イチゴ農家の一年

突然ですが...

【イチゴに関する問題】

Q1.イチゴ一粒のカロリーは?

Q2.イチゴが日本で栽培されるようになったのは何年前から?

Q3.高級イチゴの値段はいくらか?

Q4.イチゴに含まれる栄養の中で多いのは?

Q5.イチゴを使った商品の中で、日本生まれのものは?

Q6.イチゴはどの部分が一番甘いか?

  ※答えは、記事の最後です!

 

 

先日、イチゴ農家のお手伝いをしました。そこでは、『もういっこ』という品種を扱っていました。

  

『もういっこ』とは...

 ・2008年生まれで宮城県産の品種

 ・硬めで甘みと酸味のバランスがいい

 

休憩時間中、ご主人からイチゴ農家に関する話をお伺いしました...

 

【イチゴ農家の一年】

1. 夏 (下準備&休日が取れる時期)

 イチゴを栽培している時は、ビニールハウスの温度管理をしなきゃいけないから、丸一日の休みって取れないんだよ。だから、休みが取れるのは栽培がオフシーズンになる8月〜9月の約1ヵ月間だね。

 この時期は、一年の中で唯一休みを取れる時期だね。

 

 

2. 秋 (苗を植える時期)

 イチゴが成長する適温とさているのは20℃くらい。なので、夏場が過ぎて涼しくなり始めた頃にイチゴの苗を植える。ただし、日によって夏の気温になるので温度管理に注意が必要。ただ、今年(2014年)は冷夏だったから、その点ではちょっと安心したね。

 この時期になると、『休み』という言葉と無縁になるよ。一瞬も目が離せないからね。

 

 

3. 冬 (イチゴが美味しくなる時期)

 寒い冬を超えると、農作物の品質が下がってしまうんじゃないか?って思われやすいんだけど、イチゴの場合はその逆なんだよ。寒い時期を通過する時、イチゴは寒さを乗り越えるため、甘みを中に閉じ込めようとするんだよね。だから、冬を超えると甘いイチゴになる。逆に、夏の暑い時期を通過すると、イチゴはすっぱくなる。だから、夏を避けて、冬の寒い時期に向かって苗を植えるんだよね。

 意外と不思議に思われることなんだけど…まあ、イチゴも生き物だからね。

 

4. 春 (収穫の時期)

 出荷用のイチゴは、5月頃までに収穫を終えるようにしてるよ。6月になると、もう結構暑い時期だから、イチゴも酸っぱくなっちゃってね。だから、収穫しても、売りに出さずに家で食べるようにしてるよ。

 春っていうのは、1年間かけてきた手間暇が形になる瞬間だね。

 

最後に、美味しいイチゴの見分け方を1つお聞きしました。

ご主人 「種と種の間の間隔が短いもの!かな...」

普段、スーパーで何気なく見かけるイチゴ。

ショートケーキの上には、当たり前のように乗っているイチゴ。

実は、とっても手間暇かけて作られていたのか...と。

スーパーでイチゴのコーナーを見ると、立ち止まる時間が増えたような気がしました...。

 

 

【イチゴに関する問題】

≪答え≫

Q1.イチゴ一粒のカロリーは?

 →A:約5kcal ※スーパーで売ってる中くらいサイズ

Q2.イチゴが日本で栽培されるようになったのは何年前から?

 →A:約200年前

Q3.高級イチゴの値段はいくらか?

 →A:1粒5万円 ※ネットで購入可能

Q4.イチゴに含まれる栄養の中で多いのは?

 →A:ビタミンC ※イチゴ2粒でレモン1個程度のビタミンC

Q5.イチゴを使った商品の中で、日本生まれのものは?

 →A:ショートケーキ

Q6.イチゴはどの部分が一番甘いか?

 →A:先端が甘い

災害ボランティアの一日 in 広島

○7:00 復興連携センターに到着

・受付開始の1時間半前にも関わらず、既に先客が数名いました。

・7:30頃になると徐々に人が多くなってきたので、6人1列で整列して待機しました。

 

○8:30 受付開始

・ボランティアの説明

・基本は12人で1チーム、リーダーとサブリーダーを決める!

・名簿に必要事項を記入!

・ボランティア保険には加入して!

