教師でなければできないこと

他のボランティアの方から、震災関連の話を聞きました。

 

 その方は、関東で小学校の先生をされていました。ご自身が務める地域では最近、東日本大震災関連の本が小学校の道徳の授業で使われ始めているようです。

 その話を聞いた私は、自然災害の対処方法を学んだり、教訓を生かして防災訓練を強化する為かと思いました。しかしそこには、もっと本質的な内容がありました。

 

 

 2011年は、東日本大震災だけではなくて台風被害もあり、海外ではニュージーランド地震やタイの洪水もありました。これらの自然災害で、多くの人が家族や友人を失い、傷付く人や悲しむ人が多かったです。

 しかし、その一方で、人間関係を見直す人も多くいました。

 家族や友人といった身近な人に対して、今までは “一緒にいるのが当たり前” だと思っていたのが、 “一緒にいるのは恵まれたこと” だと思ったり、 “一緒にいてくれるだけで感謝なんだ” だと思ったり...。

 

 

2011年の “今年の漢字” の応募総数は、それまでの過去最高の約50万件だった。多くの人の注目を集めた中で選ばれたのは、1位「絆」、2位「災」、3位「震」でした。

被災地の光景をテレビで見たり、津波が来た時の映像をネットyou tubeで見たり...。メディアを通してでは、一般的に2位や3位の言葉に偏りがちです。

そんな中で最近、小学生の道徳の授業用に出版されているのが、この1位の言葉に焦点を当てた教科書だという話でした。

 

 

『地震があった。』

これは、簡単に伝わります。

『原発事故に発展し、大災害になった。』

これも、メディアを通して伝わります。

しかし、

『乗り越えた背景に、目に見えない多くの絆があった。』

これは、メディアを通してでは伝わりません。

 

「...そうか。これを伝えるのが “メディア” ではなく “教師” の役割なのかもしれない...」

 

 

 今、小学校の道徳の授業では、いい教材が少ない上、教える内容も不明確。そんな中で授業そのものが軽視され、授業数も減少傾向にあるという話でした。

 震災関連の本を道徳の授業で使うこと。

 それが、小学校の道徳教育を改善する、一つの “きっかけ” になっているようです...

今なら分かる!・・・だから私は、ここにいる。

あるボランティアチームのリーダーの方から、被災地に来た当初の印象的な話を聞きました。

以下、ボランティアリーダーの話

 

-----–【 震災直後 】-----–

震災後、最初は被災地に物資支援をしていましたが、 「現地は何が不足しているのか?」 いまいち分からなかったので、 「では、一度行って見よう!」 という話になり、当時一緒に物資支援をしていた仲間と一緒に被災地へ行きました。

 

 

-----–【 震災から二週間後 】-----–

現地に着くと、その光景の悲惨さに驚きました。最初は現地視察だけの予定でしたが、地元の人たちが必死にがれきを片付けているのを見たら 「これは手伝わなきゃ」 と思って、なんとなく一緒にやり始めました。

 

すると、遠くにいたお母さんが自分を呼びました。

「ちょっと、そこのお兄さ〜ん!こっち手伝って〜!」

小走りに行って見ると、

「お兄さん、あれ、降ろしてくれない?」

お母さんが指した方を見ると、電柱の上に何かが引っかかっていた。

よく見たら、それは、すでに息絶えた“人”でした...。

その瞬間、すごく怖くなりました。足の震えが止まらなかったです。

「何とか降ろしてくれないかなぁ〜。お兄さん、力持ちでしょ?」

何とか力になりたかった。

でも、勇気が出なかった。

結局、一歩も動けなかった。

 

これが、私にとっての、初めての被災地ボランティアでした。

 

 

-----–【 震災から数ヶ月後 】-----–

「皆さん、本日は私たちのよさこいを見に来てくれて、ありがとうございま〜す!」

 現地の方たちを元気付けようと、私が活動してる町に、よさこいのチームが公演に来てくれたのです。

「では、最初にお見せするのは、皆さんも多分、聞いたこがあるであろう曲!

 皆さん、“ソーラン!ソーラン!” というフレーズは、どこかで聞いたことがありますよね。それです!

