2013年、東日本大震災の被災地である宮城県南三陸町で農業支援を行った際、依頼者のお母さんから聞いた話です。
あの日は、すごく揺れて驚きました。揺れが収まった後、私はすぐに家の外へ出て海を見ました。
すると、しばらくして海水が引き始めました。「ずいぶんと引くな〜」と思いながら見ていると、気付いたら30メートル位海水が引いて、海面自体が2〜3メートル位下がり、砂浜の広さが3倍くらいに拡がりました。私は今までの人生60年以上、ずっとこの地で海と共に暮らしてきましたが、あんな光景を見たは初めてだったの驚きました。
依頼者の自宅から外に出た時の光景(2013/5/18)
それで、ただ事じゃないことが起こっていると感じ、「間違いなく津波が来る」「かつて無いくらいの大きな波が来る」「早く逃げなきゃ」と思いました。幸い、家の裏が高台になっていたので、避難はすぐにできました。その後、高台から海の沖の方を見ていると、まるで壁のような大きな津波が迫って来ました。やがて陸地に到達したかと思うと、私の家に津波が覆いかぶさりました。 …今までの普通の日常が、一瞬にして失われた瞬間でした。
依頼者の自宅の庭から海側を見た時の光景(2013/5/18)
津波が引いた後は、一言で言えば “見る影もない” という状況でした。この辺りの山という山が津波によって海面から10m位の高さまでの新緑が削られて、はげ山のような光景になっていました。さらに、その山のふもとにあったはずの村や集落は流されてしまい、津波が引いた後は、ただの空き地のようになっていました。「あそこの村は、どこへ行ったの?」「住んでたみんなは、無事なの?」と、声にならない声次々とあふれてきました。初めてこの地に来た人が見たら、おそらく、村どころか、家があったことも分からないくらい、きれいに全部流されてしまい、何も無くなっていました。
地震と津波が去った後、地域の復興のためにたくさん働きました。たくさん苦労したし、たくさん悩んだし、たくさん傷付きました。そうこうしているうちに、半年が過ぎ、一年が過ぎ、気付いたら二年が過ぎていました。そして、この地域もある程度の落ち着きを取り戻した頃、ふとした疑問が湧いてきたのです。
「そう言えば、“幸せ”って何かしら…?」
心境を吐露される依頼者さん(2013/5/18)
震災前は、不満があるとすぐ文句を言ったり、些細なことでイライラしたり、ちょっとしたストレスをすぐ吐き出すのが日常茶飯事でした。そんな中で、“幸せを感じた瞬間” がいつだったのか考えてみると、“特別な出来事があった時” や “お金をかけて贅沢をした時” が思い起こされました。つまり、時々訪れる幸せのために、日々の日常生活を耐え忍んでいるようなイメージでした。あの頃の私は、平凡なことを繰り返すだけの毎日は飽きてしまい、どこか嫌になっていたのです。
しかし、震災で被災してからの2年間を過ごしながら、ずっと頭から離れなかった光景は何かといえば、家で家族と食事したり、テレビを見たり、畑仕事をしたりという、震災前の “普通の日常生活” でした。そこに気付いた時、何か特別な出来事のことを幸せと呼ぶわけではないのだと、私は悟ったのです。何気ない普段の日常、平凡な生活こそが、実は “一番の幸せ” だったのです。
今の私を客観的に見ると、震災前と比べて平凡で、苦労も多くて、特別感の無い生活を送っています。でも、明らかに震災前と比べて “幸せ” をより多く感じる生活になりました。普通の暮らしができること、それこそが有難いことであり、素晴らしいことだと、今では心から思っています。