・最低限の道具(軍手、マスク、長靴)は必ず持参!

・物資(500mlの水2本、塩飴、タオル、除菌ジェル)が支給されて!

 

○9:30 バスで出発! 

・バスに乗って出発、作業現場近くの広場に到着しました。

・資材準備:スコップ、一輪車、土のう袋、ほうき...など

 

○10:00 依頼者さん宅に到着

・現場に到着したら依頼者さんに挨拶をして、今日の依頼内容を確認、作業を開始する。

・作業20〜30分 ⇔ 1回休憩(繰り返す)

・途中で、昼休み(1時間)を挟む

  

 

○14:00 仕上げ

・依頼者さんにチェックしてもらいながら、最後の仕上げに入る。

・作業道具を整理して数えて、紛失した道具がないかチェックする。

・依頼内容は “今日で完了” or “次回も継続” →依頼者さんに判断してもらう。

・依頼者さんに挨拶、撤収する。

 

 

○15:00 片付けと報告

・後片付けをして、手洗い、うがい、長靴を洗浄する

・リーダーは報告書を記入する

 

 

○15:30 活動終了!

「それでは、お疲れ様でした…」

 

災害ボランティアの一日 in 伊豆大島

2013年11月、伊豆大島で災害ボランティアを行った時の1日の流れです。

 

22:00 東京を出発 →(移動120km)→ 6:00 伊豆大島に到着

23:30頃・・・部屋の照明が消えて艦内放送が入り “就寝モード” になりました。

5:30頃・・・部屋の照明がついて艦内放送が入り  “起床モード” になりました。

 

 

    

伊豆大島は 『椿・あんこ・三原山』 で代表される観光地として、よく紹介されます。

椿・・・約300万本もあり、“大島町の花” として制定されています。

三原山・・・島の中央に位置する標高758mの山。山の近くに行くと、以前の噴火で噴出したマグマが固まった跡も見えます。約35年に一度のペースで噴火しながら、少しづつ姿を変えています。

 

 

港から見た三原山(土砂災害のあった場所)

 

    

港からバスで移動 → ボランティアセンターに到着 → 受付 → オリエンテーション

作業に必要な持ち物 : 長靴、軍手、ゴム手袋、マスク、帽子、作業着、ゴーグル

 

 

    

オリエンテーション → 作業現場が決定 → 資材をレンタル → 現場へ出発

レンタルした資材 : 一輪車、大小のスコップ、デッキブラシ、懐中電灯、ハンマー…など

 

 

  

現場に到着 → 依頼者さんに挨拶、依頼内容を確認 → 作業開始

依頼内容 : 土砂が入った室内の清掃、がれきの撤去

 

 

   

 Before(作業前)     ⇒⇒⇒    After(作業後)

上図の部屋にかけた労働力:2人で半日

 

 

作業終了 → 作業道具の洗浄 → 道具の返却、報告書の記入 → 活動終了

 高圧洗浄機やデッキブラシを使って道具を洗浄します。

報告書の記入事項を参考に、翌日の作業内容が検討されます。

 

    

活動終了後、ボランティアさんへの差し入れがありました。

活動終了 → 宿所の掃除 → お風呂 → 食事 → 反省会 → 22:30 就寝

 

『今日も1日、お疲れ様でした。』

 

 

様々な災害現場で活動しているボランティアリーダーに聞くと...

『自然災害が発生した時に “災害ボランティア” として活動する場合、他の災害や他の地域でも、だいたいは同じスケジュールで活動していますよ。』...とのことでした。

 

※2014年2月下旬、上記のような島外ボランティアの活動は終了しました。

人生初!ワカメに愛着がわいた私

漁師さんから聞いたわかめに関する話と、お手伝いしたわかめに関する活動を紹介します。

 

わかめ Q&A】

 問題です!(^ ^)

 Q1.わかめの旬は何月?

 Q2.わかめの名前の由来は?

 Q3.日本人が一年間に食べるわかめの量は、平均で何グラム?

 Q4.“わかめの日” っていつなの?

 Q5.わかめを日本以上にたくさん食べている国は?

 Q6.“三陸産わかめ” の特徴は?

 

  さあ、きみは何問正解するかな?(^o^)

  (答えは記事の最後です!)

