10月16日(火)のつぶやき

今日、統一教会平和奉仕ボランティア隊・UPeaceの第49陣が石巻に出発しました!今回は、私は行きません。別のキャプテンが担当してくれています!(^0^)いろんな人にキャプテンをやっていただきたいので、関心のある人は、ぜひチャレンジしてみてください!

加藤@石巻ボランティアさんがリツイート | 1 RT


【募集中!!】50,51陣→11月52,53陣→12月具体的な日程は、UPeaceのHP(upeace.jp/anatanidekiru)にあります。ぜひ、ふるってご応募ください pic.twitter.com/Vk2FaDYs


10月13日(土)のつぶやき

石巻駅前の商店街が「子どもの街」に!?仮想の店舗・病院・通貨などを用いて、100種類の職業を疑似体験!素晴らしいイベントですね!子供に夢を持ってもらいたいです!kahoku.co.jp/news/2012/10/2…河北新報


 感動した話をブログにアップしました。私も尊敬している人の話です。 覚えてる範囲で書くので伝わりにくいかもしれませんが、ニュアンスだけでも伝わればと思います。 goo.gl/u71wI


10月11日(木)のつぶやき

被災地を案内し、教訓や復興状況を伝える「語り部タクシー」が発信!「語り部」の認定証を受けたドライバーが、「公認 震災の語り部タクシー」のステッカーを付けたタクシーで被災地を案内!料金は1時間で5300円kahoku.co.jp/news/2012/10/2…河北新報


10月10日(水)のつぶやき

10/8にAKB48のメンバーが石巻市でミニライブ!他地域からの追っかけを防ぐため、2日前から防災無線と口コミで広めた。女性ファン「まさかここまで来てくれるとは思わず、同じ空間にいるだけで元気がわいてきた!」hibishinbun.com石巻日日新聞


作業中に骨を発見したら…

 海沿いの地域でガレキ撤去をしました。石巻市でも田舎の方はガレキが残っている地域があります。

 作業していると、メンバーの一人が
「ほっ、骨を見つけたんですけど…」
 と言ってきました。

 行ってみるとそこには長さ約20cm〜30cmの骨が3本ありました。最初は動物の骨かと思いました。しかし、形からして人間の骨でもおかしくないと思い、素人では判断がつかなかったので、警察官を呼ぶことにしました。

 現場は街中から離れた場所だったため、到着まで1時間以上かかりました。

 この1時間が、3時間位に感じました。

 駆けつけた警察官に骨を見せました。
「あ、確かに骨ですね。これは、、、どこで見つけましたか?」
 発見した現場を見てもらったうえで、何の骨か聞きました。
「外見を見ただけだと、断定はできませんね。可能性としては、人間のものより動物のものである可能性の方が高いです。ただ、人間の物である可能性もあるので、調べに回しますね。」
 素人にも、動物のものか見分けれるか聞きました。
「それは、ちょっと難しいですね。」
 この場はそれで終わりました。

 結果的には後日、動物の骨だと分かりました。話によると、この時に我々がガレキ撤去をしていた地域は動物が多く住んでいるため、動物の骨が見つかることは頻繁にあるようでした。

 後から振り返ってみれば、動物の骨を取りに来る5分のためだけに、往復3時間をかけて警察官に来てもらったことになります。なので、少し申し訳なさを感じたのですが、それに対して
「何か気になるものがあったら、些細なことでもいいので、ドンドン呼んで下さいね。」
 と言われました。何気なく言われた言葉だったのですが、何故か私はその言葉に重みを感じて、その言葉がずっと心に残っていました。
 話には出ませんでしたが、
「もしかしたら、この何気ない骨から、行方不明者の発見につながるかもしれませんから。」
 そう言われているように感じました。 

 活動が終わって東京に戻って一息ついている時に、何気なく見ていたニュース記事の一部が目に留まりました。
「震災から1年半が経ち…行方不明者が約2800人…今でも親族が捜索中…」
 あの時出会った警察官は、使命感だけで捜索していたのではなく、行方不明者の親族のような気持ちも持って捜索していたのだと分かりました。