 では、いきます...」

会場が “待ってました” とばかりに盛り上がり始めたので、私も現地の方と一緒に盛り上げ、公演がスタートしました。

 

すると、急に後ろの方から “トントン” と肩をたたかれて、小言で言われました。

「ちょっと、こっち来てください」

何かな〜?と思って行って見ると、いきなり言われました。

「お取込み中すいません。ちょっと、遺体の身元確認お願いします!」

「あ、はいはい。分かりました。」

何件かやりました。

「いや〜、助かりました。では、以上ですね。ありがとうございました。」

「あ、いえいえ。」

 

再び、よさこい会場に戻りました。

「あれ〜?どこに行ってたの?かなり盛り上がってたんだよ。」 と地元のお父さん。

「いや〜、ちょっとトイレが長くなってしまって。あら?もう結構進んじゃいましたね〜。」

何も無かったかのように戻り、地元の方に混ざって盛り上げました。

 

不思議な感覚でした。

よさこいで盛り上がったら抜けて、遺体の身元確認をしたら、またよさこいで盛り上がる。

この極端過ぎる環境の変化にも、いつの間にか慣れていました。

 

 

-----–【 震災から二年半後 】-----–

今、思い起こしてみれば、この出来事が印象的でしたね。

最初は遺体を前にするとカナヅチだった自分が、気付いたら、当たり前のように身元確認してましたね。

“慣れる” ってすごいですね。別に、悪いことじゃないんでしょうが、良いことでもないような気がしました。

 

震災の二ヶ月後、わざと罪を犯して捕まった自衛官のニュースが話題になりました。なぜ罪を犯したのか聞くと、こう答えたそうです。

「罪を犯して捕まれば、もう、被災地に行かなくて済むからだよ...」

 

なぜ、そこまでするのか?初めて聞いた当時は、全く理解できませんでした。

でも、今なら…何となくですが…分かる気がするんです!その気持ちが。

だから、地元に帰りたくても帰れない …のかもしれませんね。

「初めて分かった!」 〜絆の意味〜

[ 被災地ボランティア参加者の声 ]

 東日本大震災が起きた当時、私はアメリカへ留学していました。震災直後は、私の先生やクラスメートたちが日本のことを想い、心配して、日本の状況を毎日のように私に尋ねてきました。

 しかし、当時の私は情報不足で、周囲からの問いかけに対して何も答えられませんでした。そのことに対するもどかしさや恥ずかしさ、実際に現場に行って何もすることができないという悔しさが、今でも忘れられません。

 

約1年9ヵ月後...

 日本に帰国するタイミングに合わせて、被災地に行く機会を得ました。

 「被災して1年半以上も経てば、日本はもうボランティアは必要ないだろう...」

 そう思っている人もアメリカにはいたので、私自身も複雑な思いを抱えながら、UPeaceの被災地ボランティアに参加することになりました...

 

 

 

2012年12月上旬、私にとっては初めての被災地でした。  

 活動前はこんなイメージでした。

       「被災地ボランティア=がれき撤去」

しかし、実際に作業をしてみると、リフォーム前の解体作業、ペンキ塗り、Xmasイベントの下準備...など。がれき撤去ではない作業ばかりでした。

   

 また、作業中は私たちに「ゆっくりでいいんで、丁寧にやってください。」と、いつも声をかけてくださる他のボランティアさん。その言動から、本当に被災者を思う温かい心が伝わってきました。更に、作業時間外にも、現地の方たちから被災当時の話を聞いたり、疲れている方にマッサージをしたり、ちょっとしたプレゼントを贈ったり...色々なことをしました。

 活動後、気付いたらこういうイメージになっていました。

       「被災地ボランティア=探せば、できることは無限にあるんだ!」 

 

 

  

 

 ある日の依頼者さんは、津波によって大切な家族を亡くし、生涯忘れることのできない深い悲しみを背負われていました。にも関わらず、当時のことを何も知らない私に対して、笑い話を交えながら、教訓も交えて語ってくれました。また、作業をする私たちの現場に何度も足を運び、ねぎらいの言葉をかけてくれました。更に、休憩中にはお茶をもてなしてくれました。

 依頼者さんの姿を通して、伝わってきたものがありました。

       温かい “優しさ” と 、たくましく生きる “強さ”

 

 

「震災後、ニュースや特集番組でよく耳にしていた “絆” という言葉。

 その言葉の意味が、初めて分かった気がしました...」

 

 

 活動後に近くの銭湯に行った時、ふと聞こえてきたBGMに、私は驚きました。それは、私がアメリカでいつも歌っていた曲、私の生活といつも共にあった曲、私にとっては本当に思い入れのある曲だったのです。その曲を、私は日本に帰って来て被災地に行ったタイミングで偶然耳にしたので、とても驚きました。私はこの時、背後から私を励まし、応援してくれている神様を感じました。そして、神様からの温かい想いに感動して、一人涙が止まらなくなりました。

       色々な形や方法を通して愛を伝えようとする、“ユニークな神様” でした!

