自然と寄り添う生き方 [前編]

東日本大震災の被災地で、農家のお父さんから聞いた話です。この人は震災前から農家を経営していて、お米を中心に複数の野菜を栽培していました。

東日本大震災をきっかけに、うちの畑はもちろん、この町の農業も大きく変化しました。

震災前、元々この畑では、お米を栽培する際に農薬を使ってました。しかし、毎年使い続ける内に、害虫も徐々に強くなってきて農薬の効きが弱くなり、それに負けじと農薬を散布する回数がどんどん増えていきました。大量の農薬を吸収して収穫されたお米を食べながら “お米と言うより農薬を食べてるんじゃないか?” と思う時もありました。大量の農薬は、大地に染み込んで他の農作物にも影響したり、川を伝って海に広がると漁業などの他業種にも影響するので、環境に良くないです。

そんな時に震災がありました。この畑は少し内陸にあったので津波は大丈夫でしたが、揺れはすごかったです。揺れが収まっても、生活インフラは止まったままでした。すると、近隣住民たちが各家庭に備蓄していた米を持ち寄って集会所に集まり、お米を炊いて、おにぎりをたくさん作って配りました。早くも、震災当日の夕方には炊き出しをスタートさせたんです。この炊き出しがあったおかげで震災翌朝、自衛隊が来る前から、消防団員数十名が救助活動を展開できたんです。

この時は、お米の大切さを身に染みるほど痛感しました。自然の力は、農作物を通じて人を生かしもすれば、自然現象を通して人を殺しもするのだと思い、“自然との向き合い方” を考えさせられました。 そこで、自然とケンカしたり、力で押さえつけようとするのではなく、私は “自然と仲良く付き合いきたい” と思いました。この出来事が、その後の自分自身の農法を見直すキッカケにもなりました。

その一方で、震災直後は全国から多くの人たちがこの町の支援に駆け付ける中で、様々な人たちとの出会いがありました。例えば、農業があまり盛んではない地域の人で「うちも米農家で、ササニシキを無農薬で作ってるんですよ!」という関西のお米農家の話、ネギの生産が有名な地域の人で「この地域の気候なら、おいしいネギが育ちますよ!」とネギ栽培のノウハウを教えてくれた関東のネギ農家の話など、聞きながら可能性を感じました。

更に震災後、この町が復興の方針として打ち出したのは「循環型の町づくり」でした。これを機に、農薬をできるだけ使わない農法に変えれば、“環境にも優しいし町の復興にも貢献できる” と思いました。様々な人たちとの出会いを通して意欲もわいてきたので、新しく無農薬栽培への挑戦をスタートしました。

〔後編へ続く〕

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