風化は私の心から

「被災した方たちは、心がとても強かったので、逆にこちらが力をもらいました。」
「被災地では笑顔で元気な方が多かったので、安心しました。」
「被災して、もっと深刻に悩まれているのかと思ったのですが、とても前向きだったので安心しました。」

 ボランティアさんからは、こんな声をよく聞きます。その中で私は、最近一つ心配になってることがあります。

 というのも、ボランティアさんたちといろいろ話していると、上で述べた感想に付随した形で、言葉には出ないけど、こういう心境になっている方が多いからです。
「被災した方たちは、心がとても強かったので、逆にこちらが力をもらった。(だから、心の傷も癒えたんだ!良かった!)

 つまり、
 心が強い=心の傷が癒えた
 と捉えているのです。

ではここで、
Question:“心が強い=心の傷が癒えた”でしょうか?

 実際、被災地でずっと活動を続けるボランティアさんたちと話すと、心が強い方、笑顔で元気な方は大勢いるのですが、その中には家族を失い、心に深い傷を負い、今でもその時に負った傷が心深くに刻まれてる方が多いと聞きます。

そういう方たちから聞くのは、
Answer:心が強い=心の傷に負けずに努力してる≠心の傷が癒えた
です。

 ここで、“心が強い=心の傷が癒えた”という捉え方に対して私が心配をする理由が二つあります。

1:心の傷が癒えた→心のケアも必要ない→ボランティアも必要ない→ボランティア精神の低下→忘れ去られてしまう→私の心の中で震災の風化が進む
2:自分の心が1の状態になってしまっていても、自分自ではそのことに気付いてない、というケースが多い

 上記の1,2ようになると、しばらく時間が経ってからハッとします。風化していたのは“周囲の環境”ではなく、“私の心”だったことに気付くのです。

 震災の風化を促進してる要因の一つは、現地の頑張ってる方たちと会った時に持つ“誤解”“安易な安心感”かもしれません。

ボランティアは、がれき撤去が終わったら何をする?

最近、頻繁に聞くキーワードの一つにこんな言葉があります。

「子供の支援」

震災後から、子供に関する話を聞くことは多いです。

「うちの子供は、震災から1年間は怖くて外へ出て遊ぶことができなかった。1年が経って、少しづつ外に出れるようになってきたよ。」
「ご近所さんからは、いじめが多くて大変なんだって話をよく聞くの。」
「震災後は、津波の汚れがちょっと残ってるそこ(集会所)に、子供が怖がって行けなくなっちゃった。」

「ここの学校は、震災前はしっかりした進学校だったんだけど、震災後は徐々に生徒たちが荒れてきて、今では警察官が校舎内を定期的に巡回しないと学校が成り立たない位になった。」
これらの話はその一例です。

最近はこんな話も増えてきました。
「子供たちは素直で純粋だから、震災から受けた心の傷は、見た目以上に深い。」
「一般的にも“夢のない子供”や“元気のない子供”が多いとは言われてるが、それとはちょっとレベルが違う。」
「この地域の子供は、夢が“ない”のではなくて、夢を“持ちたいのに持てない”から、見てて危機感を感じる。」
「大人からしても、この地域に住む子供たちの将来が見えない。子供はそんなこと気にしないけど、子供を持つ親は不安。」

現地では、子供が受けた心の傷に対する問題意識を持ってる方がとても多いです。
なぜか?

