかえったように周囲を見渡してみた。
 そこにあったのは…
 被災地へ行く準備万全の車、知人に頼んだ支援物資、集まった募金、自分を応援する親友、家族、仕事仲間…
 これを見た時、心の中に別の声が割り込んで来た…

 “もう、後戻りできないな”

 自分の中で、何かが吹っ切れた気がした。モヤモヤしていた気持ちをスパッと断ち切れた気がした。

 「あの頃のことを振り返ってみると、自分は“一度は絶対に躊躇するだろう”と分かっていた気がするんだよね。だから予め、後戻りできないようにわざと大げさに宣伝して、大げさに準備していたんだなと思うよ。」

 出発当日、不安な気持ちも少なからずあったが、それ以上に不思議な感覚があった。というのも、“自分で決心して出発した”という気はしなかった。うまく言葉で表現できないが、“自分とは違う何か他の見えない力”に押し出されるように東京を出発した。

 また、被災地に知り合いがいるわけでもないし、自分自身は東北地方に行ったことすらないのに、まるで“誰かに呼ばれるように”東京を出発した。

 「あの頃は必死だったけど、後から冷静になって振り返ってみると、不思議な感覚だったなと思うよ。結果的には、本当に来てよかったと思ってる。」

 こうして、震災から1ヶ月も経たない4月初め、震度6強の大きな余震で津波警報が鳴っていた頃に被災地へ出発した。
 様々な思いが複雑に絡みあいながら、
 目には見えない大きな“力”に後押しされて…

                             ≪to be continued≫

10月11日(木)のつぶやき

被災地を案内し、教訓や復興状況を伝える「語り部タクシー」が発信!「語り部」の認定証を受けたドライバーが、「公認 震災の語り部タクシー」のステッカーを付けたタクシーで被災地を案内!料金は1時間で5300円kahoku.co.jp/news/2012/10/2…河北新報


10月10日(水)のつぶやき

10/8にAKB48のメンバーが石巻市でミニライブ!他地域からの追っかけを防ぐため、2日前から防災無線と口コミで広めた。女性ファン「まさかここまで来てくれるとは思わず、同じ空間にいるだけで元気がわいてきた!」hibishinbun.com石巻日日新聞


作業中に骨を発見したら…

 海沿いの地域でガレキ撤去をしました。石巻市でも田舎の方はガレキが残っている地域があります。

 作業していると、メンバーの一人が
「ほっ、骨を見つけたんですけど…」
 と言ってきました。

 行ってみるとそこには長さ約20cm〜30cmの骨が3本ありました。最初は動物の骨かと思いました。しかし、形からして人間の骨でもおかしくないと思い、素人では判断がつかなかったので、警察官を呼ぶことにしました。

 現場は街中から離れた場所だったため、到着まで1時間以上かかりました。

 この1時間が、3時間位に感じました。

 駆けつけた警察官に骨を見せました。
「あ、確かに骨ですね。これは、、、どこで見つけましたか?」
 発見した現場を見てもらったうえで、何の骨か聞きました。
「外見を見ただけだと、断定はできませんね。可能性としては、人間のものより動物のものである可能性の方が高いです。ただ、人間の物である可能性もあるので、調べに回しますね。」
 素人にも、動物のものか見分けれるか聞きました。
「それは、ちょっと難しいですね。」
 この場はそれで終わりました。

 結果的には後日、動物の骨だと分かりました。話によると、この時に我々がガレキ撤去をしていた地域は動物が多く住んでいるため、動物の骨が見つかることは頻繁にあるようでした。

 後から振り返ってみれば、動物の骨を取りに来る5分のためだけに、往復3時間をかけて警察官に来てもらったことになります。なので、少し申し訳なさを感じたのですが、それに対して
「何か気になるものがあったら、些細なことでもいいので、ドンドン呼んで下さいね。」
 と言われました。何気なく言われた言葉だったのですが、何故か私はその言葉に重みを感じて、その言葉がずっと心に残っていました。
 話には出ませんでしたが、
「もしかしたら、この何気ない骨から、行方不明者の発見につながるかもしれませんから。」
 そう言われているように感じました。 

 活動が終わって東京に戻って一息ついている時に、何気なく見ていたニュース記事の一部が目に留まりました。
「震災から1年半が経ち…行方不明者が約2800人…今でも親族が捜索中…」
 あの時出会った警察官は、使命感だけで捜索していたのではなく、行方不明者の親族のような気持ちも持って捜索していたのだと分かりました。