 

 

 

「アメリカに戻ったら、今回の被災地ボランティアを通して見聞きしたこと、被災地の現状や活動のことまで、アメリカのみんなに伝えます!」

[ 以上 ]

噂に聞いてた“石巻病”

 被災地ボランティアに参加したメンバーの声を紹介します。

 彼は、アメリカに留学している大学生です。2012年末に大学が休みの期間を利用して日本に帰国した際、4日間の被災地ボランティアに参加しました。

 

―――以下、メンバーの声(抜粋)―――

 

 ある日の作業後、共に作業をした地元の方から夕食に招かれました。

 その場には、私たちも含めたいくつかのボランティアチームが集いました。そこで私は、人生で初めて“統一教会”という立場でいろんな方々と交流したので、最初は少し不安がありました。

 交流をする中で、彼らが発する言葉に私は驚きました。

「統一教会さんは、お酒もタバコもされないんですよね?すごいですね。」

「このボランティアのために全国から集まったメンバーは、ほとんどが初対面なんですね。一人一人に相当の意思がないと集まらないですよね。」

 

「普段、一緒にボランティアをしている知り合いから聞いてたんですよ。“統一教会さんはすごい人たちだ”って。だから、一度お会いしたかったんです。今日会えて、本当に良かったです。」

「最初は統一教会さんに対して不審の目を向けていたんですが、震災からずっと活動を共にしていく中で、それは間違いだと気付きました。毎回来るメンバーは違うのに、みんな真面目で一生懸命で。」

 私はその話を、ただ聞いてるだけになっていました。

「あ、そうなんですか〜」

 ...ただ、気持ちとしては、統一教会のことをとても誇りに感じていました。

 

 

 

 最終日は、あるボランティアチームの拠点をお伺いしました。

 すると、偶然にもそこで、アメリカのプロ野球選手にお会いしました。彼は極秘で被災地を支援していたのですが、今回のXmasに合わせて、支援してる地域の小学生たちに会おうと被災地に来ていたのです。プロでも一線で活躍している選手を間近に、私は興奮を隠せませんでした。ものすごく緊張して、いつも通りに話せませんでした。完全にカミカミで、何を言ってるのか自分でも分かりませんでした。それでも頑張って僕が英語で話したことを、他のメンバーがもう一度、英語で説明し直してくれたぐらいです。

 

 私は、将来の夢がメジャーリーガーだったので、まるで自分の夢が形になって現れたようでした。そんな私を見たメンバーは、心からこう言ってくれました。

「この4日間頑張ったから神様がプレゼントをくれたんだよ!」

 こういう最高の仲間たちとの出会いも、ボランティアに来て良かったことの一つです。4日間という短い期間でしたが、彼らとは心が通じ、これからも共に生きていく良き兄弟のような関係になりました。

 

 

 

 活動を終えてみて意外でした“作業”よりも地元の方や他のボランティアの方との“交流”の方が印象的だったのです。

 数日後、私はアメリカに戻ります...しかし、決めました!

 「次に帰国する時は、絶対、もう一度被災地に行く!」

  

 ...なるほど。 これが、噂に聞いてた“石巻病”なんですね。

 

ボランティアに懸ける想い!

 あるボランティアチームのリーダーの話です。

 

 この方が被災地を訪れたのは、震災から約一ヶ月後。最初は、数日間だけボランティアをやろうと思って石巻市を訪れました。

 しかし、いざ始めてみると...

「あれっ?もう一ヶ月経ったの?時間が経つの、早過ぎない?」

 

 そう思っている内に、二ヶ月が経過しました...

「いや〜、まいったなぁ。ここまで来たら、自分の気が済むまでやってみよう。」

 

 あっという間に半年以上が経過しました。気付いたら、貯金が残りわずかでした...

