東日本大震災で被災されたお母さんから話を聞きました。ご自宅は2階建てで、1階部分が店舗、2階部分が住居でした。
震災当時、私は自宅にいました。2階の住居は大丈夫だったのですが、1階の酒屋は天井まで津波に浸かってしまいました。店内は一面泥だらけで商品も全て流されてしまい、津波が引いた後は見る影もありませんでした。当然、営業再開も厳しい状況だったので、主人といろいろ相談した末に、閉店する方向性で話が落ち着きました。
しかし、主人にとってこの店は単なる仕事ではなく、趣味であり、楽しみでもあり、生きがいだったんです。だから、閉店を決めてから主人はすっかり元気を無くしちゃいました。何に対してもヤル気が出なくなり、笑顔も少なくなり、やがて鬱になってしまったんです。更に、あまりにも動かなくなったので、体もどんどん太っていきました。
私は心配になったため、主人には専門の人からのカウンセリングを受けてもらいました。でも、主人の場合は鬱の原因が精神的なものではなく、具体的なもの(お店の閉店)でした。例えカウンセリングを受けたところで、原因が解決に向かうわけでもなかったので、鬱の症状は改善しませんでした。
一方で、市による街の再開発計画もなかなか提示されませんでした。お店の場所は河川の側だったため、場合によっては「再開発工事に影響する場合、強制退去になる可能性もあります」と聞いていました。そのため、この場所(店舗兼自宅)は取り壊されるのか?引越し先はどうするか?仕事はどうするか?悩み事は絶えませんでした。
結局「強制退去の話は無くなりました」と明確になったのは、悩み始めてから1年が過ぎた頃でした。引っ越す必要はないと分かってホッとした反面、あまりにも悩み過ぎたせいか、私自身も精神的に疲れてしまい、今更「希望を持って頑張ろう」という気持ちにはなれませんでした。
そんな時、心配して様子を見に来てくれたボランティアリーダーの方と、このお店の事情を共有しました。すると「私たちで良ければ、できる限りお手伝いしますよ」という話が出て、既に諦めていた私は驚きました。そして、あるボランティアさんからかけられた言葉が印象的でした。
「俺、やってやりますよ!」
その言葉を聞いて、私も心が動きました。店を再開できるかは分かりませんでしたが、「できる限りやってみたい」という気持ちが芽生えたんです。
そこからは、ボランティアさんが継続的に支援で来てくれました。顔も名前も知らない私たちのために、朝早くから店に来て、汗を流しながら作業しても嫌な顔一つせず、作業中に顔が汚れちゃっても、夕方になると笑顔を残して帰って行きました。店内の隅々まで泥汚れを取ったり、天上の柱も一本一本磨いたり、汚れがこびり付いた箇所を洗浄したり…など。1日や2日で終わるはずは無く、1週間、1ヶ月と継続してくれました。おそらく、業者でなくてもできることは、一通りやってくれたと思います。
そんなボランティアさんの明るい笑顔に毎日のように触れながら、主人は徐々に笑顔を見せるようになってきました。また、ボランティアさんが必死に尽くしてくれる姿に刺激されて、片付けも徐々に手伝うようになっていくのを見ながら、主人の鬱の症状が徐々に改善していくのが分かりました。
店内がどんどんきれいになっていくのを見ながら「これなら、頑張ればお店を再開できるかもしれない」と思った私は、ある日、主人に相談しました。すると、主人も希望を持ち始めて、見違えるように元気を取り戻していきました。更に、体もどんどん動かすようになったことで、太っていた体も徐々に引き締まり、震災前の健康そうな体つきに戻りました。主人の劇的な体型の変化は、ボランティアさんからも驚かれるほどでした。
数ヵ月後、お店は無事に営業を再開しました。震災前と比べると、商品の数は少なくなり、客足も減りました。でも、お店を営業していること自体が、主人にとっての幸せなんです。そんな主人を見ながら、私自身も嬉しくなりました。振り返ってみれば、ボランティアさんの “笑顔” に触れたことがキッカケで、主人は鬱が治りましたし、私自身も救われました。
震災直後は、お店の営業再開なんて叶わぬ夢、私たち夫婦にとっては大き過ぎる夢でした。でもボランティアさんが力を貸してくれたからこそ、叶えることができました。そのため今は、“お店を続けること” と “主人の笑顔が続くこと” という、新しい夢が見つかりました。今度目指すのは小さい夢ですが、他人の力は借りずに、私たち夫婦の力だけで叶えたいと思っています。