ボランティア団体のリーダーから聞いた、ご自身が災害支援に携わることになったキッカケの話です。
東日本大震災の発災当時、私は東京に住んでいました。東北地方には行ったことも無く、知り合いもいなかったので、私にとっては縁のない地域でした。そのため最初は、災害支援のことで現地と関わる気は全くありませんでした。
しかし、震災関連のニュースや新聞を見ながら、少しづつ、被災地のことが気になり始めて “自分は何もしなくていいのだろうか?” という声が、耳元でささやくようになりました。やがて、震災のことが頭の片隅から離れなくなり、休日でも気持ちが休まらなくなってきて、「ここまで気になったら、一度、現地へ行かなきゃだめだな」と思うようになりました。
そこである日、「自分、被災地へ行ってくるから!」 と家族に伝えて、友人や仕事仲間、営業先の顧客など、話さなくてもいいような人にまで同じ話をしました。すると、周りの人たちは嫌な顔もせず応援してくれて、支援物資を集めてくれる人もいました。当時の私は、いろんな人に話すことを通して、自分自身の中で被災地へ行く気持ちを固めていたように思います。
しかし、被災地へ行く準備が進めば進むほど、不安が大きくなりました。当時は被災直後で、震度5や6の余震で津波警報が鳴ることが何度もあり、原発事故の影響で危険だと言う人も周りにいました。現地で生活環境も十分には分からなかったため 「…今回は、やっぱりやめておこう」 と躊躇しました。
そんな時、一旦落ち着いて自分の周囲を見渡してみました。そこにあったのは、被災地へ行く準備万全の車、知人に頼んで集めてもらった支援物資、集まった募金、私を応援してくれる家族や親友からのメッセージなどでした。これらを見ながら 「もう、後戻りするのはやめよう」 と、私自身の中で何かが吹っ切れた気がしました。
出発当日になりました。少なからず不安もありましたが、それ以上に不思議な感覚がありました。言葉ではうまく表現できませんが、「自分の意志で行くことを決めて出発した」 という感覚ではなく、「自分とは違う誰かから、目に見えない力で背中を “ポン” と押されるように出発した」 という感覚でした。
車で現地へ向かう道中、移動時間は普段の倍くらいかかりました。というのも、高速道路が震災の影響で、時速50km制限や70km制限の場所が多く、現地に着くまで10時間以上かかりました。最初は音楽を聞いてましたが、さすがに飽きてしまい、途中からはいろんなことを考えました。「自分は縁もゆかりも無い地域のために、なぜ、こんなにも頑張っているのだろう?」と、今更ながら考えました。でも、私の中からは納得のいく理由が出ませんでした。結局、「自分のことを呼んでいる誰かがいて、その誰かの期待に応えようとして頑張っている」と考えるのが、一番しっくりきました。こういう感覚を “第六感” とか、宗教を持つ人にとっては “神の導き” とか言うのだろうと思いました。
震災から1ヶ月も経たない4月初め、私は被災地に到着して災害ボランティアをスタートしました。その後も様々な紆余曲折がありましたが、今ではもう、私はここ (東北) の住民になっています。
震災前、私が思い描いていた将来像の中では “東北地方に住む” なんて夢にも思いませんでした。でも結果的には、ここへ来たことで人生が良い方向へガラッと変わりました。今では、ここへ来て本当に良かったと思っています。
振り返ってみれば、震災当時に “被災地へ行こう” という選択をしたことが、自分の人生にとって一番の大きな分岐点になりました。あの時のような、目に見えない不思議な力を感じた時は、その力に委ねて行動してみることも大切だと、今は思っています。