「まだ止めることはできないよな〜。ある程度は(町の様子が)落ち着くまで続けられるように、できるだけ(お金を)節約して、何とかやりくりしなきゃ。」

 

 その頃、この方と一緒の作業現場になることが増えました。

 当時、「収入無しで半年間もボランティアを続けているのはスゴイ」と、周囲にいる方の多くが驚いていたのです。

 私も驚いたので、休憩時間を利用して、ボランティアに来た経緯を聞きました。

「元々は、横浜辺りで自分の店(料理屋)を構えたかったんですよ。だからあえて、どこかの会社の正社員にはならず、バイトして資金を貯めながら料理の修業をしてたんですよ。自分の夢ですね。資金も貯まり、料理の腕もある程度磨いて、そろそろお店を出せるぞ!と、そんな時に震災が起きたんですよ。

 だから、ある面都合が良かったんですよ、ボランティアに行こうと思ったら。お金もあったし、仕事もすぐ辞めれる立場だったし...」

 

 九ヶ月が経つ頃、復興が早い地域では、がれきの撤去作業にある程度の区切りがつき始めました。

「がれき撤去は落ち着き始めたので、一つの区切り目かな。貯金もついに無くなっちゃったから、これは “帰れ” ってことなのかな〜?

 まあ、後ろ髪引かれる思いもあるけど、今月の末(2011年12月末)には、地元に帰ることにしよう...」

 

 

 

 そして、地元に帰る日の前日、この方にとっての作業最終日に、偶然にも、私たちと同じ作業現場になったのです。私は、ボランティアに対してそこまで懸けることができた想いは何なのかを聞きました。

「なぜそこまでできるか?ですか。そりゃあ、困ってる人を助けたいからですね!

 即答でした。

「...まあ中には、ボランティアをやる理由とか、自分のボランティア論をいろいろ語る人もいますよ。

 でも僕に言わせれば、ボランティアをやる理由を長々と語る人ほど、逆に嘘っぽく聞こえるんですよ。

 もし、被災者が自分の友人や家族だったら、長々とした理由が無くたって、誰でもすぐに助けに来ますからね。」

 その翌日、この方は地元に帰りました。

 

 

 

 それから数週間後...

 いつものように朝、現場に着いて作業を始めた時のことです。

「どうも、お久しぶりです。」

私 「えっ?どうしてここ(石巻市)にいるんですか??」

「家の方で、ちょっといろいろあってね...こっちに帰って来たんですよ。しばらくいると思うので、またよろしくお願いしますね!」

 

 

 この方が、再び被災地に戻って来たのです...

守れない約束

先日、現地の人から、近所に住んでいた夫婦の話を聞きました。

 

≪2011年3月11日 午後2時46分 地震発生≫

 

【震災の当日】

 そこは、震災直後に情報が混乱していたため、多くの人が逃げ遅れた地域です。

 夫婦が車に乗って出た直後、背後から津波に追いつかれました。

 波の勢いでご主人は車の外に押し出され、奥さんは車に乗ったまま流されました。

 ご主人は運よく、近くの電柱に手が届いたので、電柱の上に登りました。

 車は、奥さんを乗せたまま流されていき、見えなくなりました。

 

 

【震災の翌日】

 ご主人は無事でした。電柱にしがみついたまま、一晩を耐え忍んだのです。

 日の出と共に目に飛び込んできたのはガレキの山。まさに、戦後のような光景でした。

 考えることが山ほどあったけど、一番の気がかりは奥さんのことでした。

 「一体、どこへ行ってしまったんだ...」

 

 

【震災から数十日後】

 やっとの思いで奥さんを見つけました。

 すでに、息を引き取っていました。

 発見者の話によると、

 「私の家の二階に車が流されてきていた。その近くを通ると、後ろ髪を引かれるような感覚を覚えたから、ここにも人がいるんじゃないかな〜と思ってはいた。自衛隊が来たので調べてもらったら、車の下敷きになって出てきたのが...」

 という経緯で発見されたのです。

 ご主人は苦しみました。でもご主人は、自分自身以上に苦しんでる人がいることに気付きました。

 それは、東京に住む奥さんのご両親...

 

 

【震災の数年前】

 結婚する前、ご主人は石巻に、奥さんはご両親と一緒に東京に住んでいました。

 ご両親は、結婚に賛成してくれました。

 しかし、

 「どうして、そんな田舎に行くんだ。こっち(東京)に来たらいいだろう!」

 奥さんが石巻に行くことには反対しました。

 「絶対、石巻で娘さんを幸せにします...」

 ご両親を説得して、約束をして、奥さんを石巻に連れて来たご主人...