「傷というものは普通、時間の経過と共に治るが、子供が受けた心の傷は時間の経過と共に治らない可能性がある。」
「この傷は、治らないどころか悪化する可能性すらある。実際、悪化してるケースがあるから、今の被災地の環境下だと、更なる悪化の可能性も高い。」
「受けた傷は“数年で治る一時的な傷”にとどまらず、“人生70年の傷”になりかねないし、“命を落とす傷”にもなりかねない。」
「夢を捨てた子供もいる。そんな子は今、とても悩んでる。津波で家が壊れて悩んでるんじゃなくて、夢が無くなったことで悩んでる。」

これらの問題はがれきと違って、パッと見てもすぐ分からないことが多いので、他の地域から来ると気付きにくいです。

最近は、子供の支援に取り組んでるボランティアチームが多いです。ボランティアにおいては、地域によってニーズが様々なので活動も様々ですが、“子供の支援”はどの地域においても必要だと感じました。

愛情にあふれたお母さん

あるお母さんから、夕食のお誘いを受けました。

最初は断りました。その時は私たちのチームも人数が多かったからです。しかし、「もう、人数分作って準備してるから、絶対に来てね!」というお話をいただいたので、お伺いすることにしました。

お母さんのお宅に伺ってみると驚きました。私たちのチームだけではなく、他のボランティアさんたちも含めて、30名〜40名位招いての夕食でした。しかも、お母さんが一人で40人分の手料理を作っていたのです。

更に、私たちのチームはそのお母さんから仕事の依頼を受けたことはありません。つまり、食事に誘われた時が、お母さんと初対面だったのです。顔も名前も知らない自分たちを、ただ “ボランティア” ということだけで、ここまで快く食事に招いて下さったこと、その寛大さに驚きました。

「さあ、食べて食べて!ボランティアさんたちにはすごく助けられたから、とても感謝してるのよ。だから、遠慮せずにたくさん食べてね!」

食事中、震災があった時の話をお母さんから伺いました。

このお宅は津波が来た時に、二階建ての家の一階部分が津波で埋まってしまいました。なので当然、津波後は家の周囲もがれきだらけでした。お母さんのご家族は避難していて大丈夫だったそうです。

「…それでね、津波が引いた後に家に戻ったんだけど、そこにはもう、信じられない光景が広がっていたのよ。あの光景を目の当たりにした時、何だか不思議な気持ちになったの。あの時の気持ちを言葉にしようと思っても、上手く表現できないのよ。悲しみともちょっと違えば、喜びでもないし…」

お母さんが話される様子からも、震災後に感じた心境は、本当に言葉で表現できないものだったのだと、よく分かりました。

「…それでね、自分でも驚いたんだけど、津波が引いた後の光景を初めて見た時に、“悲しみ”じゃなくて“笑い”が出てきたのよ。というか、笑いしか出てこなかったの。笑いが出てきた時は最初、自分ってついにおかしくなっちゃったのかな?と思ったくらい。普通だったら悲しくなって泣いたりすると思うんだけど、不思議と私は涙は出なかったの。
後ろ向きな気持ちは全く出て来なかったのよ。“この家をどうやって片付けようか?”とか、“この地域をどうやって復興させようか?”っていう前向きな発想しか出てこなかったのよ…」

そして、最低限の自宅の片付けをした後、お母さんは、ボランティアを支える為の炊き出しを始めました。それも、半年以上にわたって毎日、時には40名以上のボランティアさんたちに、お腹一杯になるまで食事を振舞ったのです。

震災から1年半が経過した今でも、遠方から来るボランティアさんを自宅に泊めてあげたり、ボランティアさんたちを招待して食事をご馳走したり、地域の復興行事に進んで手伝いに行ったり…話を聞けば聞くほど、このお母さんはボランティアさんたちの何倍も、人のため地域のために貢献しているように感じました。

「…不思議なことに、投げ出したくなったことは一度もないのよ。でもそれは、ボランティアさんたちにいっぱい助けられてるからなのよ。だから、本当にありがとね…」

お母さんは、どういう側面でボランティアさんに助けられてるか聞くと、即答されていました。

「いくつもあるけど、ひとつは笑顔よ!
ボランティアさんたちの笑顔に、すごく力をもらうのよ。これから頑張ろうとするうえで、十分な力をもらうの。だから、私もボランティアさんの為にもっと頑張りたいし、もっといろんな人を支えたいと思うのよ!」