 

 

========================================================================================

  わかめを仕入れてから発送までのお手伝いをしました。

 

〇わかめを仕入れます。

 「ワカメと聞くと軽いイメージがありますが、乾燥ワカメではないので、結構重いです。」

 

 

〇中はこんな状態、みずみずしいわかめです。

 「キラキラ光ってます!!」

   

 

〇わかめの “茎” と “葉” を分けます。

 「意外と難しいですが、コツがつかめるとキレイに分けられます。」

      

 

 

〇わかめを入れる袋を調達します。

「いろんな大きさの袋があります。」

 

 

〇わかめの“葉”の部分を計量します。

 「実は、規定量より5%位多く入れてます...サービスが良いですね!」

   

 

〇袋を完全に密閉します。

 「完全密閉できなければ、新しい袋に入れて閉じ直します。」

 

 

〇完成!三陸わかめです。

 「実は、このまま食べれます。ただ、塩漬けしてあるので、そのままは食べにくいです。」

   

 

〇冷やして発泡スチロールに詰めて発送します。

 「発送作業をしていると、“美味しく食べていただきたい!” という想いが湧いてきます。」

 

 

〇味見すると...

 (メンバーの感想)

 「歯ごたえがあっておいしい!」

 「いつも食べてるワカメに比べて、3倍くらい肉厚ですよ!」

 「なんか、別の海藻を食べてるみたいです!」

 

 

 

 =======================================================================================

 

 【わかめ Q&A】

 答えです!(^^)

 Q1.わかめの旬は何月?

  ⇒A.3〜5月

 Q2.わかめの名前の由来は?

  ⇒A.わか(若)+め(海藻) ⇒ “若い海藻”

 Q3.日本人が一年間に食べるわかめの量は、平均で何グラム?

  ⇒A.約 2kg

 Q4.“わかめの日” っていつなの?

  ⇒A.5月5日 (日本わかめ協会が決めたようです)

 Q5.わかめを日本以上にたくさん食べている国は?

  ⇒A.韓国 (1年間に食べる量を比べると、韓国人は日本人の約3倍)

 Q6.“三陸産わかめ”の特徴は?

  ⇒A.『量』 と 『価格』 が全国トップ (収穫量が多くて高級ワカメ)

 

 さあ、きみは何問正解したかな!?

 では、またの機会をお楽しみに〜(^o^)

地元土産に持たせる“こだわり”

 東日本大震災で被災した地域の、ある仮設商店街で聞いた“地元土産”に関する話の抜粋です。

≪以下、現地の方の話≫

 

【写真】 震災から約1ヵ月後の様子(石巻市門脇町)

・・・震災直後は、がれきが街中にあふれて悲惨な光景でした。メディアでも多く取り上げられて、現地の方の生々しい声が飛び交っていました。誰しもが “生きる” ということに必死でした。しかし、一方でそれは、多くの人たちの共感を呼んだ気もします。ボランティアさんもたくさん来てくれたし、近隣住民で助け合ったし、被災地関係の物はよく売れました。「被災した地域の地元土産です!」、「復興グッズです!」 と言えば振り向く人や、買ってくれる人も多かったです。

 

【写真】 震災から約2年後の様子(上図と同じ場所から撮影)

 震災から1年が経ち、2年が経ち...時間の経過と共に、町からがれきが消えていきました。この地域にも笑い声が飛び交い始めたし、少しづつ震災前の日常を取り戻し始めました。平和な日常に戻るにつれて、メディアも取り上げなくなりました。復興が進んでいること自体は素晴らしいことです。しかし、それと同時に「被災地の地元土産です!」、「復興グッズです!」というフレーズで人々は振り向かなくなりました。しまいには、被災と関係無いのに“復興”というフレーズを利用して、自社商品の売り上げアップを狙う業者まで出てきた時は、怒りを通り越してあきれましたね。

 他の地域でお土産屋さんの前を通った時、ふと耳に入ってきたフレーズは

「...な〜んか、ある種のブームが去ったような感覚だよね〜...」

 それを聞いた時は、妙に共感する思いがわいてきましたよ。

 

 

 

【写真】 地元土産の話に耳を傾ける人たち

消費者であるお客さんの多くは、“災害直後の目線” から “一般的な目線” になってきました。

つまり...