 

 

【震災から数十日後】

 奥さんのご両親と交わした約束が、頭の中を埋め尽くしました。

「妻を幸せにするって約束したのに、守れないじゃないか...

 一体、どうやって幸せにしてあげたらいいんだ。

 ...結局、俺は嘘つきか。」

 

 

【震災から二年後】

ご夫婦が住んでいたアパートも、きれいになりました。

隣の部屋の人は戻って来ました。

でも、ご夫婦が住んでた部屋は、未だに誰も戻って来ません...

震災を通して出会った生き方

 前回に引き続き、UPeace(被災地ボランティア)に参加したメンバーの体験談を紹介します。

 

――――【以下、前回の続き】――――

 

 2012年Xmas、再び被災地を訪れました。ある日は、現地視察で一年前と同じ場所へ行きました。

【2011年夏に撮影】

【2012年冬に撮影】

 一年前と比べると、周囲のガレキが減っていたり、慰霊碑が建っていたり、津波の高さが刻まれた柱が立っていたり、雪も降っていたので、景色は全然違いました。しかし、『がんばろう!石巻』の看板だけは、あの時のままでした。

 この時の作業は、クリスマス会のお手伝いや土地の整備でした。

 

 

 一年前と比べて、最も大きく変化していると感じたのは、現地の人たちの “復興に対する想い” でした。

 昨年(2011年8月)の時は、今を生きることに精一杯で、復興まで意識がまわらない人が多かったように感じます。しかし今回(2012年12月)は、石巻全体が復興に向けて前進しているように感じました。そして、人と人とのつながりこそが、復興の一番の源になっているように感じました。

 「失ったものは多いけれど、みんなで協力して今を共に生き、希望に向かって頑張っていきます!」

 ボランティアに向けて話をしてくれたお母さんの力強い姿が印象的でした。

 

 

 活動最終日の作業後は、津波が来た爪痕の残る海岸へ行きました。

【石巻市魚町の海岸】

 皆が口を開けば、同じ話題ばかりでした。

 「こんなに美しい海から津波が来たなんて...」

 「まるで、夢のようだ...」

 

 

 活動が終わったので、振り返ってみたのです。

 

 

心に残ったこと!

 それは...

  “為に生きる道”は、与えられる側の幸せになるだけではないんだ。

  与える側の幸せにもつながっていくんだ。

  それが、“文先生の行かれた道”であり、“世界が一つになる道” なんだ...

 

私の願い!

 それは...

  人と人との間に育まれた“絆”が、石巻全体に広がり、日本に、世界に広がっていきますように!

  そして、ずっと東北を忘れずに、共に前に進みたい...

 

――――【 完 】――――

震災を通して出会った神様

 前回に引き続き、UPeace(被災地ボランティア)に参加したメンバーの体験談を紹介します。

 

――――【以下、前回の続き】――――

 被災地ボランティアも後半に入りました。 ある日は、被災した地域の視察に行きました。

目にするもの、耳にするもの全てから、語りきれない深刻な当時の状況を感じました。 

 時には作業現場で、時には集会所で、また時には銭湯で、現地の方からいろいろな話を聞きました。

−おばあちゃんの “地獄を見た” と言って涙ぐんだ目...

−震災翌日から探し始めて、今も待ち続けて、それでも帰って来ない愛する子供...

−黒い海水にのみ込まれすぐ隣を流れていく友達の姿...

−がれきに埋もれ、頭だけ出ていた母親の姿...

 今回の震災は、現地の方にとって、決して忘れることができない記憶として、そして忘れてはいけない記憶として残ると思いました。それは “過去” のことではなく “今” であり、 “未来につながること” として語り継がれていくだろう...そう思いました。

 

 

    

 この期間を通して、人と人とのつながり、 “絆” の素晴らしさを感じました。そして、神様は救いたくても救うことができなかった “痛み” や “苦しみ” を、誰よりも抱え込んでいるのだと感じました。

 震災が、神様を “見失うきっかけ” になったと同時に、 “新たな関係を結ぶ出発点” にもなったのです。

 

 

 最終日、東京へ帰る日の朝、他のボランティアさんが、私たちを見送ってくれました。

 「いずれ、また、ここに来よう...」

 そう思いながら、ボランティア活動が終わったのです。

 

 

 

そして、約一年後 2012年 Xmas... 私は、再び石巻を訪れます...

