「キャプテンの日記」カテゴリーアーカイブ

共に汗を流した元自衛官

 10月頃に、元自衛官の人と一緒に作業をしました。 その人は、2011年5月まで自衛隊にいたので、3.11の時はまだ自衛官だったそうです。

 

 震災後は、その人も被災地へ支援に行きたかったけど別の責任が与えられていたので、ずっと行けなかったそうです。なので、自衛官をやめたタイミングで被災地へボランティアをしに訪れていました。そして気付いたら、ボランティアを初めて5ヶ月がたっていたと話してくれました。

 

話を聞きながら、“3.11直後にすぐ被災地を助けに来れなかった”という悔しさが伝わって来ました。同時に、“もっと多くの困ってる人を助けたい!”という強い意志が伝わって来ました。すごい人だと思いました。私自身もこの人から刺激されて、もっと被災地の助けになりたいと思いました。

ニーズに合わせて活動は変化する

最近はよく、集会所のリフォーム支援をしています。

 その地域では、まだ住民が住んでいるにもかかわらず、津波によって地域の集会所がボロボロになって使えない状況です。なので、住民同士で触れ合える場所がなく、地域コミュニティが形成されていません。

 “コミュニティ形成の為、早急に集会所をリフォームすること”
 これが一つの課題になっています。

 

 ですが、市が責任を持ってリフォームするというのは難しい状況です。なぜなら、この集会所は海から近い場所にあるため、2〜3年後には取り壊しになる可能性があるからです。

 たとえ、市が大金をかけてこの集会所をリフォームしても、すぐに取り壊すことになってしまっては、それこそお金の無駄遣いになってしまいます。それは、地域のかたも理解されてました。

 しかし、この地域ではコミュニティ作りが必要な状況。のためにも、集会所がどうしても必要。しかし大金はかけられない。

 そこで、ボランティアさんたちで入ってリフォームをやろう!ということで、私たちも紹介され、素人ではありますが可能な範囲で、リフォームのお手伝いをしています。

 

 最近は、ボランティアといっても単純な泥出しだけではありません。その地域によってニーズも違うので、その地域に合った活動をすることが必要な段階に入ってきています。

カウンセラーより入れ歯

 3.11の震災後に、様々な人が支援に駆けつけました。
 そこで、カウンセラーのボランティアで来たかたがたは、被災者の心をケアしようと取り組んでいたけれど、当時はなかなか苦戦したという話を聞きました。

カウンセラーさんが心のケアに取り組んでも、なかなか進まないケースがあったようです。

 なぜか。被災者の悩みの種は、内面的なものだけではなく、具体的なものも多いということです。
 例えば、カウンセラーが被災者と話をして心のケアをされました。すると、イライラがとれて元気になられたようです。しかし、しばらくすると、またイライラして悩んでいたようです。
 よ〜く話を聞いてみると、そのかたは震災直後に入れ歯を無くしてしまい、食べ物を存分に噛むことができなくてイライラが募っていたようです。これでは、何回ケアをしても、その場で一時的に元気になるだけで、イライラする原因は解決できません。
 このイライラの原因を解決するのは、その人に合った入れ歯をはめてあげることです。
 今回の大震災の時は、元々自分が持っていたものが全て流されたかたが多いです。そのため、内面的な心の悩みも当然ありますが、具体的に物が無くなったから困っているという悩みも多かったようです。
 このように、相手の悩みを解決しようと思えば、相手は今何に悩んで、どうしたらその悩みが解決されるのか。解決策は気持ちを整理することなのか、それとも具体的な物が必要なのか。それをよく理解して、その相手に合った支援をしなければ、本当の意味で支援したことにはならないと言われます。

 

 

在宅被災者には援助がない

引っ越しの作業を手伝った時、そこの依頼者から聞いた話です。

自宅が被災して仮設住宅に住んでる人たちに対しては、市からの援助があります。それは、誰もが知ってる通りです。その一方で、自宅が被災したけれど、様々な理由から仮設住宅ではなく、家の二階などで生活してる人たちもいます。

