宮城県内の被災した人たちから聞いた話を紹介します。
この町では、震災後に生ごみの分別基準が厳しくなりました。 例えば…
【生ごみの分別基準】 〇砂糖は生ごみだけど、塩は可燃ゴミで捨てる。 〇味噌汁の具は生ごみだけど、味噌は可燃ゴミで捨てる。 〇 果物の皮は生ごみだけど、種は可燃ゴミで捨てる。 〇 バターは生ごみだけど、牛乳は可燃ゴミで捨てる。 〇 卵の中身は生ごみだけど、殻は可燃ごみで捨てる。…etc
これだけ聞くと めんどくさいな と思っちゃいます。でも、こうなった理由が分かると、誇らしいな と思えるようになるんです…
震災から3カ月後 (2011年6月)の町内沿岸地域
この町は震災直後、電気やガス、石油などが入手できなくて困る人が多かったです。そこで、復興計画を作る際は「生活インフラは地域内でまかなえる町を目指そう!」となり、そのために注目されたのが、今まで埋め立て処理していた生ごみでした。
震災から6年半後 (2017年9月)の町内沿岸地域
2015年に生ごみのリサイクル施設が完成したことで、生ごみから資源 (電気と液体肥料) を作れるようになりました。その能力は…
【処理能力】1日の生ごみ処理量:10.5トン 【発電能力】1年間の発電量:一般家庭 60世帯分 【肥料生産能力】1年間の生産量:1000㎡の田んぼ 700枚分
ただ、住民にとっては生ごみ分別が今までより厳しくなるため、分別に関する説明会は町内全域で60回以上も開催されました。 住民の努力もあって、今 (2017年)では、生ごみ分別率が90%を超えてるようです。将来的には「町の丸ごとブランド化」を目指しているようです。 こういった経緯を知ると、ゴミの分別が厳しくなっても めんどくさい 以上に 誇らしい と思えるようになります。
おそらく、住民みんなが ❝誇らしい❞ と思えた時、この町の復興がまた一歩前進するのだと思います。