ボランティアする理由

東日本大震災の被災地で、長期的にボランティアをしている人から聞いた話です。この人の地元は関西で、個人的にボランティアへ参加していました。

私は、震災から1ヶ月後くらいの時期に被災地へ行きました。最初は、数日間だけボランティアをやるつもりで被災地へ行きましたが、いざ活動を始めてみると、気付いたら1ヶ月が経過していたので驚きました。「時間が経つのが早過ぎる」と思っている内に、2ヵ月が経過しました。

基本的に、ボランティアはかかる費用が全て自腹だったため、私の周囲では数日~1週間程度活動する人が多く、長い人でも1~2ヶ月でした。それ以上続けると、その後の自身の生活も危うくなってくるからです。

しかし、2ヵ月が経過しても、一向に被災者からの作業ニーズが減らず、むしろ増えているような状況だったため、私は「ここまで来たら、できる限り支援しよう」と思って活動を続けました。

すると、瞬く間に半年が経過しました。貯金もだいぶ減ってきていました。ここまで継続していると、周囲からも止められるようになりました。「もう、十分支援したと思いますよ」「これ以上続けたら無一文になっちゃいますよ?」「夢もあるんでしょ?」と、ボランティア仲間が気遣ってくれました。

更に、「おかげさまで、私たちは元気になったよ!」「そこまで自分を犠牲にしなくてもいいんですよ」「そろそろ、自分の夢に向かいなよ!」と、現地の人たちまで私が無理をしないようにと、気遣ってくれました。

しかし、私はまだ、終わるつもりはありませんでした。「自分の店(飲食店)を出そうと思って貯めた貯金があったから大丈夫ですよ」「仕事も正社員ではなく、飲食店で修業中の身だったので、すぐ辞めれて、都合が良かったんですよ」と、周囲に説明をしつつ、金銭的にはできるだけ節約しながら、活動を続けました。

震災から1年後、がれきの撤去作業はある程度落ち着いてきたため一つの節目の時期になったと思いました。貯金が底をついたこともあり、「そろそろ、帰り時かな」と思いました。後ろ髪引かれる思いもありましたが、地元へ帰ることにしました。

周囲からは、「ボランティアの域を超えてますよ」「赤の他人のために、なぜそこまで自分を犠牲にするんですか?」と、よく聞かれました。私の個人的な野望や思想を聞かれるのですが、そういった格好のつく理由は、私には特に無かったんです。しいて、何か挙げるとすれば「困ってる人を助けたい」くらいしかなかったですね。

思い起こせばあの日 (2011年3月11日)、私の地元である兵庫はほとんど揺れず、被害は特にありませんでした。友人たちと話す時は大抵、震災の話題が出たのですが、「被害が悲惨過ぎたせいか、逆に実感が持てないね」「you tubeの被害映像を見ても、まるでSF映画を見ているよう」と、どこか他人事のような会話が多かったです。でも、私の場合は、震災直後から東北のことが気がかりで、何をする時も頭から離れませんでした。というのも、私は1995年の阪神淡路大震災で被災した経験があります。当時高校生だった私は、自宅で被災しました。あの時、肌で感じた大きな揺れや地元の悲惨な光景は、震災から15年以上が経過した今でも、ハッキリ覚えています。あの時、心が幼かった私は地元のために何も貢献できず、自分の無力さを悔しく思いました。そこで、今回は少しでも支援しようと思いました。

ボランティア活動をしながら、様々なボランティアさんと話していると、ボランティアする理由や、自分のボランティア論を語る人も結構います。でも、長々とあれこれ語る人ほど、逆に嘘っぽく聞こえる気がするんです。もし、被災したのが自分の友人や家族だとしたら、誰だって、長々とした理由が無くてもすぐ助けに行くと思うんです。だから、ボランティアする理由はもっと単純で、シンプルでいいのではないかと、私は思っています。

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