ボランティアが人生の新たな扉を開いた 【前編】

 あるNPOのリーダーが、被災地ボランティアの経験を通じて、生き方が大きく変わったという話です。

この方は2011年4月、震災の翌月に地元の大阪から個人で被災地に駆けつけました。

「最初はまさか、(ボランティア活動を)1年間もやるとは思ってなかったですよ。被災地入りした時は2〜3日活動したら帰るつもりでしたから。それが、気付いたら1週間になり、あれっと思ったら1ヶ月になり、早いな〜と思ったら半年経ってたんですよ。」

活動を始めて間もなくボランティアチームのリーダーを担われ、多くの現場で活躍されました。その中で、自身の心境も変化していったそうです。

「不思議なことに、気持ちって変わるものなんですね。最初は“少しやったら帰ろう”と思ってたのに、数カ月経ったら“帰らずに続けよう”と思ってましたからね。やめるタイミングは、自分で決めるというより現地の方に決めてもらえばいいかな、という感覚になりましたよ。」

しかし、長期に渡り過酷な生活を繰り返す中で体調を崩してしまい、ドクターストップがかかりました。活動を始めてちょうど1年が経過した2012年3月、地元に帰らざるを得ない状況になったのです。最後の夜、チームのメンバーが新たな出発を祝ってくれました。

「帰るとなった時は、本当に悔しかったですよ。まだここ(被災した地域)には、やるべきことが沢山あるし、共に頑張ってる仲間もいる、私自身も続けたい。でも、帰らなければならないっていうのが、言葉にできないくらい悔しかったですよ。」

こうして、1年間にわたる被災地ボランティア活動を終えて、東北の被災地から地元の大阪に帰りました。

「帰った直後は後悔の思いも湧いてきたし、悩んだり、悔しくもなりましたよ。その思いの矛先は“ここ(関西)から被災地を支援したい”という方向に向きましたね。しかも、仕事をやる片手間にするのではなくて、被災地支援だけを本気で取り組みたかったんですよ。」

しかし、いざ行動に移そうとすると、多くの壁が立ちはだかりました。仕事をしないということは、当然収入が無いので、今は大丈夫でも、すぐに資金が尽きて生活できなくなるのは目に見えていました。

「かといって、仕事をしながらでは、被災地に対する意識や支援を続けるのは簡単じゃない、周りの人たちを見ていてそうだった。だから必然的に “仕事を取るか?” または “被災地支援を取るか?” のどちらかだろうなと思ったんですよ。」

様々な思いが交差し、多くのことを考え、悩みました。ある日は椅子に座って、一日中考え事をしていました。まさに“考える人”になったのです。

「もしも、被災地支援を取ったらどうなる?」

「仕事してた時よりも貧乏になるのは目に見えてる。」

「明らかに金儲けはできない。」

「最悪、自分が生活する最低限のお金も入ってこない可能性がある。」

「当然、家族や周囲の人も心配する。」

「やっぱり、仕事を取ろうか…」

そんなことを考えていた時、本質的な問いかけが、ふと頭の中に浮かびました。

「待てよ、そもそも自分は一体、何の為に生活しているんだ?」

「金儲けをするためか?安定した生活のためか?」

「仮に金儲けできたとして、その金で自分は何をしたいんだ?」

「自分にとっての本当の幸せって何だ?」

ある日、被災地から大阪へ帰った日のことを思い出しました。

「そう言えば、あの時も辛かったな〜。何が辛いかって、単純に“やめたこと”が辛かったわけじゃない。やめたくてやめるのなら納得ができる。でも、自分はやめたくなかった。だから一番は、自分の“意思に反した決断”をすることが辛かったんだな。」

そこで、ひらめきました。

「もし今、仕事を取ったとしたら、“自分の意志に反した決断”をすることになるので、あの時と同じ辛さをまた経験するはめになるじゃないか…」

「………」

「…それなら、たとえリスクを抱えながらでも、自分が行きたい道を選ぼう!」

それまで重かった頭の中がスッキリして、一気に軽くなったのが分かりました…

≪後編に続く≫

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