取り戻した信仰

浄土真宗の信仰を持つ人から聞いた話です。東日本大震災で被災した際、一度は信仰生活を送れなくなった経験をお持ちでした。

2011年3月11日の午後、いつもと変わらぬ日常を過ごす中で突然、東日本大震災が発生しました。その時私は、家族と一緒に沿岸地域の自宅にいました。近隣住民が避難するのを横目に見ながら、私は母が高齢で体が不自由だったので、母を車に乗せて一緒に避難しようと、必要な荷物を準備していました。

すると突然、何の前触れも無く突然、津波が家の敷地内に流れ込んで来ました。車へ荷物を積んでいた私は、津波の力で荷物と共に家の中へ押し戻されてしまい、母と一緒に自宅の中で被災を経験しました。津波が家の中一面に広がったかと思うと、あっという間に一面がプールの状態になりました。私と母は、押し寄せる津波とガレキによって玄関などが塞がれ、自宅内に閉じ込められてしまい、津波が引くまでは外へも出れなくなりました。

水の勢いは一向に収まらず、家の中の水位は床上1mを越えても上昇が続き、1.5mを越えると足が地面に付かなくなりました。母は泳ぐことができなかったので、私が母を抱きかかえながら立ち泳ぎしました。水位が2mを越えると、地面よりも天上の方が近くなってきました。自宅は平屋の一階建てだったため、高所へ逃げることもできませんでした。私は仏様の前に必死に祈りましたが、水位の上昇は続きました。

やがて私と母は、上昇する水面と天井の間で挟まれた状態になり、手を伸ばせば天井に届きました。私は「もう、ダメかもしれない」と思いつつも、仏様へ「助けてください」と必死に祈り続けました。ついに、水位は天井の一番高い場所とほぼ同じ高さまで来ました。空気の層がほとんど無くなり、顔を天井に押し付けなければ呼吸もできなくなりました。仏様へ祈り続けながらも、私は心の中で家族に対する別れを告げて、覚悟を決めました。

すると、水位の上昇が “ピタッ” と止まったような気がしました。しばらく経つと、天上に顔を押し付けなくても呼吸できるようになってきたため、水位が若干下がったのが分かり「何とか命拾いした…」と思いました。もし、水位があと5cm上昇していたとしたら、家の天井と津波の間にあった空気の層が無くなり、私自身も間違いなくあの世行きでした。

一方、家の隙間から外の様子を見ると大粒の雪が降っていました。時期としては3月でしたが、気温や水温は真冬並みに低く、体力がどんどん奪われました。手や足の指先の感覚が徐々になくなっていく中、私は何とか耐えていましたが、私が抱きかかえた母の方は、徐々に衰弱していくのが分かりました。やがて、母は自分の死期を悟ったように「今までありがとね…」と感謝の言葉をかけてきたので、私は必死に祈りながら、母に対しても声をかけ続けました。しかし、母は「あとは頼んだよ…あとは頼んだよ…」と何度も言いながら、私の腕の中で息を引き取りました。

一晩が過ぎて翌朝、ようやく水位が腰位まで下がったので、地に足を付いて歩き回れるようになりました。この1日で、私は母を含めた家族3人を亡くしました。あまりにも突然過ぎる出来事だったため、最初は全く実感が持てませんでした。その後、遠方に住む親戚へ連絡したり、パンク寸前だった火葬場で何とか受け入れてもらったり、家族の遺品を整理したり… 事が進む中で、家族を亡くした実感が徐々に湧いてきました。しかし同時に、やり場のない恨みや悔しさが溢れてきました。その思いはやがて「大切な家族をどうして3人も奪ったんですか」と、仏様にも向きました。それまで毎日唱えていたお経も、震災後は一切唱えられなくなりました。長年続けた信仰生活でしたが、この時ばかりは、やめようかと考えました。

その一方で復旧作業は、被災した自宅の泥出しや片付け、リフォーム、引越しなどで町中が毎日バタバタしていました。その反動もあってか、自身の身の回りが片付くと気持ちも落ち着いてしまい、家から出てこなくなる人が多かったです。その気持ちは、私もよく分かります。しかし、公園の泥出しや集会所の片付け、共同墓地の掃除など、本来は町内の住民が協力してやるべきことに対しては、声を掛けても人が集まらず、片付けが進みませんでした。そのため、町内の子供たちが「外で遊びたい」と言っても、公園はガレキが残ったままで遊べず、かわいそうな状態が続きました。また、亡くなった家族のお葬式をしようとしても、お墓が泥だらけで汚かったので、供養も満足にできませんでした。

そんな状況の中、積極的に手伝ってくれたのがボランティアさんでした。特に、UPeaceさんのような宗教ボランティアの方たちは、一般のボランティアさんが来なくなった後も、この町の支援をずっと続けてくれて本当に助かりました。そんなある日、いつものようにUPeaceさんが活動している姿を見ながら、まるで、その背後にいる仏様から助けてもらっているような、そんな感じがしたんです。

震災後、私は最初 “仏様は私の普段の行いを見て、罰を与えようと家族を奪った” と思っていました。でも、神様・仏様のことを信じているUPeaceさんのような宗教ボランティアの方たちから何度も助けられることを通して、“仏様は、私のことをずっと助けようとしていた” のかもしれないと、少しづつ思うようになってきたんです。時間がかかりましたが、ようやくまた、お経を唱えることができるようになりました。仏様に対する私の恨みが、解けてきたからだと思います。

震災から5年以上が過ぎても、あの日の出来事は、まるで昨日のことのように思い出されます。おそらく、一生忘れることは無いと思います。でも、それを根に持ちながら生活しても、家族が戻ってくるわけではありません。なので、私自身が世のため、人のために真っ当な人生を送ることで、少しでも供養につながればと思っています。

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