×復興が進むから買う  物が良ければ買う!

...ということは、被災した商店では今後、“守りの姿勢” ではなく “攻めの姿勢” に挑戦していかなければな、と私的には感じています。

×復興にからめた商品戦略  本当にいい物を作る商品戦略!

×復興にからめた宣伝  地域の持ち味を生かした宣伝!

 

 

「被災した地域に再建したお店...

 そこに置いてある、何気ない一つのお土産...

 ここに、如何にして“こだわり”を持たせるか...!?」

 

【写真】 地元土産が並ぶ商店

 被災地の復興度合が目まぐるしく変化している中で、

お土産屋さんの経営戦略も目まぐるしく変化していますね...

≪以上、現地の方の話≫

 

支えられた者として!今の私がやりたいこと…

 

お母さん 『家の近くから三原山を見ると、所々山が削れていて驚いたのよ...』

 

 

伊豆大島でボランティア活動をした時に、現地のお母さんから話を聞きました。

――――【 以下、お母さんの話 】――――

 あの日、10/15〜16にかけての深夜、私の寝室は土砂が来て、家の壁が壊れ、室内は土砂で一杯になっちゃったの。だから、本当だったら私は今、ここじゃなくてあの世にいるはずの人なのよ。じゃあ、なぜ私があの世じゃなくてここにいるのかって思うでしょ?

 あの日、なぜか知らないけど、急に 『歯医者に行ってみようかしら〜』 と思ったの。でも、別に歯は痛くなかったのよ。それなのに、何とな〜く行ってみようと思って、土砂災害直前の10/15の昼、久しぶりに船で島外に出たの。

 そして、土砂災害直後の10/16の昼に大島に帰って来たの、だから助かったのよ。

 今からしてみれば、なぜあんな行動をとったのか、自分でも不思議なのよ。きっと、ご先祖様や神様が助けてくださったんでしょうね。

 ご先祖様や神様から 『お前は、若いころにイタズラばかりしてきたから、もっと世のため・人のために尽くして、罪滅ぼしをしてから、あの世に行かなきゃね!』 って思われたから、私は生き残ったんでしょうね(笑)

 

 

 

 

(伊豆大島に)帰って来た時は、最初驚いたわ。自宅も町中も土砂がすごくて...(中略)...そんな状態だったから、隣町のかたや島外のかたが来てこの光景を見ると、私たちをすごく気遣ってくださるんですよ。確かに大変だったこともあるけど、振り返ってみれば “嫌だったこと” だけじゃなくて “良かったこと” もあったの。そういう話をすると、取材で来たかたから「え?良かったことって何ですか?」って聞かれるんだけど、一番良かったことは “いろんな人から支えられたこと” なんです。 

 私は最初 “ボランティアさん” と聞くと、 “作業する人” というイメージだったけど、実際はそれだけじゃなかったのよ...

例えばね...

○土砂の入った部屋の掃除をお願いしたら、私が自分で掃除する以上にきていにしてくれた。

○ 嫌なことがあって冷めた表情をしていたら、作業中でも作業の手を止めて私を気遣ってくれて、いろんな愚痴を聞いてくれて心がスッキリした。

 ボランティアさんは、私の気持ちの面まで支援してくださったの。しかも後から聞いたら、それ(気持ちの支援)に関しては、誰かにお願いされたんじゃなくて、ボランティアさんが自発的にやってくれていたの。だから、なおさらありがたくて...。

 私の中のボランティアさんに対するイメージは...

  “作業する人” から “心の支えになる人” に変わったの

 

 

 

 

 家の土砂がある程度片付いてきたので、年明けにはボランティアさんたちが自主的に企画して、餅つきをしてくれたの。

 その光景を見ながら、ふと考えたの。 『こういう人たちの御恩に報いるためにはどうしたらいいかな?』 って。そして、私なりに思った報い方は...

 『私がいつでも笑顔で、元気に、今を生きること』

  ボランティアで来てくださった方たちが、いつの日か、何かしらの縁で再び大島の地を訪れた時には、ぜひこの家に遊びに来てほしいの。その時に、お茶を出して、お菓子を出して、少しでも恩返しができればと思うんですね。

  だから私は、ボランティアさんたちに恩返しするためにも、あの世へ行かずに、元気に生きていこうと思ってるんです!

