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12月6日(木)のつぶやき

只今、石巻市に向かって移動中!石巻の手前のパーキングの中に、地域を紹介する展示室を発見!場所は、春日PA! pic.twitter.com/VgCZENEz


そのPAで、むすび丸と記念写真!?( ̄▽ ̄) pic.twitter.com/9PoqZrDY

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12月5日(水)のつぶやき

前回のブログの続きをアップ!この人は、“自分の将来の夢”を見るのではなく、“夢が実現された後の世界”を見ていたのです… goo.gl/QR8vY

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いよいよ明日!統一教会平和奉仕ボランティア隊・UPeaceの第51陣が、石巻に出発します。現地では、時折雪がぱらついているので、結構寒そうな予感が…(; ̄O ̄)


ボランティアが人生の新たな扉を開いた【後編】

あるNPOのリーダーが、被災地ボランティアの経験を通じて、生き方が大きく変わったという話です。

この方は2011年4月から2012年3月までの1年間、被災地ボランティアに取り組みました。その後、地元の大阪に帰ったのですが、被災地を支援し続けたい思いが強く、大阪から被災地を支援する決心をされました。

 

≪前編の続き≫

「最初はもちろん、考え込むことも多かったですよ。仕事をやらずに被災地支援に集中しようと思ったわけですからね。以前の仕事をしてた時よりも貧乏になるのは目に見えてました。明らかに金儲けはできない。最悪、自分が生活する最低限のお金も入ってこない可能性がある。」

被災地を支援したい思いと、最低限の生活資金は稼いでおきたい思い。この二つを同時に実現する方法、それがNPOを立ち上げることでした。その手続きを進める一方、被災地をいかに支援するかを考えていったそうです。

「今までと同じ支援を続けるだけではダメだ…それなら、東北に住んでいる人の方が貢献している。でも、今自分は東北ではなく大阪にいる。…それなら、逆に考えてみよう。大阪だからできること。大阪でなければできないこと。きっとあるはずだ…」

目先のことだけ考えるならば、東北の支援を続ければいい。しかし、メディアでも報道されているように、近い将来またどこかで大きな災害が起こるだろう。東北では“教訓”を今後に生かそうと、次の大災害の備えをする取り組みもある。しかし、その意識や取組みは、東北から離れれば離れるほど弱くなっている。

「それだ!と思いました。被災地の支援と同時並行で、“関西における災害のための備え”をしようと思ったんですよ。それこそ、東北から離れた場所であればある程、やる価値があると思いましたからね。」

“被災地を支援したい”という『思い』が、“東北の支援を継続、NPOを作る、次の災害の備え”という『イメージ』になり、具体的な『形』になり始めたのです。

東北の支援は…

「定期的に被災地に行ってますよ。その時に、関西からの支援物資を届けたり、現地のボランティアチームの活動を手伝ったりしてます。有り難いことに、定期的に被災地に行くことが、自分のモチベーションを上げてくれたんですよ。」

NPOを作るのは…

「今もやってますが、詳細な書類申請が必要なので時間と手間はかかりますね。でも、やるべきことは明確なので、2ヵ月後には認定されそうです。そうしたら、改めてスタートしようと思ってますよ。」

『次の災害のための備え』とは…

「災害時の備えと言った時、誰しも思い浮かぶのは防災グッズ。しかし、一般家庭や会社、公共施設に防災グッズの備えはあるのか?というと疑問を持つ人が多かったんです。そこでまず、備えがあるのか調べて、無ければ何が必要か考えていきました。“備蓄量が多い程、廃棄になった時の損害が大きく、買い直すコストもかかる”、”地域の小・中・高校の全てを個人で支援するのは限界がある”…考えた末、防災グッズの備蓄に関する案内や会議、呼びかけなどの啓蒙活動から始めることにしました。」

これは一つの例で、それ以外にも様々な取り組みを展開しているそうです。今後の取り組みの話から将来の話になり、夢の話になりました。

まず、小さな夢は…

「NPOを5年間、まずは続けることですね。」

大きな夢は…

「カンボジアや貧しい国に小学校を作りたいんですよ。または、そういうことをやる人の手伝いがしたいですね。世界には、勉強したくてもできない子供がたくさんいるじゃないですか。そんな子供たちに、教育を受けさせてあげたいんですよ。」

しかし、この夢は“手段”であって“ゴール”ではありません。

夢を形にしたその先に、成し遂げたい『志』がありました…

「いろいろな地域に学校を建て、世界中の子供たちが学校に通えるようになる。

 その後、ようやく達成されるゴール。

 それは… “世界の偏差値を『1』上げる”

 つまり、ほんのちょっとだけ “世界を変える!”

 それは、おそらく目立たない “小さな変化”

 でも、間違いないのは… “不幸な人は今より減って、幸せな人は今より増える”

 それが、夢の中に潜む志ってやつですかね。

 考えるだけでワクワクしてくるんですよ。

 これが実現したら、すごいと思いませんか?」

この後も、いろいろな話になりました…

【以上】

この話を聞いた後は、感動とワクワク感と勇気を一気にもらったような感覚になりました。まるで、壮大な映画を見た後のような心境でした。

12月3日(月)のつぶやき

今週は、木曜日から被災地に行きます!まだ募集中なので、行きたい人は連絡待ってます!(^o^)行く予定のみんなは、ちょっと大げさなくらいの防寒具を持って行くくらいで、ちょうどいいかも!(^◇^)


