[ 被災地ボランティア参加者の声 ]
東日本大震災が起きた当時、私はアメリカへ留学していました。震災直後は、私の先生やクラスメートたちが日本のことを想い、心配して、日本の状況を毎日のように私に尋ねてきました。
しかし、当時の私は情報不足で、周囲からの問いかけに対して何も答えられませんでした。そのことに対するもどかしさや恥ずかしさ、実際に現場に行って何もすることができないという悔しさが、今でも忘れられません。
約1年9ヵ月後… 日本に帰国するタイミングに合わせて、被災地に行く機会を得ました。
「被災して1年半以上も経てば、日本はもうボランティアは必要ないだろう…」
そう思っている人もアメリカにはいたので、私自身も複雑な思いを抱えながら、UPeaceの被災地ボランティアに参加することになりました。
2012年12月上旬、私にとっては初めての被災地でした。 活動前はこんなイメージでした。
「被災地ボランティア=がれき撤去」
しかし、実際に作業をしてみると、リフォーム前の解体作業、ペンキ塗り、Xmasイベントの下準備など。がれき撤去ではない作業ばかりでした。
また、作業中は私たちに「ゆっくりでいいんで、丁寧にやってください。」と、いつも声をかけてくださる他のボランティアさん。その言動から、本当に被災者を思う温かい心が伝わってきました。更に、作業時間外にも、現地の方たちから被災当時の話を聞いたり、疲れている方にマッサージをしたり、ちょっとしたプレゼントを贈ったり色々なことをしました。 活動後、気付いたらこういうイメージになっていました。
「被災地ボランティア=探せば、できることは無限にあるんだ」
ある日の依頼者さんは、津波によって大切な家族を亡くし、生涯忘れることのできない深い悲しみを背負われていました。にも関わらず、当時のことを何も知らない私に対して、笑い話を交えながら、教訓も交えて語ってくれました。また、作業をする私たちの現場に何度も足を運び、ねぎらいの言葉をかけてくれました。更に、休憩中にはお茶をもてなしてくれました。 依頼者さんの姿を通して、伝わってきたものがありました。
温かい “優しさ” と 、たくましく生きる “強さ”
「震災後、ニュースや特集番組でよく耳にしていた “絆” という言葉。その言葉の意味が、初めて分かった気がしました…」
活動後に近くの銭湯に行った時、ふと聞こえてきたBGMに、私は驚きました。それは、私がアメリカでいつも歌っていた曲、私の生活といつも共にあった曲、私にとっては本当に思い入れのある曲だったのです。その曲を、私は日本に帰って来て被災地に行ったタイミングで偶然耳にしたので、とても驚きました。私はこの時、背後から私を励まし、応援してくれている神様を感じました。そして、神様からの温かい想いに感動して、一人涙が止まらなくなりました。
色々な形や方法を通して愛を伝えようとする、“ユニークな神様” でした!
「アメリカに戻ったら、今回の被災地ボランティアを通して見聞きしたこと、被災地の現状や活動のことまで、アメリカのみんなに伝えます!」
[ 以上 ]