東日本大震災で被災した人から話を聞きました。夫婦二人暮らしで、地震の時は奥さんが自宅にいて、旦那さんが仕事の関係で隣町にいたようです。
あの日、私は隣町で地震に遭遇しました。ものすごい揺れで 、ただ事ではないと思い、すぐ車で自宅に向かいましたが大渋滞で進まず。すると、海の方から来る津波が見えて、逃げ切れないと思い、とっさに車を捨てて近くの松の木に登りました。
津波が来ました。車はどこかに流され、あっという間に町一面が海になり、私は松の木の上から身動きが取れなくなりました。周りを見ると、津波で建物が流されたり、漁港の船が市街地へ流れて来たり、油に引火して工場が火事になったり、ガスのタンクが引火して打ち上げ花火のような音がしたり、空からは雪が降って一面白くなったり… あの光景を一言で言うなら “地獄” でした。
私は結局、松の木の上で一晩を過ごしました。いつ死んでもおかしくない状況だったので、いろんなことを考えました。“もう人生終わったな” とか、妻に対して “今までありがとう、お前は生きろよ” とか、遺書を書くような、祈るような感覚でした。“死ぬ間際には人生が走馬灯のように蘇る” とか言うじゃないですか、まさにそれです。
翌朝、水位がある程度下がったので、水の中を歩いて自宅へ向かいました。途中、前日の火災の影響か、灼熱の熱風に襲われて火傷しそうでした。上半身は燃えるように熱いのに、下半身は雪混じりの水に浸かりながら凍るように寒く、拷問のようでした。
やっとの思いで自宅へ到着しましたが、津波で全部流さて跡形も無く、妻の姿も見当たりませんでした。その後は必死に妻を探し回った末、奇跡的に再開できたんです。 津波の時自宅にいた妻は、波の力でどんどん家が壊されていく中、頭の中で “もうダメかもしれない” と何回もよぎりましたが、運良く救助されて助かったようです。 私は、あまりにも嬉しくて「生きてたんだ!」と何回も言ってしまいました。 “生きていてくれて、ありがとう” という想いが、心の底から湧いてきたんです。普段の平凡な日常生活の中では感じられない、不思議な感覚でした。
震災の一見を通して、私は学んだことがあります。 「“家族”という言葉の定義って何だろう?」と考えてみた時、 「“いてくれるだけで、ありがとう”と自然に思える人」のことを “家族” と呼ぶのだと感じました。震災後は、私自身も夫婦間のちょっとしたもめ事が、だいぶ少なくなりました。血の繋がりにこだわらず、家族だと思える人が増えた分、その人はおそらく、幸せになれるのだと思います。