――――【 以上、お母さんの話 】――――

 

教訓によって“生き方”が変わった私

 いろいろな災害現場に行き、支援をされているボランティアリーダーの方から聞いた話です。

 

≪以下、話の内容≫

 災害の後は“教訓”という言葉がよく持ち出されます。特に、3.11以降は、よく耳にするようになりました。

 教訓と言うと、一般的にはこんなイメージじゃないですか?

○災害発生時の食量の備蓄

○自宅の耐震強度を上げる

○危険を感じたら避難所や高台へ避難する

○防災訓練をする...など

 私は災害ボランティアをやる前、『教訓』といえばこれで全部だと思ってました。しかし、いろいろな災害現場に行ってみると、教訓が身になっている人もいれば、身になっていない人もいました。

 

 そんな中で、私が自問自答するようになったのが...

 「身になる教訓とは何か?」

 

 数年間、災害現場で生の声を聴き続ける中で、私自身が納得した答えは... 

 「教訓とは、私の行動の変化!」

 

例えば...

○災害を経験して、改めて家族の大切さを感じた →×教訓

 その後、家族で一緒に夕食を食べるようになった →◎教訓

○災害を経験して、インフラの整った生活がありがたいものだったと気付いた →×教訓

 その後、節電を心がける中で電気代が下がった →◎教訓

○災害を経験して、人と人との絆の素晴らしさを感じた →×教訓

 その後、人に挨拶するようになった →◎教訓

○災害を経験して、ボランティアでがれき撤去をして、片付けの必要性を学んだ →×教訓

 その後、自宅の掃除をするようになった →◎教訓

 

 

 

 いろんな現場で活動し、話を聞き、考える中で、私自身も 『学び』 がありました。

 

【学び】

○災害発生後、災害ボランティアセンター(VC)の体制作りが大変

○現場に出ると経験者が少ないため、どの災害現場でも似た問題が起こる

○活動期間は短期の人がほとんどなので、現地での人間関係の輪が広がりにくい

○VCスタッフは、通常業務もやりつつ災害VC運営もやるので、負担が大きい

 

 私なりに、これらの 『学び』 を 『教訓』 に落とし込みました。

 

【教訓】

○災害後、すぐ現場に駆け付けて、体制作りから支援する

○経験者が現場に出ることで、災害現場で起きやすい問題を未然に防ぐ

○長期で活動することで、現地における人間関係の輪を広げる

○ボランティア活動だけでなく、VCスタッフのサポートもして負担を軽減する

 

 

『教訓』 を 『行動』に移してみた感想は...

「私は、教訓によって自分の生き方、人生観まで変わっちゃいましたよ。

 (中略)...今はこの地で活動してますが、今後もし、日本のどこかで災害があれば、内心はすぐに駆け付けようと思ってるんです。

 そう考えた時に、極端な話、この地でいつまで活動できるか分からないんですよ。もしかしたら、明日、どこかで災害がって、この地を去るかもしれないんです。そうなれば、今日がこの地で活動できる最後の一日になっちゃうんですよ。

 でも、だからこそ、この地で活動できるのが最後かもしれない今日一日を、大切に、精一杯、悔いの残らないように生きようとしているのかもしれません。

 (中略)...その結果、ボランティアをやる前と比べると、趣味は減っちゃったのに、一日一日がすごく楽しくなって、すごく充実するようになったんですよ。」

 

この方は、今日も現場の最前線に立っています…

本日の30分(?)クッキング

ある日、夕食のメニューで頭を悩ませていた時に、こんな物をゲットしました。

レスキューフーズ☆

今振り返ってみれば、これを頂いたことで私の悩みが一個解決されたのかと思うと、これも神様の導き(?)だったのでしょう...(‾▽‾)

 

 

 

ある日、ボランティア活動後にコレをもらいました。

パッケージによると...

どうやらこれは、「いつでもどこでも、僕の仕事を支えてくれる食事」...らしいです。

なるほど、これは助かる!(^^)v

 

家に帰って早速、オープン!!