――――【次回に続く】――――

震災を通して出会ったもの

 2011年夏と2012年冬にUPeace(被災地ボランティア)に参加したメンバーの体験談を紹介します。

 

――――【以下、メンバーの体験談】――――

 震災が起きた2011年3月11日、揺れている様子をムービーにとって友達と何回も見ました。

 「神様は私たちを見捨てたのか...」

 テレビを見ても、新聞を見ても、ネットを見ても実感が湧かない。やがて無関心になり、他人事のようになりました。募金している人を見ても偽善だと思うようになっていました...。当時の私にとって、震災は神様を見失うきっかけとなりました。

 

 そんな時、UPeace(被災地ボランティア)の話を聞きました。

 「神様はもう信じない...そう思っていた。けど...」

 私には、一つだけ確かめたいことがありました。

 「...なぜ、こんな悲惨なことが起きたのか?」

 何かの衝動に押し出されるようにして、被災地へ向かいました。 

 石巻市内に入った時、私たちを迎えてくれたのは大きな花火でした。その日は偶然、年に一度の夏祭りの日だったのです。

 「この期間は、“何か”がありそうな気がする...」

 そんな思いを胸に秘めつつ、被災地ボランティアがスタートしたのです。

 

 

 ある日は、夏の暑い日差しの中で、たくさんのボランティアさんと、生々しい家庭用品が埋もれている側溝を泥にまみれながら掘りました。

 ある日は、多くの人が亡くなった地域へ行き、ぐちゃぐちゃになった墓地を掃除しました。

 人がいない。動物がいない。そんな地域をたくさん見ながら少しづつ現実を受け止めていきました。

 ある日は、さまざまな宗教のひとたちと話しました。仕事を辞めたり、生活を捨ててまで復興の為に駆け付ける人もいました。何の報酬も求めずに、ただ汗を流し、現地の人たちに笑顔を与える。そんな人たちと過ごす場所が、自然と温かく、居心地のいい場所になっていた気がします。

 “復興”という共通の目標を持てば、こんなにも皆が、本当の家族のような深い関係になれるのだ、と衝撃を受けました。”絆”を肌で感じたのです。

 

 

 あっという間に、前半の活動が終わりました。

 「この地を、もっと復興させたい。

  その先に、何かある気がする...

  まだ、私が気付いていない“何か”が...」

 私自身の心が、少しづつ変化していくのを感じつつ、後半の活動に向かっていくのでした...

――――【次回に続く】――――

参加者の声 “愛の力は絶大!!”

 2013年の3月に参加したメンバーの、ある日の感想を紹介します。

 この日の依頼は、畑作りがメインの作業でした。

 

 

――――【以下は、メンバーの感想】――――

 作業中、他のボランティアチームも合流して一緒に作業をしました。

 その時、合流したチームのリーダーの男性が、僕の赤いジャケットを見るやいなや、気付いたようにこちらに向かって、大股で近付いて来ました。若干強面の男性でした。近付いてくるやいなや、強い口調で声をかけられました。

男性 「あんた、統一教会の人なの?」

 「...あ...はい。」

 その時の雰囲気から、もしかしたら怒られるのかな〜?と思いつつ答えました。

 

 

 すると、ものすごい勢いで...

男性 「いや〜、いつも助かってるよ〜。」

 「え?...あれっ?」

 ... “感謝” されました。 その時感じたのは、圧倒的な違和感でした。

 

 

男性 「あれっ?君は〜、今回初めて参加したの?以前来てくれた皆は元気にしてるかなぁ?」

 「え?...あっ、は、はい。」

 最初は違和感だけでしたが、話を聞いていると、その男性と統一教会との間にある “絆” を感じました。

 

 

男性 「あれっ?統一教会さんは、今回は何人で来たの?」

 「え?...あっ...い、いちおう、4人です。...いつもより人数が少ないみたいで

   ...ちょっと申し訳ないんですが...」

男性 「何言ってるの〜。こっちからすると、1人でも嬉しいんだよ。統一教会さんは、みんな頑張り屋さんだから、来てくれるだけで助かるんだよ。それに今は、ほとんどのボランティアチームが撤退しちゃったじゃない。そんな中なのに、ずっと来続けてくれてるでしょ...」

 

 

 僕は、ここにある “絆” が、以前に来た統一教会員の “愛” が現地に伝わって築かれたのだと、強く実感しました。そして、僕自身が周囲に “愛” を伝えていけば、周囲の人は “僕” を通して統一教会を見てくれるのだと気付きました。

 『愛の力は絶大』 だと感じました。