いわゆる“在宅被災者”です。この在宅被災者に対しては、市からの援助が何も出ていません。これが“差別”ではないかということで、問題視しているんだという話でした。

 在宅被災者といっても、津波が全然来なかったから自宅で生活できているのではなく、1階部分が津波で完全にやられてしまったため、2階部分だけで生活している人が多いそうです。
 仮設住宅に暮らしてるかたと同様、被災者に変わりは無いんだと言う話でした。

とあるお母さんとの出会い

 6月に石巻の被害の大きかった地域へ視察に行った時、自転車に乗ってそこへ来たお母さんがいたので声をかけました。すると、そのお母さんは「ここが、私の息子夫婦が経営するお店だったのよ」と教えてくれました。よく見ると、そこは家の基礎部分だけが残っていて、元々そこにあったはずのお店が、そっくり流されてしまったようでした。
 「(息子夫婦は) まだ、行方不明なのよね」と言われてました。震災から3ヶ月が経ち、まだ見つからないんだけど、どうしても諦めたくなくて、今でも探しているという話でした。
 この日はお忙しい中だったのですが、時間の合間を縫って、わざわざこの場所に足を運んだようです。話を聞くと「今日は、息子夫婦の結婚記念日だから、何か見つけられたらいいなと思ってここに来たのよ」と言われてました。

 

 一通りお店の敷地内を歩かれた後、私たちに一礼して、自転車に乗って帰って行かれました。
 それから1ヶ月後、お店の敷地内に花が添えられていました。
 2ヶ月後、お店の敷地内に張り紙が張られていました。
 3ヶ月後、お店の敷地内に立て看板が立ててありました。
 半年後の12月、お店の敷地内には、まだ立て看板が立っていました。消えかかった文字の上から、マジックで何回も書き直した跡がありました。その脇に、きれいなお花と食べ物が置かれていました。

 6月にお店の前でお母さんに出会って以来、このお母さんに直接会う機会はありません。ですが、今でもお母さんは、頻繁にこの場所を訪れているのだと分かりました。

 

 

「被災地の方々へ送る新年の応援メッセージ 2012」公開中

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 

 さっそくですが、Twitter上で募集していました被災地の方々への新年のメッセージを元に、まずは動画メッセージという形で公開されました。

 

 ぜひご覧になってください。

 

 

 被災地の方々へ送る新年の応援メッセージ 2012

津波が来た瞬間と対処法

被災した人たちから、津波が来た時の状況を聞きました。

「津波警報が鳴ったから警戒していたけど、実際は津波が来たようには見えたんじゃなくて、白い霧が近付いて来るように見えたんだよね。だから、“霧だったら大丈夫だ、よかった〜”と思って油断していた。それが目の前まで来た時に、始めて津波だと分かったから驚いたね。」

「津波が来た時は、黒い土が流れてくるように見えたから、何が来たのかよく分からなかったね。音を聞いてみても水が流れて来る音じゃなくて、壊れる音やぶつかる音やいろんな音が混ざり合ってるから、すさまじくうるさい音になっていてよく分からない。だから、目で見ても音を聞いても、一体何が起きて、何が来たのかよく分からなかったよ。」

「津波警報が鳴ったから、てっきり海の方向から津波が来ると思ってた。でも実際は、海とは反対の山の方から先に津波が来たんだよね。だから“えっ!?”と思って、すごく驚いたよな。」

「津波警報が鳴ったから、最初は“ドッカーン”と波が来ると思って、急いで2階へ逃げて身構えてたよ。でも、来るか?来るか?と思ってもなかなか来なかくてね。来たか?と思って外を見てみても、家の隣の道路に静かに水が流れ込んで来たくらいだったから、てっきり大丈夫かなと思っていた。でも、そう思って落ち着いて、一階に下りてみようと思ったら、すでに一階がもう半分以上浸水していた。津波って、こんなに静かに一瞬にしてやって来るんだと思った時に、すごく驚いたよ。」

大部分の人たちに共通しているのは、自分の予測とは違った来方をしたということでした。しかも、同じ市内だったとしても、その時の自分自身がいた地域や、その周囲の環境によって津波の来方が違っていて、まさに予測不能状態だったことが分かります。では、自分の周囲で津波警報が鳴ったらどうすべきか聞くと、このように言われていました。