【セット内容】

白いごはん、牛丼の素、加熱袋、発熱剤、発熱溶液、れんげ、紙ナプキン

≪豆知識≫賞味期限は、常温で3年6ヶ月

 

 

なんか、小さい箱からいっぱい出てきました!!(*o*)  

初心者(?)なので、説明書の手順通りに作ってみます。

 

何だか、プラモデルを作ってるみたいです!(^_^)

 

スゴイ!セッティングして約30秒で、かなりモクモクしてきました。(*o*)

 

調理時間:温め時間20分+蒸し時間10分=30分

作るのに30分、意外と時間がかかるんだな〜と思いました。

20分経つと結構落ち着いてきました。袋の内側が、汗をかいてるように見えます。

 

 

30分経ちました!

盛り付けてみると...

本日のメニューは...

『火を使わないのにアッツアツ?魔法の牛丼!』

≪豆知識≫他のタイプ:カレー、シチュー、中華丼、和風ハンバーグ(新商品)...など

 

 

材料はたったの二つ!

白ごはん(200g)と 牛丼の素(180g) だけ!

たったこれだけで、あっつあつの牛丼(380g) が作れます!

それではここで...

 

【お客様の声】

(ボランティアさん数名に聞きました)

(^o^) 「お店のレトルトをイメージしてたら、意外と具が多くて美味しかったです。」

(‾▽‾) 「ご飯が新潟のお米で、普通に美味しくいただきました。」

(゜o゜) 「調理の過程で周りを汚さない作りで、ナプキンまでついていたので丁寧だな〜と思いました。」

 

 

さあ、いかがでしょうか?レスキューフーズ!

これがあれば、あなたも今日から災害現場のシェフ!

料理が苦手な人でも大丈夫!

牛丼以外にもいろんな料理が作れます!

≪豆知識≫他の非常食(缶詰タイプ)

栗五目ごはん、おかゆ、鶏肉うま煮、牛肉すきやき、牛肉大和煮、とりそぼろ、ポテトツナサラダ、みそ汁、ウインナーと野菜のスープ煮、つくねと野菜のスープ、缶詰の筑前煮(新商品)

 

テレビの前の皆さん(?)も、ぜひ一度、お試しください!(^o^)v

 

 

参考:ホリカフーズのHP(http://www.foricafoods.co.jp/rescue/index.html

教師でなければできないこと

他のボランティアの方から、震災関連の話を聞きました。

 

 その方は、関東で小学校の先生をされていました。ご自身が務める地域では最近、東日本大震災関連の本が小学校の道徳の授業で使われ始めているようです。

 その話を聞いた私は、自然災害の対処方法を学んだり、教訓を生かして防災訓練を強化する為かと思いました。しかしそこには、もっと本質的な内容がありました。

 

 

 2011年は、東日本大震災だけではなくて台風被害もあり、海外ではニュージーランド地震やタイの洪水もありました。これらの自然災害で、多くの人が家族や友人を失い、傷付く人や悲しむ人が多かったです。

 しかし、その一方で、人間関係を見直す人も多くいました。

 家族や友人といった身近な人に対して、今までは “一緒にいるのが当たり前” だと思っていたのが、 “一緒にいるのは恵まれたこと” だと思ったり、 “一緒にいてくれるだけで感謝なんだ” だと思ったり...。

 

 

2011年の “今年の漢字” の応募総数は、それまでの過去最高の約50万件だった。多くの人の注目を集めた中で選ばれたのは、1位「絆」、2位「災」、3位「震」でした。

被災地の光景をテレビで見たり、津波が来た時の映像をネットyou tubeで見たり...。メディアを通してでは、一般的に2位や3位の言葉に偏りがちです。

そんな中で最近、小学生の道徳の授業用に出版されているのが、この1位の言葉に焦点を当てた教科書だという話でした。

 

 

『地震があった。』

これは、簡単に伝わります。

『原発事故に発展し、大災害になった。』

これも、メディアを通して伝わります。

しかし、

『乗り越えた背景に、目に見えない多くの絆があった。』

これは、メディアを通してでは伝わりません。

 

「...そうか。これを伝えるのが “メディア” ではなく “教師” の役割なのかもしれない...」

 

 

 今、小学校の道徳の授業では、いい教材が少ない上、教える内容も不明確。そんな中で授業そのものが軽視され、授業数も減少傾向にあるという話でした。

 震災関連の本を道徳の授業で使うこと。

 それが、小学校の道徳教育を改善する、一つの “きっかけ” になっているようです...