石巻でまた一つ、校舎のお別れ会。義援金で立てられた慰霊碑には、津波で亡くなった児童たち31人の名前を刻む。ある児童は「校舎はなくなってしまうけど、ここに詰まった思いは決して忘れたくない」と話したkahoku.co.jp/news/2012/12/2… @kahoku_shimpoさんから


勇気と感動をありがとう!ロンドン五輪感謝パレードで熱気に包まれる仙台!観客4万8000人が沿道を埋めた!kahoku.co.jp/news/2012/12/2… @kahoku_shimpoさんから

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11月28日(水)のつぶやき

最近、あるリーダーから聞いた話をブログにアップ!「1年間にわたって取り組んだ被災地ボランティア。その後、私は“新しい生き方”を見つけました… blog.goo.ne.jp/upeace/e/06420…


小学生が授業で栽培した米を販売して、利益を被災地の学校に寄付!販売日当日は見事完売!ある児童は「1円でも多く売って、被災地の役に立ちたいと思っていたのでよかった」と笑顔を見せた。素晴らしいですね(^o^)yomiuri.co.jp/e-japan/tokush…読売新聞


ボランティアが人生の新たな扉を開いた 【前編】

 あるNPOのリーダーが、被災地ボランティアの経験を通じて、生き方が大きく変わったという話です。

この方は2011年4月、震災の翌月に地元の大阪から個人で被災地に駆けつけました。

「最初はまさか、(ボランティア活動を)1年間もやるとは思ってなかったですよ。被災地入りした時は2〜3日活動したら帰るつもりでしたから。それが、気付いたら1週間になり、あれっと思ったら1ヶ月になり、早いな〜と思ったら半年経ってたんですよ。」

活動を始めて間もなくボランティアチームのリーダーを担われ、多くの現場で活躍されました。その中で、自身の心境も変化していったそうです。

「不思議なことに、気持ちって変わるものなんですね。最初は“少しやったら帰ろう”と思ってたのに、数カ月経ったら“帰らずに続けよう”と思ってましたからね。やめるタイミングは、自分で決めるというより現地の方に決めてもらえばいいかな、という感覚になりましたよ。」

しかし、長期に渡り過酷な生活を繰り返す中で体調を崩してしまい、ドクターストップがかかりました。活動を始めてちょうど1年が経過した2012年3月、地元に帰らざるを得ない状況になったのです。最後の夜、チームのメンバーが新たな出発を祝ってくれました。

「帰るとなった時は、本当に悔しかったですよ。まだここ(被災した地域)には、やるべきことが沢山あるし、共に頑張ってる仲間もいる、私自身も続けたい。でも、帰らなければならないっていうのが、言葉にできないくらい悔しかったですよ。」

こうして、1年間にわたる被災地ボランティア活動を終えて、東北の被災地から地元の大阪に帰りました。

「帰った直後は後悔の思いも湧いてきたし、悩んだり、悔しくもなりましたよ。その思いの矛先は“ここ(関西)から被災地を支援したい”という方向に向きましたね。しかも、仕事をやる片手間にするのではなくて、被災地支援だけを本気で取り組みたかったんですよ。」

しかし、いざ行動に移そうとすると、多くの壁が立ちはだかりました。仕事をしないということは、当然収入が無いので、今は大丈夫でも、すぐに資金が尽きて生活できなくなるのは目に見えていました。

「かといって、仕事をしながらでは、被災地に対する意識や支援を続けるのは簡単じゃない、周りの人たちを見ていてそうだった。だから必然的に “仕事を取るか?” または “被災地支援を取るか?” のどちらかだろうなと思ったんですよ。」

様々な思いが交差し、多くのことを考え、悩みました。ある日は椅子に座って、一日中考え事をしていました。まさに“考える人”になったのです。

「もしも、被災地支援を取ったらどうなる?」

「仕事してた時よりも貧乏になるのは目に見えてる。」

「明らかに金儲けはできない。」

「最悪、自分が生活する最低限のお金も入ってこない可能性がある。」

「当然、家族や周囲の人も心配する。」

「やっぱり、仕事を取ろうか…」

そんなことを考えていた時、本質的な問いかけが、ふと頭の中に浮かびました。

「待てよ、そもそも自分は一体、何の為に生活しているんだ?」

「金儲けをするためか?安定した生活のためか?」

「仮に金儲けできたとして、その金で自分は何をしたいんだ?」

「自分にとっての本当の幸せって何だ?」

ある日、被災地から大阪へ帰った日のことを思い出しました。

「そう言えば、あの時も辛かったな〜。何が辛いかって、単純に“やめたこと”が辛かったわけじゃない。やめたくてやめるのなら納得ができる。でも、自分はやめたくなかった。だから一番は、自分の“意思に反した決断”をすることが辛かったんだな。」

そこで、ひらめきました。

「もし今、仕事を取ったとしたら、“自分の意志に反した決断”をすることになるので、あの時と同じ辛さをまた経験するはめになるじゃないか…」

「………」

「…それなら、たとえリスクを抱えながらでも、自分が行きたい道を選ぼう!」

それまで重かった頭の中がスッキリして、一気に軽くなったのが分かりました…

≪後編に続く≫

11月27日(火)のつぶやき

仙台で初雪!更に強風急襲!よし、次回の51陣はスタッドレスタイヤ装着!(^o^)/今年も寒くなりそうな予感が…(-_-:)kahoku.co.jp/news/2012/11/2… @kahoku_shimpoさんから


次回の統一教会平和奉仕ボランティア隊は…12/6~11(第51陣)→募集中!12/22~25(第52陣)→募集中!です。ぜひ、ふるってご応募ください!)^o^( pic.twitter.com/6n7vlnQW