「まず、“自分は大丈夫だ”とは思わない。どんなに専門知識があって防災グッズの備えがあったとしても、“自分は大丈夫だ”と思わないこと。」

「次に、あせらないこと。地震の後に津波が来るまでは時間がかかる。あせらずに、歩いても大丈夫だから、まっすぐ高台へ向かうこと。」

「あとは、津波警報が鳴りやむまで、絶対に高台から降りないこと。」

したくてもできない約束

 UPeace参加者の声を紹介します。


ある日のボランティア活動後、少し時間があったので、その地域の子供と一緒にスポーツをして交流していました。帰る時間になったので、その子供に別れを告げて帰ろうとしたら、その子供が「じゃあ、またね!」と言ってきました。しかし、子供のその言葉に対して、私は何も返事ができませんでした。

その時に頭をよぎったのは、社会福祉協議会が出している “ボランティア10カ条” の中にある “約束は必ず守ろう” でした。たとえ相手が子供であっても約束は約束です。子供が「またね!」と言ってきた時に「うん、またね。」と言葉を返せば、また来るという約束をしたことになります。しかしこの時は、今後この場所に来れない予定でした。

 もし、その子供と笑顔で別れようと思えば、「うん、またね!」と言って別れた方が気持ちいいです。しかし、“約束”という見方をした時、それは子供に“嘘”をついたことになります。だからこそ「うん、またね。」と言えずに、笑顔を返すことしかできませんでした。

 言葉に責任を持つこと、それもボランティアにとっては大切なことだと感じました。

統一教会平和奉仕ボランティア隊 年末年始企画

 新年を迎えるに当たりまして、「被災された方々への新年のメッセージ」を皆さまから募集させていただきたいと思います。

 東日本大震災で被災された方々に思いを寄せ、考えられたメッセージを統一教会公式ツイッターまでツイートしてください。寄せられたツイートはまとめて、来年1月に被災地へ赴くUPeaceが届けます。被災地応援のためのツイッター連動企画にご協力をお願いします。

◆ 応募期間:12月22日(木)〜12月28日(水)まで(7日間)

◆ 応募資格:ツイッターのアカウントを持っている方ならどなたでも

◆ 応募方法:統一教会公式ツイッター

 「被災された方々への新年のメッセージ」を考えてツイート

※「あけましておめでとう」ではなく、被災された方々を配慮した、励ましのメッセージをお願いします

  ツイートの末尾には「#ユーピース」も加えてください

  ツイートと合わせて、画像などの投稿も受け付けます

※ 寄せられたツイートは厳選の上、寄書きなどにまとめ、来年1月に 被災地にお届けします

統一教会公式ツイッター:ucjptw

※ 寄せられたツイートや画像等は、今後の統一教会平和奉仕ボランティア隊(UPeace)の広報活動にも利用させて頂くことがあります

東日本大震災を通じて得たもの

ある集会所で、昼食時間の時にスープをいただきました。その時に、そこに来られていた現地の人たちから聞いた話です。


「3.11の前は、御飯を作って持ち寄るような文化は、この地域にはなかったんだよね。元々この地域は、人間関係が希薄な地域だったからね。でも、3.11があって、津波があった。確かに、ひどいこともたくさんあったけど、それをきっかけに“復興するぞ!”という文化が、この地域にもできてきた。そこから、この地域の中にも“絆”ができ始めたんだよね。今では、ボランティアをやりに集会所に集まった人たちに対して、ちょっとしたものではあるけど、この地域の人たちの意思で、感謝の気持ちを込めた食べ物を出せるようにもなってきた。他の人からするとちょっとしたことに感じるかもしれないけど、この地域にとっては確実な変化だな〜と感じてるんだよね。」

という話でした。またその後に、こうも言われていました。

「3.11がなかったら、この地域の人間関係は希薄なままだったかもしれない。あれがあって、この地域には絆が弱かったことに気付いた。3.11のおかげといったら失礼だけど、それによって全部がマイナスになったのではなくて、そこから得られたこともあったね。」

3.11はマイナスばかりの出来事でしたが、そこから生まれたプラスもあったのだと思いました。