「被災した方たちは、心がとても強かったので、逆にこちらが力をもらいました。」
「被災地では笑顔で元気な方が多かったので、安心しました。」
「被災して、もっと深刻に悩まれているのかと思ったのですが、とても前向きだったので安心しました。」
ボランティアさんからは、こんな声をよく聞きます。その中で私は、最近一つ心配になってることがあります。
というのも、ボランティアさんたちといろいろ話していると、上で述べた感想に付随した形で、言葉には出ないけど、こういう心境になっている方が多いからです。
「被災した方たちは、心がとても強かったので、逆にこちらが力をもらった。(だから、心の傷も癒えたんだ!良かった!)」
つまり、
心が強い=心の傷が癒えた
と捉えているのです。
ではここで、
Question:“心が強い=心の傷が癒えた”でしょうか?
実際、被災地でずっと活動を続けるボランティアさんたちと話すと、心が強い方、笑顔で元気な方は大勢いるのですが、その中には家族を失い、心に深い傷を負い、今でもその時に負った傷が心深くに刻まれてる方が多いと聞きます。
そういう方たちから聞くのは、
Answer:心が強い=心の傷に負けずに努力してる≠心の傷が癒えた
です。
ここで、“心が強い=心の傷が癒えた”という捉え方に対して私が心配をする理由が二つあります。
1:心の傷が癒えた→心のケアも必要ない→ボランティアも必要ない→ボランティア精神の低下→忘れ去られてしまう→私の心の中で震災の風化が進む
2:自分の心が1の状態になってしまっていても、自分自ではそのことに気付いてない、というケースが多い
上記の1,2ようになると、しばらく時間が経ってからハッとします。風化していたのは“周囲の環境”ではなく、“私の心”だったことに気付くのです。
震災の風化を促進してる要因の一つは、現地の頑張ってる方たちと会った時に持つ“誤解”や“安易な安心感”かもしれません。