このお母さんは、ボランティアに助けられる以上に、ボランティアを助けていると強く感じました。しかし、お母さんは助けられてるという感覚しか持たれていませんでした。

私自身も、お母さんと話しながらとても感動しました。同時に、とても勇気付けられました。お母さんを通して、強さや優しさ、温かさ、愛情、いろいろなものを感じて、私も心が熱くなりました。

このお母さんはまるで、ボランティアさんたち皆にとっての、本当のお母さんのようでした。

被災地で生まれた夢

 ある現場で草刈りをしました。ちょっと物足りなさそうに作業をするメンバーを見て、昼休憩の時に現地の方がこの現場に関する話をしてくれました。

「ここは、津波で1階部分が水没して3日間水が引かなかった。津波が引いた後は町中がれきだらけになった地域だよ…」

 この場所は、津波後はがれきだらけだったので、ボランティアさんたちできれいにしました。その後、表面の汚い土を削って捨てて、土地を平らにして、きれいな土を入れました。

「がれきを撤去した後、この場所は今後どういう場所にしようかって話した時に、子供たちの遊び場にしようってなったんだよね。」

 ボランティアさんたちが沢山来たことで、この地域はがれきは徐々に片付いてきました。しかし今でも、細かいがれきの破片はいっぱい残っていたので、小さな子供たちが安心して遊べる場所はほとんどありませんでした。

「そして、フットサルチームの方を招いて、子供たちのサッカー教室を開いたのさ。すると、子供たちが30人集まったよ。小さな子供たちだったから、だいたい皆、お母さんと一緒に来てたね。もちろん、子供たちは普通に楽しそうにサッカーをやってたんだけど、驚いたことに、それを見ていた親たちがほとんど泣いてたんだよね…」

 震災後、子供たちは外で遊びたくても、危なくて親が止めていた。でも、親心としては子供たちを思いっきり外で遊ばせたかった。その光景をやっと見ることができた親が、感極まって泣いてしまったようです。

「そのことがあってから、子供の遊び場はこの地域にとって必要だと確信が持てた。だから、きちんとした芝のグランドにして、子供たちに思う存分サッカーを楽しんでもらえる場所にしよう!ということで芝の種を蒔いた。そして今、少しづつ芝が根付いてきたところなんだよ。」

 とても楽しそうに語られていました。話によると、芝というのは種から蒔いて育てるのが一番しっかり根を張るようです。できた芝を持って来て敷き詰めるだけだと、見た目はきれいだけど、土地への根付きがあまり良くない、だから種から蒔いたようです。予定では、来年になればきれいな芝のグランドが完成するようです。

「今では、ちょっとした夢があってね。それが、このグランドからサッカーの日本代表選手が生まれることさ。もちろん、ここ数日や数年で実現することじゃない。実現するとしても10年後や20年後、30年後かもしれない。だから、夢が実現する頃には自分はもう、この世にいないかもしれない。だからこそ、こういう夢を次の世代の若い人たちへ託したい…それも一つの夢かな。」

 震災後は、ただただ必死に動いていただけだったけど、その中から具体的な夢が出来上がっていったようです。
 そして最近は、夢を考えることが楽しくて楽しくて仕方ないんだと話されていました。

「夢は、自分自身が生きる力の源になってる。夢は、苦しい環境を乗り越える力をくれるよ。逆に夢がなかったら、自分も鬱や精神病にかかっていただろうな〜って思うよ。やっぱり人間は、考えるだけでわくわくする夢を持ってる方が、いい生き方ができるんだな〜って震災後は特に感じるね。」

 最初は、傷付いた子供たちに元気や夢を与えたい一心で活動を始めた。でも今では逆に、その夢が自分の支えてくれている、その夢が自分に生きる力をくれる。この感覚が、自分でも不思議に感じたようです。

 昼休憩が終わって午後の作業を始めたら、みんな草刈りに熱中していました。