今なら分かる!・・・だから私は、ここにいる。

あるボランティアチームのリーダーの方から、被災地に来た当初の印象的な話を聞きました。

以下、ボランティアリーダーの話

 

-----–【 震災直後 】-----–

震災後、最初は被災地に物資支援をしていましたが、 「現地は何が不足しているのか?」 いまいち分からなかったので、 「では、一度行って見よう!」 という話になり、当時一緒に物資支援をしていた仲間と一緒に被災地へ行きました。

 

 

-----–【 震災から二週間後 】-----–

現地に着くと、その光景の悲惨さに驚きました。最初は現地視察だけの予定でしたが、地元の人たちが必死にがれきを片付けているのを見たら 「これは手伝わなきゃ」 と思って、なんとなく一緒にやり始めました。

 

すると、遠くにいたお母さんが自分を呼びました。

「ちょっと、そこのお兄さ〜ん!こっち手伝って〜!」

小走りに行って見ると、

「お兄さん、あれ、降ろしてくれない?」

お母さんが指した方を見ると、電柱の上に何かが引っかかっていた。

よく見たら、それは、すでに息絶えた“人”でした...。

その瞬間、すごく怖くなりました。足の震えが止まらなかったです。

「何とか降ろしてくれないかなぁ〜。お兄さん、力持ちでしょ?」

何とか力になりたかった。

でも、勇気が出なかった。

結局、一歩も動けなかった。

 

これが、私にとっての、初めての被災地ボランティアでした。

 

 

-----–【 震災から数ヶ月後 】-----–

「皆さん、本日は私たちのよさこいを見に来てくれて、ありがとうございま〜す!」

 現地の方たちを元気付けようと、私が活動してる町に、よさこいのチームが公演に来てくれたのです。

「では、最初にお見せするのは、皆さんも多分、聞いたこがあるであろう曲!

 皆さん、“ソーラン!ソーラン!” というフレーズは、どこかで聞いたことがありますよね。それです!

 では、いきます...」

会場が “待ってました” とばかりに盛り上がり始めたので、私も現地の方と一緒に盛り上げ、公演がスタートしました。

 

すると、急に後ろの方から “トントン” と肩をたたかれて、小言で言われました。

「ちょっと、こっち来てください」

何かな〜?と思って行って見ると、いきなり言われました。

「お取込み中すいません。ちょっと、遺体の身元確認お願いします!」

「あ、はいはい。分かりました。」

何件かやりました。

「いや〜、助かりました。では、以上ですね。ありがとうございました。」

「あ、いえいえ。」

 

再び、よさこい会場に戻りました。

「あれ〜?どこに行ってたの?かなり盛り上がってたんだよ。」 と地元のお父さん。

「いや〜、ちょっとトイレが長くなってしまって。あら?もう結構進んじゃいましたね〜。」

何も無かったかのように戻り、地元の方に混ざって盛り上げました。

 

不思議な感覚でした。

よさこいで盛り上がったら抜けて、遺体の身元確認をしたら、またよさこいで盛り上がる。

この極端過ぎる環境の変化にも、いつの間にか慣れていました。

 

 

-----–【 震災から二年半後 】-----–

今、思い起こしてみれば、この出来事が印象的でしたね。

最初は遺体を前にするとカナヅチだった自分が、気付いたら、当たり前のように身元確認してましたね。

“慣れる” ってすごいですね。別に、悪いことじゃないんでしょうが、良いことでもないような気がしました。

 

震災の二ヶ月後、わざと罪を犯して捕まった自衛官のニュースが話題になりました。なぜ罪を犯したのか聞くと、こう答えたそうです。

「罪を犯して捕まれば、もう、被災地に行かなくて済むからだよ...」

 

なぜ、そこまでするのか?初めて聞いた当時は、全く理解できませんでした。

でも、今なら…何となくですが…分かる気がするんです!その気持ちが。

だから、地元に帰りたくても帰れない …のかもしれませんね。